第12話「苦い現実と甘い夢」

 相変わらず、空は青かった。

 鬱陶しいくらいの大海原。太陽の光は何にも遮られず俺たちに降り注ぐ。

 こんな温度じゃなけりゃ、気持ちよかったんだろうなぁ。

 なんて考えて俺は視線を隣に移した。


「いやぁ、今日もいい天気ッスねぇ。まさか待ち合わせより三十分早く来るなんて……センパイ張り切りすぎッス」

「うっ……」


 俺は言葉を詰まらせる。

 ロールの言う通り、現在時刻は本来の集合時間よりも三十分くらい早い。とはいえ、楽しみすぎて出てきたわけじゃなかった。

 なんとなく、藤坂との待ち合わせに遅れたら怖そうだな。なんて考えてしまったらこんな時間に集合していた。

 女子との待ち合わせに慣れていないので緊張していたのかもしれない。


 どんな理由にしても、正直に話せばバカにされるだろうな。

 だから、これ以上話を掘り下げられないように俺は一計を案じた。


「それはともかく、ここが現状俺たちが最も樹に接近できる場所だ」


 秘技、話題すり替えの術!

 本来の目的を話すことにより、ロールの興味をそちらに移す。そして、俺が凄く早く来たことは有耶無耶にするって戦法だ。

 俺の目論見通り、ロールは空を見上げる。


「確かに、近いっちゃ近いッスけど……。もっと近寄れないッスか!? 結構距離あるッス」

「五年前まではもっと近寄れたし、観光名所なんだったんだけどな」


 舗装された道は樹の方へ続いて行くが、それを遮るように有刺鉄線が張り巡らされている。

 一般人は、樹に近づけないようになった。

 その境目が五年前。

 それも今みたいな夏だったな。


「何があったんスか?」

「……改めて、ロールが記憶喪失なんだって確信したよ、今まさに」

「ええーっ! 今まで疑われてたッスか!?」

「いやいや、そんなわけじゃないけどさ」


 ロールのことを疑ったことは一度もないが、だけどなんというか。実感が湧いたというか……。

 だって、五年前のあの事件を知らない人間なんてこの町にはいないと思っていたから。


「衝撃的だったからなぁ。五年前のあの日、樹は突然大爆発を起こしたんだ」

「大爆発ッスか……」

「ああ、夜中だったよ」


 今でも昨日起きたことのように覚えている。

 空が昼間みたいに明るくなったと思ったら、割れるような音が響いた。

 子供心ながらに、この世の終わりというものがあったなら今日みたいな日のことを言うんだろうなって思ったもんだ。


「不幸中の幸いというか、なんというか爆発が起きたのは樹の頂上付近だったんだ。だから、人的被害はほとんどなかったんだけど……」


 俺は鉄柵に近づいて、触れた。


「どうして爆発したのか、理由はなにか、なにも分からなかった」


 俺は視線を上へと向けた。

 天の終わりまで伸びてそうな幹に、無尽蔵に伸びる枝。青々とした木の葉は風に揺らされている。

 規格外という言葉が似合うその樹の巨大さは、自分がどれだけちっぽけな存在なのかを教えてくれた。


「だから、この鉄条網が作られた。もう一度、同じことが起こるかもしれない。今度は、頂上付近じゃなくて麓で起きるかもしれない。だから、ここから先に行ってもっと樹を近くでみようとするなら、特別な許可がいるようになってしまったんだ」

「許可ッスか」


 俺は首を縦に振った。

 もちろん、そんな許可が俺たちに下りるわけがない。大体、許可がでるのはマスコミの取材だとか、調査する人だとか、お偉いさんだとかである。


「え、でもこの先で仕事していた人たちだっているんスよね? その人たちはどうなったんですか?」

「たくさんいたよ。でも、全員もれなく仕事を失った」


 この町は、樹を中心にして栄えてきた。

 なんたって世界一巨大な樹。本当にこの町の中心に樹はあったし、多くの人々がそこで働いていた。

 だけど、観光業は廃れたし、そもそも観光街には誰一人立ち入ることが許されない。

 結果的に、この町は現在進行形で衰退している。


「そんな、酷いッス……」

「でも、もう一度爆発が起きて誰かが死んだり傷ついたりした方がダメだろ? まぁ、大変だったな当時は」


 とは言いながらも、俺はその大変さをあまり知らない。

 周りが慌ただしかったのは知ってるし、友達もたくさん転校していった。けれど、俺の両親は影響のない職種だったので生活が一変したり、なんてことはない。

 幼かったこともあって、大変だったというのは他の誰かからの受け売りなのだ。


「昔は御神木って言われてたけどさ。今じゃ呪いの樹さ」

「……そうなんスね」


 つくづく、人間ってのは身勝手なものだって思う。

 別に、樹は樹なんだ。

 勝手に崇めて、勝手に憎む。

 こう思うのも、俺が当事者じゃないからなのかもしれないけれど。


「幸も不幸もコインの表裏、綺麗な銀貨を弾いたなら……やっぱりもう止められない。光を反射して、コインは落ちていく。始まりは表、空中では裏、時には表、やっぱり裏? 表ばっかりのコインなんてありゃしない」

「……ロール、突然歌い出した?」

「いやいや、センパイじゃないんスか?」


 突然聞こえてきた透き通るような歌声。

 まぁ、確かにロールはこんなに歌がうまそうじゃない。じゃあ、誰が?


「じゃあ、最後にみせるのはどっちなのかしら? 終わりよければすべてよしなんて言うけれど、終わりも裏なら救いようがないじゃない。それはとっても可哀想だわ」


 俺は振り返る。

 歌声が、背後から聞こえてきたから。

 そこに立っていたのは、中学生くらいの女の子だった。


「あ、可愛いッス!」


 なんてロールが言っている。

 でも思わず口から零れてしまうのも分かるくらいには、女の子の容姿は優れていた。

 金の髪に、青い瞳。

 あどけない顔が、よりらしかった。


 黒と白で彩られた服装は、ゴスロリというジャンルなのだろう。

 まるでお遊戯会で主役を演じるように少女はくるりくるりと回転する。

 ふわりと、スカートが風で膨らんだ。


「だから私がここにいる。不幸なんて必要ないの、人生、楽しいことばかりすればいいじゃない! ええ、そうよ。そうに決まってるわ」


 そこまで言って、少女は俺とロールを交互に見た。

 色々、疑問点がある。

 いつの間に俺たちの後ろにいたんだ?

 ここは誰も寄りつかない場所なのに女の子一人で一体何の用なのか。

 それと、彼女は何を言っているのか。


「えーっと、センパイ……通訳お願いできますか?」

「俺も、ちょっと……」


 二人して首を傾げ、少女の方を見た。

 くすりと笑って少女は両の手を空へと伸ばす。海外の人みたいな綺麗な手が印象的だ。


「ああ、ごめんなさい。凡夫の貴方? 空虚な貴方?」

「凡夫……」


 絶対俺のことだな。

 というか、難しい言葉をよく使う子だ。


「迷子かな? 名前を聞いてもいい?」


 できる限り優しい声で俺は話す。

 腰を曲げて、膝に手をついて、自分の目線を少女の高さに合わせた。

 こうすれば、信頼が得やすいと何かで学んだ気がする。

 彼女はこてりと首を傾げた。

 そのしぐさでさえも、完成されている。同時に、アニメや漫画みたいなフィクションでよく見る動きだ。

 悪く言えばわざとらしいんだが、少女がしてしまえば不思議と自然なものとして受け入れられる。


「まぁ、とっても不思議なことを聞くのね貴方?」


 透き通った海みたくきれいな瞳を目一杯広げて少女は言う。

 何が不思議なんだろう。

 俺は至極真っ当なことを聞いている自覚がある。普通すぎると言われてしまってもおかしくはない。


「貴方は私。私は貴方。貴方の前にいる私なら、私よりも貴方の方が詳しいわ。私の前にいる貴方なら、貴方よりも私の方が詳しいわ。だって、私たちは根本的に同じものなんだから!」

「……?」


 ダメだ。

 少女の言葉が分からない。

 言葉自体は分かるけれど、意味は分からない。

 そうは言っても、俺は彼女のことを何一つ知らないわけで。

 困惑する俺を余所に、少女はクスッと笑った。

 口に手を当てて笑うその姿はやっぱり、映画の登場人物みたいだ。


「億万人の私に、たった一人の貴方。だからこう言うわ。私は夢の使者。貴方の夢を叶えてあげる。平凡な貴方、愛しい私?」


 スカートの裾をつまんでお辞儀する少女。

 なんて上品なしぐさなんだろうか。というか日常生活であの動きができるなんて、さぞ育ちのいい子なんだろう。

 まぁ、やっぱり言いたいことはよく分からないけれど。


「え、ホントッスか!」


 夢を叶えてあげる。という部分に食いつくロール。

 本気にしているなんて、バカなのか。あぁ、ロールはバカだった。


「残念だけれど、貴方の夢は叶えられないわ。惨めな幽霊さん?」

「むぅ、嫌な言い方ッス……でも、可愛いから許せちゃう!」

「だけど、貴方の願いは叶えるわ。だって、貴方の夢は素晴らしいんですもの!」


 ロールから視線を移して、少女は俺を見据えた。

 ニッコリと無邪気な笑みを見せる。

 なんて綺麗な笑顔なんだろうか、思わず見とれてしまう。


「だからまた会いましょう。いいえ、いいえ。きっと会えるもの。だって、こういえばいいのかしら」


 少女は人差し指を自らの唇にあてて、上目遣いで微笑んだ。

 それが、とんでもないくらいに魅力的だったのは言うまでもない。


「その幽霊さんについて、私は知っているわ。だって、貴方は私。私は貴方なんだもの」


 だけど見とれている場合じゃなかった。


「え、それは……!」


 って、俺が少女に説明を求めた時にはそこに誰も立っていなかった。

 まるで、さっきまでの姿は蜃気楼か何かだとでも言うように。

 少女は消失していた。

 それが一層、その言葉の真実味を俺たちに告げている。

 あの少女もまた想造獣なんだ。

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