第9話「たとえ勝ち目がなくとも」
「再度確認しよう。君は、リスクを承知で……私の前に立つと?」
「ああ。ロールを見殺しにはしたくない」
「センパイ……自分は大丈夫ッスよ、だから――」
「大丈夫なわけないだろ。それに、辛い思いをさせたくないなんて言ってくれたが、正直、誰がどう思って、どんな選択をしてもロールが斬られるっていうんなら俺は辛いぞ」
さらに俺は一歩踏み出した。
腕を伸ばせば、藤坂に届きそうなくらい俺たちの距離は縮んでいた。
それは、同時に彼女の射程に入ったってことにもなる。
「だから、俺は前に立つことにした」
正直、俺なんてなんの障害にもならないだろう。
でも、藤坂をロールに紹介したのは自分だ。元を正せば、俺が悪いってことになる。
なら自分の尻拭きは自分でしないとな。
「分からないな。勝機なんてない、君が百人いても私に敵うはずがない。だというのに、君は私に立ち向かうと? 素手で、刀を握った私に? 君たちはそれほどまでに深い絆で結ばれているのか」
俺は首を横に振る。
「だろうね。対して仲もよくない幽霊を命をかけて守るなんて……ね。義理も友情も、理由だってない。本当に、それでいいんだね?」
鋭い目が、俺を貫く。
藤坂の言う通り。
何一つ、反論できることはない。
「ああ、そうだな。俺は藤坂の言う通り……ロールのことを何も知らない。何が好きで、何が嫌いで、どんな性格で、どんなことをして生きていたか。何一つ知らない」
「……センパイやっぱり――」
「――だったら、今から知ればいい。藤坂が仲のよさとか義理とかを助けない理由だって言うんなら、俺はこれからの友情やロールと過ごす日々を助ける理由っていうことにした」
妙に臭い台詞だ。
でも、これだけは言っておきたかった。というより、かっこつけたかった。
「ロール、俺が一秒だけでも時間を稼ぐから逃げろ。すり抜けて逃げてけば大丈夫だ」
「……分かったッス」
俺たちの会話を聞いて、藤坂は深く息を吐いた。
ため息というよりも、呼吸を整えるための一息。分かる、これから藤坂は動くってことが。
「残念だ。本当に……」
ゆっくりと瞼を閉じて、藤坂はいつもの調子で言う。
相変わらず彼女の冷ややかな声は藤坂の感情を打ち消していた。それが、一層藤坂という人間の底なし感を強めているんだろう。
「では、行こうか」
そんな言葉が聞こえた瞬間。
藤坂は俺の視界から消えた。人間が消えるわけない。そんなのは分かってる。
でも、本当に消えたんだ!
藤坂は一瞬にしてトップスピードに到達したんだろう。あるいは、踏み込んだ一歩がとんでもなく速いのか。
俺が彼女の姿を目で追った時には、もう藤坂は俺の隣にいた。
だというのに、藤坂は俺には目もくれない。
狙いはただ一つ。
ロールだ。
俺は少しでも彼女の道を邪魔しようとして手を伸ばす。
一秒未満でも、本当に少しの時間だけでも稼ぎたい。だって、そう言ってしまったんだから。
そんな思いで俺は手を突き出した。
刹那、俺の視界は反転する。
それだけじゃなくて、無茶苦茶に揺れ動いて上下左右が一気に分からなくなる。そのあとに来た緩やかな衝撃で、俺はやっと自分が投げ飛ばされたんだと気がついた。
廊下に倒れ込み、けれど俺は藤坂とロールを視界に収める。
逃げるロールに、藤坂が一気に距離を詰めている。
予想の数百倍くらい藤坂は人間をやめていた。
ロールは藤坂から逃げながら下にすり抜けていくが、藤坂は更に加速する。
一歩、一歩、踏み締める度にその速度が際限なく上がっているように思えた。だから、ロールと藤坂の距離はどんどんと詰められていく。
低く下げられた刀が、いやに光る。
「間に合わない……」
直感的に、そう悟ってしまった。
ロールは逃げ切れない。
藤坂は間に合ってしまう。俺が、もう少し時間を稼げたら? 結局、無力じゃないか。
そんな後悔が頭の中に現れる。
でも、今考えるべきなのはもうこれ以上手立てはないのか? ということだろう!
と、自分を鼓舞する。
けれど、どうしようもなく俺に与えられた猶予時間は少なくて、その上状況は絶望的だった。
凡人の俺にどうにかできるはずもなく。
ただ俺は、自分の無力を恨めしく思いながら、ロールが斬られるその瞬間を眺めるしかできなかった。
勢いよく抜かれた刀が、ロールに……。
「はい、ストーップ。舞ちゃん、落ち着いてね」
緊迫した雰囲気を打ち砕くような、妙に間延びした声が響いた。
瞬間、ピタリと藤坂は動きを止める。
一体、この声にどれだけの力があるのだろうか。
丁度、声は俺の背後から聞こえてきているようだった。
だから俺は振り返って声の主を確かめる。
「いやぁ。間に合ってよかった。ちょっと肝を冷やしたよ」
チョークや汚れで黄ばんだ白衣。
ボサボサの髪。
無精髭が目立つ顎。
我が校が誇る不良教師がそこにはいた。
どうして彼が? なんて疑問に思うが答えはすでにでているじゃないか。
ロールは確かに、あのとき言っていた。
長袖の女の子と白衣のオジさんがいたと。つまり、藤坂はあの日この男と一緒に行動していたんだ。
「……先生、私は落ち着いていますが」
「ああ、そうだね。舞ちゃんはいつでもクールだ。クール過ぎる。ま、ボクが言いたいのはそーいうことじゃないんだな、これが。取り敢えず、刀は鞘に……分かった?」
ふらり、ふらりとおぼつかない足取りで彼は歩く。
そのまま俺に視線を向けてうさんくさく笑った。
一方の藤坂はというと、素直に刀を戻している。さっきまでのやり取りが嘘みたいだ。
「私は先生の言葉に従い、成すべきことを成しているのですが、これはどういう?」
「あっはっは。いやぁ、ボクも人間だからさ? それもとびきりできの悪いね。端的に言うと人違いならぬ想造獣違いだ!」
まるで安っぽい劇に出演する二流の演者みたいなジェスチャーで、男は衝撃的な言葉を語った。
「は……はぁぁぁ!?」
ここ数ヶ月で、一番大きな声が漏れたがこればっかりはしかたない。
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