第4話「絶対に断る!」

「ええーっ! なんでッスかぁ! こぉ~んなに可愛い後輩が、こぉ~んなに頭を下げてるんッスよ、もしかしてセンパイって人でなしなんッスか!」


 俺の返答が予想外だったのか、ロールは頬をぷっくりと膨らませてそう言った。

 俺は人差し指と中指、それに薬指を彼女に見えるようにピンと立てる。突如、突き立てられた指を眺めて、彼女はハリセンボンみたいな顔つきで首をコクリと傾げた。


「なんスか」


「まず一つ、後輩じゃないだろ。次に、別にそんなに頭も下げてない。最後に、俺は人でなしじゃない」


 落ち着いて、俺は彼女の言葉を一つずつ否定していった。

 こういうのは冷静に話した方がいいと俺は知っている。感情的になると、相手のペースに呑まれてしまうからだ。


「うーん。センパイ細かいッス! あ、だからモテないんッスね!」

「初対面なのに、だからってなんだ……だからって、俺だってな……」


 そこまで言いかけて、俺は口をつぐんだ。

 うん、確かにモテない。


「図星ッスね」

「とにかくだ!」


 ニヤニヤと笑うロールの言葉を無視しつつ、俺は勢いよくベンチから立ち上がった。

 こんなところでうだうだと過ごしているわけにもいかない。俺は暇……だけど、もっと有意義な時間の使い方を知っている。


「俺は家に帰る。悪いが、俺に手伝えることはなさそうだ。他を当たってくれ」


 それだけ彼女に伝えて、俺は帰路についた。

 俺だって、ロールの力になりたいとは思う。けれど、俺にできることなんて限られている。

 その上、幽霊を人間に戻す方法なんてこれっぽっちも分からない。

 唯一分かることと言えば、凡人の俺じゃ何もできないことくらいだろう。


「なんでッスかー! 自分、センパイしか頼れないッス~!」


 俺の前に立ち塞がって、ロールは両手を目一杯広げた。

 だが、俺はそんな彼女を無視してそのまま通り過ぎていく。

 半透明なロールの身体は、その努力空しく俺を止めることはできない。それでも、ロールは諦めない。

 空を飛んで、俺の隣を併走しながら熱弁を振るう。


「困ってる美少女を助けると思ってどうにか~、ならないッスかね? エヘヘ!」

「自分で言ったらおしまいだろ……というか、どうして俺なんだ?」


 急に可愛い子ぶるロールにツッコミを入れつつ、俺は純粋な疑問を彼女にぶつけた。

 ロールは首を傾げて、空中で一回転してみせる。

 悩んでいる様子を見せるロールに俺は追撃を加えた。


「俺みたいな凡人に無理難題を持ち込んでもしかたないだろ?」

「確かに、センパイは平凡と凡人と凡庸が煮詰まって凝り固まったような普通の人ですけど――」

「――誰もそこまで言ってない!」


 ぴしゃりと、俺は彼女の言葉を遮った。

 まぁ、否定はしないけどさ!


「でも」


 ロールはニッコリと、満面の笑みを俺に向けて続ける。


「センパイは自分を助けてくれました。誰よりも、お人好しッス」

「……」


 邪気なんて一切感じさせない声色と、真っ直ぐな瞳。

 俺はそんな無邪気なものを見せつけられて、思わず黙ってしまった。なんて、素直な人間(幽霊)なのだろうか。

 子供のような無邪気さが、ロールの魅力なんだろうな。


「何を言っても、手伝わないけどな」


 そんな言葉に負けぬように、俺はロールに言葉を伝えた。


「ガーン! せっかく褒めたのに! 褒め損じゃないッスか! 返して欲しいッス!」

「あのなぁ」


 適当にロールの言葉をあしらいつつ、俺は自宅を目指す。

 ふと、赤信号で立ち止まる俺たち。人型の真っ赤な信号を見れば、思い出すのはあの恐ろしい鬼。

 思わず、足が震えた。

 あんなに命の危険を感じたことは俺の人生において一度もない。


 思い返すだけで、心臓の鼓動が早くなった。


「センパイ、赤鬼のこと思い出してるッスか」

「……ああ。あんな怪物、今でも存在しているなんて信じられない」


 信じたくもない。

 自分の町に怪物がいると知って、嬉しい人間なんているだろうか。……いるかもしれないが、少なくとも俺はそうじゃない。

 だけど、確かにあれは存在していた。

 あれが何で、どうしていたのか、その正体は?

 色々と、疑問が湧く。

 でも、多分誰も分からないことなんだろう。そう結論づけた。


「センパイって、子供の頃に鬼を信じてたッスか?」

「突然だな、でも親の言葉にビビッてたかも……? アンタ、それ以上ワガママ言うとこわぁ~い鬼が来ちゃうからね! なんて子供騙しに引っかかってたなぁ」


 誰だって、子供の頃は両親のそんな言葉を真に受けていたと思う。

 サンタクロースはいるし、オバケもいた。当然、鬼も……。


「そうッス。あの鬼は人に信じられているから、具現化した存在ッス」

「……は?」


 そこまで聞いて、信号が赤から青に。あの独特な音楽が聞こえてくる。

 人気の少ない道で、ロールは俺の先を浮きながら鬼の正体について種明かしを始めた。


「この町の名物でしたっけ、あの大きな樹。あれって普通の樹とは全く別なんスよ。具体的に言うと、人の心のエネルギーを栄養にしてるとか」

「そんなこと、この町に住んでて今初めて聞いたな……」


 背後に見える樹に一度視線をやって返事をした。

 世界一高い樹なんだし、そんな不思議な生態があったとしてもなんだか納得できる気もするが……。でもそれと鬼の正体、なんの関係があるだろう。


「取り過ぎた心のエネルギーをあの樹は変換するらしいッス。変換先というのが……人々に信じられた、何かッス」

「……?」


 そこまで聞いて、なおも俺の脳は理解を拒んでいた。

 内容が、分からなかったわけじゃない。でも、あまりにも現実離れしたその話は、俺みたいな凡人がするりと飲み込むことは難しかった。


「つまり、あの樹が鬼を生みだしたってことだよな?」

「そうッスね」

「なるほど……」


 しっかりと首を縦に振る。

 ちょっとだけ、理解することができた。

 しかも、一番重要そうなところを。


「というか、なんでそんなこと知ってるんだ?」

「さぁ、なんででしょうねぇ~?」

「はぐらかすなよ。余計に気になるだろ」


 しかし、ロールにそのつもりは一切ないらしい。

 首を横にブンブンと振り、ロールは続ける。


「まさか! 自分、アレなんッスよ……」

「アレ?」

「……記憶、ソーシツッス」


 少し言い難そうに、言いよどむロール。

 記憶喪失。

 彼女は確かにそう言った。

 記憶喪失の幽霊。なんか、話がややこしくなってきた気がするぞ。


「じゃあ、自分が幽霊になる前は何をしてたとか全部……?」

「もちろーんッス! 綺麗さっぱり、サラッサラに全部忘れちゃったッス!」


 なぜかロールは得意気に胸を張る。

 今は得意気になる場面ではないとは思うが、落ち込まれるよりはいいのかもしれない。

 というか、余計にロールのお願いが無茶なものになったつもりがする。


「じゃあ、ロールはどうやって人間に戻るつもりなんだ?」

「うーん、分からないッス!」


 元気はつらつとしたその返事を聞いて、俺はもう一度自分の意思を固めた。

 やっぱり……。


「絶対に断る!」

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