第3話「幽霊娘と凡人と」
ふと目を覚ませば俺はベンチに座っていた。
ここはどこだろう。
視界に入ってくるのは、夕陽に、噴水に、等間隔に配置されたベンチ。地面は美しく舗装されており、四方に伸びる道路は広々としている。
ああ、ここは公園だ。
そう理解して、俺は空を見上げた。……正確には空を見上げたわけじゃない。
「やっぱり……大きいなぁ」
そんな言葉が漏れたのは、遙か遠方に位置しているのに目の前にあると錯覚してしまうほど、存在感がある樹を見たからだった。
世界一巨大な樹。
この町の名物として何十年も観光業を支えてきた御神木だ。
この公園も確か、樹が綺麗に見られるように整備されていたはず。
正面に樹を見据えることができる特等席。
素晴らしい眺めだ。
だけど、それよりも俺は気になることがあった。
「なんで俺はここで寝てるんだ?」
思わず言葉に出てしまうほど、この疑問は大きなものだった。
だって、俺は確か鬼に追いかけられて、それで助けられて……どうしたんだっけ?
そこからごっそりと記憶が抜け落ちてしまっている。あのあとに一体なにがあったんだろう?
「それはセンパイが気を失ったからッスね。夏なのに長袖の制服を着た女の子と、白衣のオジさんがセンパイのことをここまで運んでたッス!」
「へぇ~、そうなのか……」
なるほど、やっぱり俺は気を失っていたらしい。よくわからない二人組……ん?
あまりにも自然で気がつかなかったが俺は誰に返事をしたんだ!?
きょろきょろと左右を確認する。
右、緑溢れる公園が美しい。
左、幸せそうな子連れの家族が。
じゃあ前? 巨大な樹と噴水のコントラストが素晴らしい。
……後ろか! ベンチの背もたれしか見えない。
「ぷぷっ、センパイ上ッス、上!」
どこを探してもいない誰かを探す俺を見て、その誰かは元気よく笑いながらそう言った。
この公園の中で上にあがる場所なんてなかったはずなんだけど。
そう思いながらも、取り敢えず俺は声に従って空を見上げた。
すると……俺は言葉を失ってしまう。
今日だけで信じられない光景を幾度となく見てきたが、今もまたそんな状況に直面してしまっている。
「どうしたんッスか? そんな驚いた顔して~、もしかして自分の可愛さにビビっちゃったとか!」
空中を浮遊して、俺を見下ろす一人の少女。
女の子にしてはやけに短い白色の髪と、ボーイッシュな服装。
この子は紛れもなく廃ビルで鬼に襲われていた少女で、そんな少女が空にいたんだから驚かないわけがない。
俺は口をポカーンと開けて、ただ空にいる少女の姿を見つめる。
妙にズレた言葉にさえ、今は突っ込む気になれなかった。
ただ、そこにいる少女に視線を奪われている。彼女の姿を眺めて、俺は今の現実をどうにかして受け入れようとしているんだ。
ふぅ、とため息を吐いて落ち着こう。
あの怪物を見たあとなんだ。空飛ぶ少女が何だってんだ。……いや、やっぱりヤバいな。
「ありがとうッス! センパイのお陰で自分は命拾いしたッス。いやぁ~、あのときはもうダメだっ! って思ったんッスけどね、センパイが颯爽と現れてくれて良かったッス!」
軽快に宙を回転し、俺の隣に寄ってくる少女。
よく見れば、身体が半透明な気がしないでもない。それよりも俺の興味は彼女の話す話題の方に向いていた。
「いや、俺は別に助けたわけじゃ――」
「謙遜ッスかぁ~? このこの~! 自分のことを助けたに決まってるじゃないッスか! タイミング完璧でしたよ!」
俺の言葉を遮って、彼女は両手を空に大きく広げて話す。
健康的な小麦色の肌と、悪意の一切ない笑みが彼女の雰囲気に似合っていて、悪い子じゃないんだろうということがひしひしと伝わってくる。
だからこそ、俺は余計にばつが悪かった。
だって、俺は別に彼女を助けようと思って行動したわけじゃない。
結果的にそうなったってだけ。
なのに、こうも馬鹿正直に御礼を言われて、これでもかと感謝されたら……もう申し訳なさがこみ上げてしまう。
ここでドヤ顔で、どういたしまして! なんて言えるほど俺の面の皮は厚くない。
「おっと、御礼を言うことに夢中で自己紹介もまだでした、申し訳ないッス。自分はロールッス! 現役バリバリの幽霊ッス! 気軽に、ロールちゃんって呼んで良いッスよ~」
「待て待て、さらっと重要なことを言わないで欲しい」
この子は何さらっと自分のことを幽霊って言ってるんだ?
幽霊ってあれだよな、白い服着て、顔も白くて、それでなんか怖い奴!
それがどうだ、ロールと名乗る少女はそんな幽霊らしさなんて微塵もない。でも、空を飛んでいるし……身体は半透明だし……そう言われればそんな気がしないでもなかった。
「え? ロールちゃんって呼び方ッスか? あぁ、もしかしてセンパイ照れてます? 大丈夫ッスよ~! 自分、気にしないッスから!」
「いや、幽霊の方……」
彼女のテンションの高さに若干置いて行かれつつも、俺は言葉を訂正する。まだ合点がいってないように、ロールは首を傾げた。
「え、だって幽霊ってのは見たら分かるじゃないッスか。ほら、空飛んでますし! 身体だって半透明、オマケに……」
そう言って、彼女は俺の左胸に向かって手を伸ばす。
手が俺の身体に触れかけた瞬間、半透明な彼女の手は俺の左胸を貫通した。
「え……え?」
その光景が衝撃過ぎて、言葉を詰まらせてしまう。
俺はロールの顔と、胸を貫く手を交互に見て硬直した。
「こんな感じッス。自分、身体スケスケなんスよ」
そのまま、腕を上げてロールは語る。
ね? 幽霊でしょ?
とでも言いたげだ。確かにこれを見せられたら、彼女が幽霊と信じざるを得ない。
でも……。
「見たら分かるけど……信じられるかは別だからな」
「そういうもんッスか? 目の前で起きたことは信じるしかないッスよ」
「いや、それでも頭が否定するというか……だって、鬼のことだってまだ夢だと思っている自分もいるし」
ロールは勢いよく首を横に振る。ブンブンという音が聞こえて来そうだ。
「あれは夢じゃないッスよ! あの鬼はそこにいたッス! まぁ……刀を持った女の人に斬られてましたけど」
「……」
ロールの言葉が呼び水となって、俺の脳裏に少女の後ろ姿が蘇る。
今の時代に似合わない、日本刀をぶら下げた彼女。
彼女こそ本当の意味でのロールの命の恩人だし、俺の命の恩人でもあった。
「凄かったッスよ~! もう、一瞬ッス。あんなに恐ろしくて強そうな鬼が気がついたらで六等分とかになってたッス。そりゃあもう、豆腐みたいにスパスパと――」
ロールが興奮気味にあのとき何が起こったかを語ってくれる。
俺が瞼を閉じている一瞬の間に、そんなことが起きていたのか。
「もう、カキンカキンのガコンガコンでグエグエのズッバズッバでしたよ!」
「最後の方はわけが分からなかったけど、それは凄そうだな」
刀を振る仕草や、斬られて苦しむジェスチャーを交えてロールはあのとき何があったかを教えてくれる。
「そうッス、凄かったッス!」
両手で握り拳をつくって、目をキラキラと輝かせるロール。
まるで大作映画を見たあとの子供みたいだ。
俺はそんな彼女の姿を見ながら、自分の疑問を口に出す。
「結局、あの鬼は何だったんだろうな」
「センパイ、それも知らなかったんッスね?」
「ロールは知ってるみたいな言い方だな」
力強く頷いて、彼女は胸をこれでもかと張り上げた。
「もーちろんッス! 自分、物知り幽霊ッスから! でも、それについて話す前に……どうしても聞いて欲しい自分のお願いがあるッス」
真剣な眼差しで、ロールは俺を見つめる。
俺がそれを聞くとか聞かないとかいう間もなく、ロールは自分のお願いとやらを話し始めた。
「自分のお願い、それは……」
そこで、数秒の間があった。
風が頬を撫でる。
ロールは俺を真っ直ぐ見つめて、
「自分を幽霊から人間に戻るのを手伝って欲しいッス!」
そんなお願いを俺に言ったのだった。
俺の答えは、決まっている。
「絶対に……断る!」
優柔不断と自分のことを認識している俺だが、この答えだけはすぐに出た。
それだけ俺にとってそのお願いは、無茶なものだった。
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