第2話「鉄仮面な生徒会長」

 人が詰め込まれた体育館。手短に終わらされるという目標のもと、俺たち生徒はかれこれ十分は立ちっぱなしのままだった。

 俺、亜月日々あつきひびは一文字目が、あ、だったために先頭に立たされている。

 壇上で語られるのは、終業式に当たっての注意点やら何やらだ。正直、そんなこと言われなくたってもう分かっているという気持ちしかないのだが……。


 多分、ここにいるほとんどの生徒がそんな話、欠片も聞いていない。ひそひそと後ろから聞こえてくるのは、今日の昼ご飯をどうするかとか、夏休みをどう過ごそうか、そんな会話ばかりだったからだ。

 かという俺は、そんなことを話す友達とも離れてしまい、ただ前を眺めて時が過ぎるのを待っている。

 少し寂しい。


「さて、最後は本校の生徒会長から夏休みにおける学生の過ごし方について話して貰います」


 そんな言葉が聞こえれば、ひそひそ話も息を潜めていく。

 それは、一重にこれから姿を見せる級友が特別だからに他ならなかった。


 壇上の裾辺りから姿を見せるのは、一人の少女。

 彼女が一歩足を動かす度に、長いポニーテールがふわりと揺れた。白い肌は精巧なビスク・ドールを思わせる美しさで、その佇まいは上品という他ない。

 しんと、静寂に包まれたこの場に響くのは彼女の足音のみ。


 かつん、かつん。

 何度かその音が繰り返されると、少女は壇上の中央に到達した。

 方々に一礼をしてみせたあと、彼女は総数三百人以上はいるであろうこちらへと顔を向ける。

 そこに、緊張の色はなかった。

 いや……。

 そこには、感情の色がなかった。


「二年一組、生徒会長……藤坂ふじさかまい。今までの先生方のお言葉にもあったとおり、夏休みは楽しくも自制が必要な期間となるでしょう」


 淡々と、あまりにも平坦なその言葉はまるで合成音声のようだ。

 まるで、最初からこう喋るようプログラミングされた機械のように、藤坂は自分に与えられた役目をそつなくこなす。


 お世辞にも、俺が通う高校は頭がいいとは思えない。

 でも、この学校にも何か誇れるものがあるとすれば……それは藤坂舞が入学したことだと誰もが口を揃えて言う。

 彼女は超人だ。

 走らせれば男子すらも追い抜き一位。

 テストは百以外の数字を見たことがないとか。

 オマケに容姿端麗。

 隙がない。というよりもどうしてこの高校に入学したのかすら分からない。

 だから、どうしたって注目の的になる。


「相変わらず鉄仮面だなぁ……」

「しっ、聞こえるぞお前」


 どこかからか、そんな声が聞こえた。

 鉄仮面。

 それが、藤坂舞のあだ名だった。

 完璧過ぎる人間に与えられた唯一の短所。いや、それすらも弱味を見せないという点においては長所なのかもしれない。


 ――曰く、藤坂舞という少女は笑顔を見せたことがないという。


 笑顔どころか、怒り、悲しみ、そういった感情を何一つ見せたことがないんだとか。

 そこからつけられたあだ名が鉄仮面。

 正直、俺もピッタリだと思う。


「一年の時は話題になってたよなぁ。女子部の助っ人に入ったら助っ人の癖にレギュラーよりもうまかったんだろ?」

「それどころか、連戦連勝。助っ人がトロフィー獲得したなんて笑えねぇよな」

「最近は助っ人に呼ばれてないみたいだけど?」

「そりゃ、プライドがあるだろ。毎日練習してる自分と、助っ人とはいえポッとでの素人、そんな素人に負けたら悔しいなんてもんじゃない」

「まぁ、どっちにしろ……」


 ひそひそ話も藤坂のことばかりだ。

 彼女という存在は、この平凡な高校においては比較にならないほどに輝いて見える。

 でも、同時にそれ以上に異質な存在でもあった。

 最初こそ、その輝きに寄せられて色々な人が寄りついていったが……太陽に近づけば身を焦がす。

 やがて、藤坂舞という存在は不可侵のものとなった。

 太陽を見上げて、今日もいい天気だと言うように。

 俺たちも、彼女を見上げてこう言う。


「今日もすげぇなぁ」

「今日も凄いね」


 これが、凡人に許された言葉である。

 藤坂の、氷のように冷め切った言葉がただひたすらに体育館に響いた。



 ようやく、終業式が終わって教室から解放された。

 今日から夏休み、沢山用意された宿題は憂うつだが……それを補ってあまりあるほどに夏休みは素晴らしいものだ。

 俺はそんなことを考えて靴を履き、校門を目指す。

 そんな時だった、ふと、脇道に視線を向けたのは。……誰だって不意に視線をあらぬ方向に向けてしまう時がある。俺もそうだ。

 自然と、俺はそちらを見ていた。

 そこには、藤坂舞がいた。

 それだけじゃない、彼女の周りをガラの悪そうな男子四人が取り囲んでいる。


「あれは……」


 俺は、立ち止まってその様子を眺めた。

 あの四人はこの学校で唯一といってもいい不良たちでしかも、一個上。

 そんな彼等が藤坂に何の用だろうか。

 藤坂と不良たちは連れ添って体育館裏へと行ってしまった。それを見て、ああ、仲が良いんだなぁ。なんて思う馬鹿はいない。

 あれは、藤坂が不良に絡まれているってことじゃないか!


 俺は急いで、後をつけた。

 体育館裏は、人気がすくなく悪いことをするにはうってつけの場所だった。普段から彼等のたまり場になっているという話もよく聞く。

 だから、普通の生徒は誰も寄りつかない。

 そんな場所に、藤坂が連れ去られたとなれば、考え得る可能性は一つ。

 何か、よからぬことに彼女が巻き込まれている……ということだった。


「お前、なんで呼ばれたか分かってるよな?」


 物陰に隠れて、奥の様子を窺う俺の耳をつんざいたのは不良のリーダー格の怒号だった。

 明らかに、穏やかな様子ではない。

 俺は、固唾を呑んだ。


「思い当たる節はある。しかし、責められる謂れはないと思うのだが」


 自分よりも体格のいい男四人に囲まれてもなお、藤坂の調子は崩れなかった。


「っざけんじゃねぇ! お前がセンコーに俺たちが煙草を吸ってるってチクったんだろうが!」


 藤坂の背後にたった金髪の男が、地面を蹴り上げて怒りを露わにした。

 俺が言われてるわけじゃないのに、身体がビクリと震えてしまう。そんな俺とは違って、藤坂は至極落ち着いた様子で金髪に視線を向ける。


「……質問に正直に答えたまでだ。君達のために嘘をつく気にはなれない」

「……ふざけたことを言いやがって!」


 今にも、男は藤坂に掴みかかりそうな勢いだったが藤坂は話を続ける。


「そもそも、校内で喫煙をすること自体が愚かしい行為だとは思わないか? 自業自得だ。用は済んだかな? 済んだのなら……私は失礼しよう」


 やはり、そこに感情はなかった。

 あるべきはずのものが、抜け落ちている違和感。

 俺なんて、見ているだけでも恐ろしいのに、どうして藤坂はああまで平気そうなのか。

 ただ、不良たちが素直に藤坂を帰すわけもない。


「待てよ、お前そんな舐めた態度で帰れると思ってんのか?」

「俺たちが、女相手に手を挙げないと思ってたんだろ!」


 だよな。

 予想できていた流れを見て、俺は飛び出して藤坂を守るべきかと悩む。

 このままだと、藤坂が危ない。

 でも、俺が出て行って何になるんだろうか。

 喧嘩で勝てる? 無理!

 俺は喧嘩だってしたことがないんだぞ!


 じゃあどうする?

 どうするべきなんだ、俺は。


「じゃあ、君たちは女性に手をあげる最低の人間だと自分を卑下しているということだな」

「まずは一発殴って、その余裕ぶった顔を歪ませてやるよ!」


 そんな風に足踏みしていると、猶予時間がなくなってしまったらしい。

 リーダー格の男がその拳を振り上げて、藤坂へと振り降ろす。

 男の俺でも、あんな風に殴られたら一発でノビてしまう。いくら藤坂が完璧で特別だからといって、腕力で男に敵うわけがない。


 俺は思わず目を逸らした。

 けれど、男の拳は藤坂に届くことはなく。

 代わりに男は、地面を無様に転がるハメになった。


「は?」


 取り巻きたちの素っ頓狂な声が聞こえてくる。

 俺も目を疑った。

 だって男が藤坂に拳を振り降ろした瞬間、男は投げ飛ばされていたのだから。

 理屈としては信じられるし、何が起こったかも理解出来る。

 だけど、目の前でそれが起きたという事実が信じられなかった。


 こんなことが現実にあり得ると思わないだろ?

 不良を悠々と投げ飛ばしてしまう同級生がいるなんて!(しかも、女子なんだから)


「自分よりも背丈が小さいからと、侮るとこうなってしまう。また一つ学びを得たな。君たちみたいな輩は、実際に体験しなければ学習しないだろう。では、今度こそ失礼」


 何事もなかったように話す、彼女の声はやっぱり平坦だった。何の感情もそこには込められておらず、そう話す必要性があるから話す。

 そんな無機質な印象を受ける。

 そのまま、彼女は男たちに背を向けて一歩、二歩と歩み始めた。

 その堂々たる姿は、まるで王者の如く。


 そんな彼女を見て、残された三人の男たちは拳を構える。

 どうやら、彼等は諦めていなかったらしい。真正面から勝てないのなら背後から……実に効率的だが小物っぽい。

 しかし、現実の喧嘩においてはもの凄く合理的でもある。

 背後に目がついている人間なんていない。なら、相手が気がつかない状態で殴れば、勝てる。どれだけ強かろうと関係ないのだ。


「それと、背後から襲いかかろうなんて考えも捨てて欲しい。私は、いくら君たちが私を襲うからといって、これ以上学友を傷つけたくないんだ……分かってくれるね?」

「……」


 ふと足を止めて、不良たちに釘を刺す藤坂。

 彼等は目を見開いて、顔を見合わせた。正直、俺だって同じ気持ちだろう。

 多分、彼等の思いはこうだ。


 アイツ、後ろに目でもあんのかよ……。


 同意だ。

 全くもって同意だ。

 あり得ない。こんなの、人間業ですらない。

 それに、言葉自体は優しいのにどうしたって彼女の言葉は本来あるべき温かみが一切なかった。

 機械音声ですら、感情を見せる昨今。人間の言葉とは思えないほどに。


 俺は、こちら側へと歩いてくる藤坂の姿に釘付けとなっていた。

 正直、憧れてしまう。本当にああなれたらいいのになと思ってしまう。

 だけど、なれるわけがない。

 俺みたいな凡人と、藤坂みたいな超人は最初からそうあるべくして生まれてきている。


 だから、逆立ちしたって。

 何をしても。

 多分、俺は藤坂のようになれないし、藤坂も俺みたいな平凡にはなれないのだろう。

 なんと、残酷なのだろうか。

 思わず、ため息を吐いてしまいたい現実。

 でも、そんなのは分かりきっていたから。俺も、彼女を見上げてこう言うんだ。


「……凄いな」


 と、言葉が零れた瞬間だった。

 彼女の茶色の瞳が俺の方へと向けられて……目が合った気がする。

 瞬間、なぜだか俺はそこから全速力で離れていた。

 自分の姿が見られたから? ずっと眺めていたのがバレて助けにいかなかったのがバレたから?

 分からない。けれど、俺は逃げた。

 それだけは事実だ。


 一頻り走った俺を藤坂は追いかけることはなかったと思う。(近くにはいなかったし)

 そのまま帰路についたわけだが、そこでも俺はあり得ない光景を目にした。

 何者かが、空を飛んでビルの中へと入っていく。

 そんな馬鹿げた光景を見てしまった。

 だから、俺はその飛んでいた何かを追って、廃ビルの中を目指す。

 まさか、そこで俺の人生史上ぶっちぎりでヤバい状況に出くわすとも知らず……。

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