第40話 サティナのジレンマ
宮廷に出仕するというのは、カールにとって、とても胃の痛くなる行事だった。
一度宮廷魔導士となってしまえば、年の大半を過ごすのは王宮ではなく、提携している出先の機関であったり、割り当てられた市や群、村など王家直轄の領地にある都市群の医療機関だったりする。
カールの場合、宮廷魔導師の一翼である治癒師の最高位、【撃癒】を習得しているため、彼が受け持つ患者はその多くが上級貴族であったり、富裕層であったりする。
そして彼らの多くは王都の内壁地区に屋敷を持ち、そこに滞在しているからカールは自分の屋敷で、依頼人がよこした家人を待つことが多い。
緊急を要する場合はほとんどなく、その多くが定期的な診察を行うに止まっていた。
ただ中には、今回の旅でカールが訪れたように随分と遠方の貴族を治療しに行くこともたまにはある。
それ以外の場合、カールは自宅でのんびりと趣味である武術に勤しんだり、絵を書いたり医療の知識を深めたりして時間を過ごしていた。
多くて月に、二度。
少なくて半年に一度、というときもある。
撃癒師になり、宮仕えを始めてはや二年。
そろそろ、二回目の冬を、カールは妻たちとともに、王都の自宅で迎えようとしていた。
それはさておき。
「どうしました? 顔色が悪いですよ」
「うん……。いや、なんでもない」
銀髪の新妻は、どこか不安を抱えたような顔をする夫を見て、口元を片方に寄せた。
これはサティナがなにか疑問を覚えたみせる癖のようなものだ、とカールは最近、気づいた。
普段、自分以上に無口な妻だが、こうやって深く寄り添えば、多彩な表情をするのだと彼女の新しい側面を発見するたびに、小さな嬉しさが心に舞い込む。
今回もそうやって口元を寄せるものだから、カールは知らずの知らずのうちに、心が穏やかになっていくのをようやく自覚する。
「人付き合いが、ね」
「ああ。ここを見るといいですよ」
ここ、とサティナは自分の形の良い鼻のあたりを指差した。
すっと通った鼻梁と、ふくらんだ唇がカールの視線を独占していく。
その唇に触れたい、と感じたがいまは我慢することにした。
隣で座るローゼに、じろりといやらしいものでも見るような目つきをされたからだ。
誤解を与える前にさっと視線を逸らすと、ふっと鼻で笑われてしまった。
どうやら、第二の妻の心にも幾ばくかの余裕が復活したらしい。
これから賑やかになりそうだ、と未来を予見しながら、カールはサティナの言うとおりにしてみようと思った。
「ふーん。分かった、やってみるよ」
「前の夫の一人は、あなたよりももっと人見知りが激しかったわ」
「そうなんだ」
「だからあなたの不安も、彼と比べるわけではないけれど、なんとなく私には分かります」
「あー……うん。なんだかね、全くもって役に立ってないみたいで、王宮にいることも怖く感じるときがある」
そこまで言い、これ以上、妻に甘えるのは止めた。
ローゼがさきほどとは一転して、辛そうな顔をして見せたからだ。
その意味が分からず、少年はサティナを見た。
まだまだ人生経験の乏しい自分では、大人の女性の心の機微を感じ取るには、すこしばかり難しい。
気持ちを代弁するかのようにサティナがそっと教えてくれた。
「気にされているのだと思います」
剥奪された身分のこと。
それは助けてもらったこと。
今はカールのそばにいなければ命が危ういということ。
そのどれもが、知らなかったとはいえ、ダレネ侯爵に利用された結果だと、ローゼは悔やんでいる。
いまからその一つを解決しようと、カールは王宮に向かうのだ。
彼の胃痛の原因になっていることを、ローゼは恥じていた。
「まあ、これだけじゃないから。どっちにせよ、行かないといけないんだ。伯爵の治療報告もあるしね」
「伯爵? どちらの伯爵様?」
「タータム伯爵」
「下ってきたトランダム河の中流域、ロゼン街道の真ん中ほどにある、グレンタータム市を中心に、あの土地一帯を管理している……」
そういえば、あのダレネ侯爵が何か言っていたな。
あの辺りは彼の持ち物だとか、なんだとか。
上司であるボルドネン侯爵には先立って、官舎に常備されている通信魔導具で報告をしてあるが、やはり王国にダレネ侯爵という人物はいないと、返信を受け取ったばかりだった。
「ああ、地方領主の方ですか」
「そうだね。知り合い?」
「いいえ、お名前を聞いたことが船の中であった記憶があるくらい」
それくらいだったはず、とローゼは記憶を確かめるように、視線を上へとやった。
やはりそれ以外の記憶は思い出さないらしい。
小さく顎先を二度ほど縦に動かしていたから、まあそういうことだろう。
「僕が今回、あの地方に行くことになった理由は、タータム伯爵様を治癒することだったから。その報告もしないといけないんだ」
「そういうことですか、ご迷惑おかけします」
「引き受けてしまったのはしょうがないよね」
仕方がないという方にはちょっと語弊がある。
なんとなく表現を間違えたなと思ってカールは言い直した。
「ローゼ、これからサティナと三人で家族になるから。どうかよろしくね」
「……はい」
驚きと戸惑いの表情がローゼの顔を彩る。
その二人のやり取りを見て、サティナは微笑ましい光景だと思いながら、ちょっとだけもやっとするジレンマも抱えていた。
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