第39話 永世貴族になりたくて
王都の桟橋は巨大で、いま入港したカールたちの乗る船よりもさらに巨大な帆船や鉄鋼船、魔導エンジンを搭載した機械船などがひしめいていた。
この船にはもちろん魔導エンジンが搭載されているのだが、性能よりも景観を重視したつくりの為、そんなに馬力は大きくない。
水面に浮かべる船には、水面の深さも関係なく運河を上がったり下ったりすることができる。
問題なの点は、あのヘイステス・アリゲーターのような、巨大な伝説級の魔獣に遭遇する機会は、ここ数十年でめっきりと減ったことだ。
そのために本来であればもっと速い速度を出してあの危険水域から立ち去ることができたはずのこの船は、ろくでもないトラブルに巻き込まれてしまった。
もっともそのおかげで、イライザやケリーと出会うことができたし、サティナに新婚旅行にも相当する旅をブレゼントできた。
とはいっても、それはダレネ侯爵との対立や、新しく第二夫人としてローゼを迎えることになってしまったのだが……。
「私荷物を引き取ってきます!」
預けてある馬と、そこから降ろした荷物をまた積み込ませて、引きだしてこなくてならない。
それは普通、下男の仕事だ。
しかし、カールは部下を連れて旅をしてこなかった。
「二人で行こう。……ローゼも一緒に」
「私はどこまでもお供いたしますので」
硬く元船医はそう言うと、黙って二人の後に続いた。
「なんだか気まずいですね」
「仕方ないよ。目覚めたらいきなり王都なんだもの」
第二夫人と呼ばれ、船長達にそれを祝福されはしたが、内心、ローゼは嬉しそうではなかった。
無理もない。つい先日まで愛していた男に都合良く道具のように扱われ、身分まで奪われて殺されそうになったのだから。
その無念と怒りは、死んでも尽き果てないかもしれない。
邪険な扱いをするわけにもいかず、かといって、イライザのようにお菓子を与えておけばにこにこして着いて来そうな、感じでもない。
扱いに困って放り出したと言われるのも嫌だから、本日はサティナになるべく所要を任せ、カールはローゼと腕を組んで歩くことにした。
まあ……。
腕を組んでいるというよりは手をつないでいるというほうが。
歳の離れた姉に年下の弟が面倒を見てもらっているように映るのは、この際、我慢しようとカールは決めた。
「奥様があちらで用事をなさっているのに、自分だけこんな」
「いいから。今日はこれでいいって、サティナが言っていた」
「……奥様には気を遣っていただいてばかりで」
そんなこと繰り言のように繰り返すものだから、聞くに耐えないとカールはちょっとだけ指摘する。
「ローゼさん……いや、ローゼ」
「はい、旦那様」
「そうやって僕のこと呼んでくれるんだから、僕以外の方に目を向けないでほしいんだよね」
「それはどういう意味……」
「過去を忘れるなんてことは絶対に言わない。僕にも辛い過去があるから。いやいろいろとあったというかまぁそれはどうでもいいんだけど。後ろばかり向いてるといつか仕事につまずいて転げてしまうよ?」
「私そんなに?」
と、ローゼはサティナが船員に手伝ってもらい、荷物を二頭の馬に載せるのを見ながら、呆然となってそう言った。
どうやら本人には自覚がなかったらしい。
そうだよ、とカールは肯定する。
「そばにいる時はこけても支えるけれど」
「はい」
「ひとり、これは離縁とかそういう意味じゃなくて。自分一人で何かしている時とかに、いつもそばにいてあげられるとは限らない」
「それはそうですね……」
「だから、さ。ほんの少し前までローゼは自分の足で歩けてやりたいことも全部やれていたでしょ。すぐにそのなれとは言わない。僕とサティナがそばにいる。ローゼも必ずどちらかといるようにしてほしい」
「それは、なぜ? 私にも孤独の時間は必要です」
「密着しろって言ってるんじゃないよ。同じ部屋とか同じ屋敷の中とか、どこかで、君がいるって事を僕たちが忘れないようにしていこう。そうすれば……」
格好良く決めようとして、それが出来ない自分に気づき、カールは赤面した。
どうしましたか、とローゼは首を傾げる。
荷物を積み終えたサティナがそのやり取りを遠くで聞いていて、したり顔でこちらに寄ってくると暴露してしまった。
「一人から二人に増えた妻たちとの、夫婦生活を円満にできる。ではないですか?」
「サティナ! どうしてそう言いづらいことを簡単に言っちゃうのさ!」
「そうね……何度も結婚と離婚を繰り返していればそうなります」
「まあ!」
第一夫人の結婚観に、今度はローゼが驚く番だった。
かといって、根掘り葉掘り、ここで訊くわけにもいかない。
顔を赤くするカールを他所に、サティナは屋敷で話しましょうか、とにこやかにその場を終わらせた。
カールの官舎は王都の西側にある。
王都は三重の内壁と五重の外壁は丘を切り崩して作られた人工の段差になっていて、その下に王都が放射状に広がっている。
まがりなりにも一代限りとはいえ、男爵位にあるカールは、伯爵以上の階級が住まう内壁の一段下。
五段目に当たる階層に、屋敷を与えられていた。
三百メートルちかい傾斜を、蒸し暑い晩秋の陽ざしに当てられながら、三人は馬と辻馬車をつかい、波止場から官舎へと移動する。
サティナの極彩色の民族衣装は道を行き交う人々の目を止め、彼女が自ら騎乗していることも王都では物珍しいらしく、人目を集めていた。
「官舎って……これですか?」
「そうだよ。思ったより小さかった?」
「いいえ、その逆です」
その感想はローゼも同じようだった。
地方役人になった知人の家を訪れることも多い彼女は、官舎と聞くと、三階建てや四階建てのマンションのような集合住宅をイメージしていたらしい。
地方ではそれが当たり前だし、それでも部屋数は六室は最低あって、独身の友人は持て余して困ると言っていた。
それに対して、カールの案内したその場所は、ちょっとした商店ほどの広さを持つ、背丈より高い、バベの木壁に囲まれた瀟洒な建物だった。
ある意味、豪華だと言ってもいい
オレンジ色の屋根はここだけだが、同じような作りの屋根と建物は、段の下にたくさん見え隠れしている。
鉄柵がついた門を抜けると、二階建てのそれは横に狭く、奥に広い構造になっていた。
裏には厩舎があり、水も井戸から汲み上げることなく、上下水道が整備されている。
蛇口を捻ればいつでもそれが出てくることに、サティナは感心しきりだった。
荷物を解いて玄関へと下ろし、サティナはそのまま馬を手入れしに行った。
カールは先にローゼを伴い、中を案内する。
とりあえず、夫人二人には客間を与えることにして、カールは荷ほどきが終わった彼女たちと、リビングルームでテーブルを囲い、一服した。
熱い紅茶が、疲れを癒してくれる。すっと鼻梁を抜けるミントの香りが、頭をすっきりとさせてくれた。
そんななかで、驚きを隠せないようにサティナはそっと言う。
「旦那様って本当に貴族だったんですね」
「どういう意味かな? 僕は僕の代で終わりだけど、もし子供が宮廷魔導師の資格試験に合格したら、その代から永世爵位になるよ」
「子供……」
「……それはちょっと」
ふたりの女性達が難色をしめす。
それは子供を産みたくないとかそういった話じゃなくて、この国における女性の出産適齢期が、十四から十八歳に最も多く見られることに要因がある。
平均寿命が五十歳と短い人間の身では、二十歳を越えて出産をするのは、母体も危険なのだ。
カールはそんな事情をわきまえていたから、特に文句を口にすることはなかった。
「まあそんな可能性もあるって話だから。あまり深く考えないで」
「でも立派なお屋敷ですね」
「本当に」
「与えられてるものだからね」
なんだか話の腰が折れてしまった。
誤魔化すように屋敷を褒められても、自分が親から譲り受けたもので無し。購入したもので無し。
カールは憮然とした表情で、二人に告げた。
「もう少ししたら上司の所に報告に行くから、戻ってくるのは夜になるよ」
「ああ、ケリーさんとの約束も?」
「そう。だから多分夜になると思う。ここだったらダレネ侯爵もこない、と信じたいね」
さすがにここを襲撃するだけのメリットを彼は考えないだろう。
すぐ近くには、近衛兵が駐屯する官舎もあるのだから。
いざという時にはそこに逃げ込むように二人に告げると、カールはネイビーブルーのクラシックスーツに身を包み、茶色のブーツを履いて、その上から青いローブをまとう。
それは宮廷魔導師の制服のようなものだった。
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