第31話 撃癒師と悪の欠片

「助けてくれよ、おい頼むよ! このまんまじゃ男爵が!」

「しばらく潰れてればいいんじゃないですか」

「人でなしかよ、おまえはっ!? 医者が助けを求めてる患者を選ぶのか!」


 いやいや患者は選ばないよ。

 どれほどひどい悪人だって例えば魔王であっても、助けを求められれば、その手を差し伸べるよ、僕は。


 カールは心の中でそうぼやいた。

 ただ、今そこにいて潰れそうになっているやつは、患者じゃない。


「そっちがどうしてこの魔石を欲しがって、ローゼさんまで利用して、僕に近寄ってくるのか意味がわかんないけど。自分に害をなす奴や、妻に危険をもたらす連中を撃破するのは……」

「てめえっ、敵だと! 俺たちがこうやって紳士的に話をしに来てやってるのに。この恩知らずが」


 男の一人が叫んだ。

 さっきの閃光から目の眩みが治ったらしい。

 悔しそうに心の底から敵意を持って恩知らずと彼は叫んでいた。


「敵でしょ。敵を殴るのにどうして相手を選ばなきゃいけないんですか?」

「こいつ、狂ってやがる……俺たちを敵に回すのは、侯爵様を敵に回すことになるんだぞ!」

「だからどうした。この国にダレネなんて名前の侯爵は存在しない」

「くっ」


 カールだってバカじゃない。それなりの下調べというものをしていたりする。

 毎年貴族院が発行する貴族名鑑は、貴族を歓待することのある公共機関なら、どこにでも置いてある。

 

 そこに名前のない貴族ははっきりいって身分詐称、犯罪駄。

 しかし、中には貴族籍を剝奪されたり、貴族名鑑の編纂の過程で抜け落ちた名前、というものも存在する。

 人のやることに完璧は無かった。


「僕を単なる治癒師だと思ったのが間違いだよ。こっちは上司の名前もちゃんと教えてやったのに」

「あ、あれは……。まさか、お前のその腕輪が本物だなんて、思わなくて」


 それにカールは宮廷治癒師のトップ、撃癒師だ。

 その役職柄、上位貴族の治癒を行うことも多い。この王国の重要な役職についている貴族の事は大体把握していた。

 昨夜、幻覚騒動が起こり、このチンピラたちが小うるさく関わってきてから、カールは王都の上司に報告を上げていた。


「宮廷治癒師長、ボルドネン侯爵閣下はダレネ侯爵様なんて知らないってさ」

「うっ、嘘だ。こんな短期間で連絡がつくはずがない」

「それは君達普通の貴族だったらでしょ? こっちは緊急事態でもなれば軍の魔導回線を利用して連絡を取り合うぐらい簡単なんだよ」

「俺たちのしていることに緊急性があるはずがない」


 馬鹿じゃないのか。

 王族やその血族である公爵位。それ以外の貴族の中で、最高位にある侯爵を名乗れば、それだけで国家転覆罪が適用される。

 こんな田舎だからこそ通用する詐欺かもしれないけど。


「もし侯爵様が偽物だったら君達全員縛り首だね」

「そんなことがあるはずが……ないっ。侯爵様の屋敷に行ったこともある、あの方がこの辺り一帯の」

「ここいら一帯? 見渡す限り山と河しかないこの奥地を管理しているのは、タータム伯爵でしょう。つい三日ほど前に僕が治療したんだよ」


 おかしなことを言い出すもんだ。

 しかし屋敷にまで行ったことがあると彼らは言う。

 だとしたら、タータム伯爵は単なる管理を任されているだけで、本当の持ち主は別にいるかもしれないな。

 ダレネ侯爵以外に。


「困りますなぁ、宮廷撃癒師殿。他人の爵位を表立って語るなど、品位に欠けますぞ。ついでに、よろしくない噂も種にもなるでしょう」

「侯爵閣下。自らお出ましですか」


 傍を見ると、黒狼の二人。そして、武装した水夫を連れた船長までもが、カールたちの部屋に入ってきていた。

 ケリーが場の騒動を諫めるように、静かに言う。


「勝手なことをすると迷惑かとも思ったのですが。これほど大きな魔石の譲渡ともなると高額な取引ですから。誰か公正な立会人が必要かと思いまして」

「そうそう。だから呼んできてあげたの。侯爵様と船長を。その方がみんなのいる前で取引できるし、後が気楽でしょう?」


 やるな、小オオカミ。

 自分よりも年上だとのたまうイライザが褒めろとばかりに尾をピンと立てていた。

 犬ならぶんぶんっと大きくそれが振られるはずなのだが、さすが、狼。

 そこまでへりくだる気はないようだった。


 侯爵はカールに恐れを抱いていないのか、それとも眼中にないのか。

 床と魔石の合間になって、息も絶え絶えのオルスタイン男爵を見て、その手にした杖先でこつん、こつんと叩いていた。


「無作法に見えてそれでも我が甥でしてね。助けてやっていただけますか」

「……。本当に無作法でしたよ、そこにいるローゼも」


 本当に助けてやる価値があるのか。

 悩むところだが頼まれるなら、悪い気はしない。

 貴族社会とは体面の張り合いだ。面子をどう守るかで成り立っている。


 もし、侯爵が本当の侯爵なら。ここで貸しを作るのは賢い判断となる。

 魔石を取り上げ、依頼通り、男爵に撃癒を施してやる。

 はぎいっ、と悲鳴を上げた瞬間。彼は気を失って、また、すぐに回復し目を覚ました。


 その表情のどこにも、痛みや苦しみは見えない。

 これが撃癒の威力だった。


「え、俺。あれ、嘘だろ……あの魔石。どこ行った」

「ここにありますよ。まだ抱きたいですか?」


 そう言い、隣に避けた魔石を示してやる。

 そうしたら、彼は顔を青黒くして怯え、侯爵を見つけてその背に逃げ込んだ。


「叔父貴、助けてくれ! こいつ、何言っても聞かないんだ、頭がおかしいんだよ!」

「出来の悪い子ほど可愛いと言うが。お前ほどなにをやらせても駄目な奴もいないな。使えない無能は足手まといだ」

「そんな……叔父貴!」

「愚かな奴め。後からお前には話がある。忘れるなよ」


 冷徹に突き離され、オルスタインは気色を失う。

 それは周りから見ても無能な手下を切り捨てる行為だった。

 ダレネ侯爵はカールの手によって、無惨にも真っ二つにされた魔石を見て、いかにも残念そうにため息をつく。


「これほどのものだったら、さぞや、いい値段で取引できたものを。ばらけてしまっては大した価値もない」

「価値がないんじゃなくて、中に入っていた本物がなくなったから価値がなくなったんじゃないんですか」


 昨夜の幻覚騒動をまきおこした、ドラエナのことをカールは引き合いに出した。

 侯爵の顔色が一瞬だけ険しいものに変わる。

 だが、それはすぐに普段の温和な紳士のそれに戻っていた。

 もっとも、これまでの経緯からすれば彼が紳士だと言うには、その手は血生臭いものに彩られている気がするが。


「……価値のあるものを手に出来なくて残念ですよ」

「彼は言っていましたよ。女神のものは女神の元へ戻ると」

「……」


 多分この魔石の本当の価値というものを知っているのは彼だけなのだろう。

 後ろで伏せる男爵も、カールの言葉の意味が分からないという顔をしている。


「けれど僕はそういったことに興味がないので。欲しいなら差し上げます。さっさと持ち去ってください」

「沈黙は美学だという言葉を知っているかね」

「ええ、もちろん。同時に、雄弁に物を語る時は、たいてい、嘘が多いこともよく知っています。僕は臆病ですから……」

「これだけ巨大な魔石を半分にしておいて、どの口が語るかね。呆れてものが言えんよ」

「本当のことですよ。今だって怖い。宮廷撃癒師の名に懸けて、貴族が関わっている問題だからこうやって対処しているだけです」

「なるほど。それではありがたくいただいておくとしましょう。代価は後程」


 そう言い、侯爵が杖の先で魔石を叩くと、それは元の形へと姿を戻していた。

 まるで撃癒を使ったような錯覚をカールは覚える。

 だが、そこに自分が使う時と同じ撃癒スキルを使った痕跡は感じ取れなかった。


「……神聖魔法」

「いやいやそんな素晴らしいもの扱える身ではないのでね」

「単なる修復魔法でそこまで見事に戻るはずがない」

「空間魔法。もうしばらく使う者はいないと思うが、時空魔法というものもあってね」


 などと、侯爵は真実を仄めかすと、杖を更に振るった。

 魔石は見えない手で持ち上げられたかのように空中に浮き、侯爵の跡を追って動き出す。


 時空魔法は希少価値のある魔法だ。

 その使い手で更にこうやって空間まで自在に操れる存在ともなれば、カールがその名を耳にしていないわけがない。


 そもそも、このラフトクラン王国に、時空魔法の使い手は数名しかいない。

 その誰もが、今ここにはいなかった。


「行く前にせめて彼女の精神を開放していたらどうですか」

「おや? 縛り付けた覚えはないが。その船医が勝手に熱を挙げていただけだろう。昨夜の幻覚騒動といい彼女にはそれ相応の罰が与えられるだろうな。それを今与えてもいい……」


 羽虫を潰すかのように呟くと、侯爵はその杖先をふいっとローゼに向けた。

 チカっと何かが視界の隅で瞬く感触を覚えて、直感的に肉体が反応する。


 まさか、都合の良い口封じか――っ?

 カールが侯爵の杖から放たれる魔法を拳で撃破するのと、ケリーがローゼを闇属性のスキルで庇うのとは、ほぼ同時だった。


 チンっと鉄が鳴るような音がして、冷え切ったそれが床の上に数個、ころげ落ちる。

 よく見ればそれは拳銃で放つ弾丸によく似た形状をしていた。


 魔弾と呼んでもいいだろうそれが、転がっている。

 六発放たれ、五発はカールが。空間を切り裂いて音よりも早くローゼに到達した魔弾をケリーが弾いていた。


 侯爵は自分の攻撃を捌き防いだ二人に対して、小さく感嘆の口笛を吹く。

 それは二人の行動に免じて、ローゼへの断罪をこの場では止める、という意味でもあった。


「仕事のためになら命を賭さない、か。可愛い妻が大事なら、これ以上関わらんことだ」


 カールにそっと耳打ちするようにすれ違いざまに呟き、彼は仲間を伴って去ろうとする。

 ケリーが厳しい目つきでそれを見送る中、カールは言質を取るようにその背中に質問を叩きつけた。


「彼女をどうするつもりですか、侯爵!」


 ローゼを、と付け加えた。

 自分でもよく分かっていた。これ以上、関わり合いにならない方がいい事を。より泥沼に深みに足を踏み入れる行為だと。


 それがサティナを幸せにしないだろう行為であることも。

 でも、それじゃあ妻ならどうするだろう。そう考えた。

 助けるだろう。


 あの夜、深みにはまり死にかけていた自分を救ってくれたように。

 力がもしサティナにあるなら……なんの迷いもなくローゼを助けるだろう。

 そして自分の仕事でもある。


 侯爵位にある上位貴族の無法ぶりを、国に所属する貴族の一員として、見過ごすことは出来なかった。


「……奇特なお人だ。アルダセン男爵。貴方に下賜しよう、その女を。下女でも、奴隷にでも。好きにするがいい」

「物のように言われるのですね。彼女はこの船の船医で、れっきとした王国の民だというのに。奴隷じゃない」

「権力があれば、身分などどうにでも塗り替えられる。君が成り上がったように。その女の籍を昨夜格下げしておいた。そろそろ申請が受理される頃だろう。もはや平民でも医者でもない。単なるモノ。奴隷だよ。ここで処分しても何の問題も起こらない。理解したかね?」


 あらかじめ計算ずくの犯行かよ。

 処分することまで織り込み済みで、行動させていたのか。

 そう思うと沸々と怒りが湧いてくる。


 その拳を誰の為に振り上げるべきか、それは今じゃないのか。

 義憤に駆られようとしたカールを止めたのは、意外にも妻だった。


「では、ローゼは我が家で預かります。下女や奴隷ではなく、正式な夫人の一人として」

「って、サティナ?」


 おい、何を言いだす。いきなりそんなことを叫んで!

 まだその資格はないって……言おうとして、サティナの気迫に気圧された。

 銀色の長髪が、その身の内から溢れ出る魔力で、後ろにふんわりと大きく広がっている。


 それはカールやケリー、侯爵に比べたら微々たる魔力だったがサティナの怒りの深さ、勢いの激しさを知らしめるには十分だった。


「これは面白い。奥方自らその保護を申し出られるとは。アルダセン男爵はさぞ、愛されているのだな」


 たっぷりの嫌味が込められた賛辞を贈られて、サティナは満円の笑みでそれを迎えて見せた。


「ありがとうございます。彼女と共に夫を支えて男爵家を盛り立てて行きますわ、侯爵様」


 もちろん、カールにはそれがサティナの開戦宣言だと理解できている。


「いいですよね、あなた」

「はい……」


 反対なんてできるはずがない。

 嫌だと言ったら待っているのは離婚宣告だ。間違いない。


 サティナはたった二日程度の付き合いでしかないローゼを救おうと、その身を張っているのだ。

 夫として、それを否定することはできないよ、サティナ。


 カールはこんな結末になるなんて、と美味しいところを全部、妻に持っていかれたような気がしてならなかった。


「本当に受け入れるのですか……」


 侯爵がレストランでして見せたように軽やかに手を振って場を去った後。

 ケリーがローゼを立たせ、来客用の椅子に座らせながら、そっとカールに耳打ちする。


「断ったら僕の人生も、ね」

「あの侯爵の物言いは私も腹に据えかねるものがあります。奥様を……サティナ様のことですが、あのように脅すように言うなんて」


 黒狼族は耳が人よりも良いらしい。つまり、イライザも聞いていたということだ。

 隣ではその小オオカミがふふんっと、ケリーは凄いでしょう? というような顔をして立っていた。


「ケリーに感謝しなさいよ。呼びに行った私にも」

「はいはい……イライザ」

「ブラックファイアよ。イライザ・ブラックファイア」

「ブラッ……」

「ケリーもファミリーだから。同じ名前よ」


 参ったな。こんな状況で身分を明かさなくてもいいじゃないか。

 驚きに次ぐ驚きで、脳がマヒしたのかもう驚かないようになってきた。


 ブラックファイア。王都の南西部に広がる商業区を中心に闇社会を支配する四大犯罪組織の一つの名称だ。ファミリー、ね。

 僕はもう十分、知り過ぎたのかもしれない。


 カールはもう面倒事に巻き込まれたくなかったから、二人がなぜこの船に乗っているのかは、別れるまで問わないことに決めた。

 そんな会話をしながら、ローゼに目をやる。


 ケリーとサティナに双方から肩を抱かれたローゼは、侯爵が虫けらを踏みつぶすようにして、自分を殺そうとした事実に呆然自失として涙を流していた。

 つまるところ、彼女は侯爵の愛人のようなものだったのだろう。


「許さない……絶対に許さない……」


 そんな言葉がどこからか聞こえてきた気がした。

 裏切られ捨てられて納得がいくはずもない。

 その顔には復讐の色がありありと見て取れた。


 侯爵たちはこの後、午後に立ち寄った中継場で船を降りた。

 一難去ってまた一難。

 翌日に王都に着くまで、どうか何事もトラブルが起きませんように。


 夜になり、カールは侯爵に下賜された名目で手に入った災難を、見下ろしていた。

 ローゼには王都に着くまで眠ってもらうことにしたのだ。

 強制的に眠らせる魔法によって寝ている彼女は今ごろ、どんな夢を見ているのだろう。


 ベッドを一つ占拠され、おまけに夫婦水入らずを邪魔されて。いや、こちらが受け入れたから仕方ないのだが。

 カールはまたしてもサティナとの甘い夜を過ごせないまま、眠りに就いた。


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