第30話 撃癒師と壊れた魔石

「おい、これ本当に運んでいいんだろうな?」


 ここ二日ほど因縁の深いチンピラ貴族たちのリーダー格。

 自分にも世間にも周りにも何もかも怒りを感じてしまい、眉間に皺を寄せて怒りを叫ぶことでしか自己を表現できない憐れな人種。


 特権をひけらかすことでしか、ストレスを発散できない可哀想な奴ら。

 その代表的な存在が、ここにもいる。

 カールはそう思った。


 医師としての鋭い洞察力が、ダレネ侯爵と似た容貌をしている男爵の内面を分かりやすく外側から彩っている。


「欲しいなら持っていけばいいんじゃないの」


 あのワニが内包された魔石を前にして、彼らは怖気づいている。

 肝心な局面で逃げ出す連中だ。

 彼らの弱さがありありと手に取るように分かる。


「あ? なんだと、生意気なガキが」

「同じ男爵位ですから。そちらが敬意を示していただければ、こちらもそうしますよ、オルスタイン男爵殿」

「なんで俺の名を……」


 人間、悪事を働くときには身分を偽るものだ。

 本当の自分に自信が持てないから。別の人格を被ることで、英雄になれると思うからだ。


 偽物の仮面を被ったって、望む姿にはなれないよ?

 カールはずっと自分の内面をさらけ出すのが怖かった。

 だから色んなものから逃げてきた。


「ローゼさんから聞きました」

「余計なことを!」


 ちっ、と浴室に舌打ちが響く。

 それを耳にして、ローゼは真っ青になり、肩を両手で抱いて下手の片隅で震えていた。


 憐れなやつらだ。カールはそのやり取りを見てそう思った。

 自分に自信がないから威張り散らす。

 その内、どの感情が本物の自分かを忘れてしまうのだ。

 今の彼らのように。


「どうでもいいでしょう、そんなこと。むしろ、侯爵閣下がこれを望まれていることが問題ですよ」

「ああ? お前みたいなガキに何が分かる。貴族の事情に口を挟むなよ、成り上がり」


 宮廷魔導師、宮廷治癒師、宮廷……何でもいい。

 宮仕えになれば一代限りの爵位を与えられる。カールのように。

 そんな彼らは門閥貴族たちから忌み嫌われ、成り上がりと呼ばれた。


「良く言うよ。侯爵位までは平民から成り上がれる中で最高の爵位だ。公爵にでもならない限り、誰でも祖先は成りあがりじゃないか」

「減らず口を……」


 面倒くさい。

 こういう手合いはさっさと追い払うに限る。


「早く運んでくださいよ。たった数人で持てるなら、だけど」

「くっ」


 と、オルスタイン男爵が怯んだ。

 魔石はカールの二倍程度の大きさがある。

 カールは身長が150センチもない小柄な体格だ。そんな彼でも体重は50キロに近い。


 魔石は普通の鉱石よりもはるかに重量がある。

 同じ見た目なら、魔石の方が三倍ほど重いのが常識だ。


「運べないなら、運んで差し下げますけれど?」

「おい、お前ら。さっさと持って行けよ!」


 魔石の周りには四人のチンピラ貴族がいる。貴族なのかどうかも怪しい、出自の定かではない連中だ。

 腕や顔、首周りに刺青の跡が見え隠れしているのもいて、まだ犯罪組織の構成員だと名乗った方が可愛げがあった。


 その彼らは腕自慢らしく、これくらいなら自分たちでどうにかする、と船長が寄越した手伝いの水夫を押し退けてしまった。

 しかし……現実は、これだ。


「閣下、無理ですよ。こんなに重たいなんて」

「ピクリともしやがらねえ。何か魔法がかけられてるんだ。その小僧が何かしたんじゃあ」

「そうだよ。床のタイルすら割れてないのに、持ち上がらないなんておかしいだろ」


 と、やいのやいの文句が飛び交った。

 男たちは顔を真っ赤にして踏ん張るも、魔石はぴくりとも動かない。


 やれやれ、とカールは肩を竦めて首を左右に振った。

 どんな魔法をかけてるっていうんだよ。魔石の移動に使うのは、筋肉じゃない。……魔力だ。


 少しばかりの魔力を注いでやることで、それは重量を軽くする。自分から大気の魔素を取り込み、浮力を得るのだ。

 貴族を名乗るなら、その程度の魔力は使えて当然だった。


「何だ、情けない。面白いものを見れるというから来てみれば、これですか」


 嘲るようにケリーが言った。その足元ではイライザが「ケリーでも持ち上げられるのに! 本当に男性なの?」と無邪気に煽っている。

 いつの間にか、カールの部屋には水兵やら他の貴族たちやらで、見世物でもしているかのように、人が集まってきていた。


 サティナを部屋の奥に下がらせて良かったとカールは思った。

 何事にも真摯な彼女は、オルスタイン男爵たちの態度に怒るだろう。誰の部屋だと思っているのか、と口論になるのは目に見えている。


 今も見えない浴室の向こう側で、気持ちをやきもきさせているだろう。

 だが、彼女は強い女性だ。自分を信じて待っていてくれる。帰るべき場所がある。

 だから、ここは賢く終わらせよう。


 カールはそう信じて、男たちとの交渉を続けた。


「いいですよ。なら運びましょう。その代わり、侯爵閣下と話し合いが条件です」

「……っ? おい、ローゼ! 話が違うだろ」

「ちょっと、カール先生?」


 この案はカールから切り出したものだった。

 魔石を侯爵に譲る、その代わりにローゼから手を引く。


 そう伝えるようにローゼに打診を依頼したら、こいつらがやってきた。

 まるで仲間のように彼女を後ろに引き連れて。


「だって、ここに来るときはあんなに泣き崩れていたのに。いまはそんなに元気じゃないですか、ローゼさん。どういう仲なのか、詳しく知りたい」

「……お前には関係ないよ。宮廷撃癒師」


 と、オルスタイン男爵が言った。

 バツの悪そうな顔をしている。

 その目を見据えてやったら、どこか後ろめたいものがあるのだろう。

 口元をもごもごよさせながら、歯切れの悪い口ぶりを見せる。


「じゃあ、とりあえず運びやすくしましょう? ね、そうしたらみんな幸せなれる」

「は? どういう意味だ。お前、何をやらかすつもり……おい、やめろっ!」


 カールは拳を固めた。

 ヘイステス・アリゲーターの魔石を封印していた革袋の隣には、あのドラゴンの魔石がある。

 そこから白い霧の中を陽光がさした時のような、鈍く黒みを帯びた灰色の光がカールの腕へと向かい伸びてくる。

 封印していたもう一つの魔石から、周囲に瘴気が漏れないように細心の注意を払い、撃癒師はそれを右の拳に集約させる。


「うるさいなあ。みんなが運べないんだから、細かくしたらいいんですよ、こんなもの!」

「うわああああっ!」


 銀色に輝くその拳がヘイステス・アリゲーターの魔石と交差した。

 虹色の輝きが浴室を満たし、扉から窓から他の部屋や廊下まで。

 その場にいた人々を巻き込んで、閃光が辺り一面を覆い尽くした。


「こいつ、何しやがった!」

「ちくしょう、目っ! 目がああ!」


 魔石とカールの間近にいた男たちが揃って悲鳴を上げる。

 普段の威張り方からは想像もつかないヘタレっぷりだった。


 少しばかり離れて見ていたケリーはとっさにイライザを屈んで庇い、水夫たちは勇ましくも乗客たちの前から微動だにしない。

 普段から相当な訓練を積んでいるからこそ、できる行動だった。


 カールは目がくらんで右往左往する連中を足で蹴飛ばしてどかせると、よいしょっと縦半分に割れた魔石の片方を持ち上げる。


「ほら、男爵閣下。これが欲しいんだろ?」

「ぐえっ、止め……ろ!」


 床にへたりこんだ彼の上に置いてやると、それはずしっと男爵を圧し潰すかのように床に沈んでいく。

 タイルがみしっと音を立てて割れた。


「ヴぉえ……助けっ」

「重いよねえ、そうだよねえ。それを僕に持たせようとしたんだから、その報いは受けるべきだよ。ああ、そうだ」


 カールは片手で目を覆い、光の影響からどうにか視力を回復したらしい、ローゼに向かう。

 彼女は自分の胸ほどにしか身長のないカールが近寄ると、何か大きな力に押されたようにその場に崩れ落ちた。


 撃癒師が解放した殺気に当てられて、その場に立ってられなくなったのだった。

 肉食獣に追い詰められた兎のようになって、フルフルと小さく首を震わせている。

 燃えるように深い緑の瞳には、もはや恐怖しか映っていなかった。


 彼女は言い訳するように言葉を並べた。

 違うの、私、こんなことになるなんて思ってなかった。そんな内容のことを口走る彼女を、カールはひとにらみで黙らせた。

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