第29話 撃癒師、悪を暴く

 おじさんと結婚したくない。

 その一言ばかりをローゼは口にしていて、まったく状況がつかめないまま、数分が過ぎた。


 サティナが支度を整えている間に、カールはローゼに紅茶を淹れてやる。

 室内にサービスとして常備されている質素な茶葉だったが、それでも柑橘系の香りを嗅ぐとローゼは幾分、落ち着きを取り戻したらしい。

 渡したタオルで拭いた顔は、涙で溢れていた。


「落ち着いた?」

「はい。ごめんなさい。恥ずかしいところを見せてしまって」

「いや、気にしなくていいですよ。それで、何があったのかな、ローゼさん」


 カールは優しく語り掛けてやる。

 いまのローゼは不安に駆られて焦燥している患者と同じだ。


 その扱いには慣れていた。

 まずは相手を落ち着かせること。


 心はすべての源流だ。

 これが穏やかにならなければ、人は平常心を保てない。


 カールとサティナは、ローゼに敵対することはないと雰囲気で示さなければいけなかった。

 熱い紅茶を飲み、ゆっくりと体が温まると、心にも余裕が出てきたらしい。


 ローゼはまだ怯えてはいたものの、室内に流れるそれまでいた場所とは違う和やかさに落ち着いたようで、次第に顔を上げ、言葉を交わし始めた。


「あのヘイステス・アリゲーターが全部、悪いんです」

「ヘイステス・アリゲーター?」


 昨日、船を襲った大型魔獣だった。

 船の結界の結界を破ろうとして大きな顎で噛みついてきたやつだ。


 黒狼の獣人、ケリーが退治し、その魔石を持ち帰ってきた。

 中にはどういう経緯でそうなったのかは不明だが、赤い月の女神から遣わされた使者だと名乗る、ワニの精霊のような存在が封印されていた。


 そいつは自分都合で話を進めてどこかに消えてしまった。

 みんなが被害者だ。


 カールはサティナと顔を見合わせ、大きくため息をついた。

 またかあれ関連のトラブルか……! そんな感じだった。


「あの魔獣のせいで貴族の方々が、怪我をされたじゃないですか」

「あの寝ていた連中ですか?」

「そうです! カール先生に管理をお願いした、あの連中! 昨日の夜にレストランで騒いで、おまけに廊下でも騒いで! あの連中ですよ!」


 おっと。

 カール先生に管理をお願いした、と飛び出て来たぞ。

 これでは返事を一言でも間違えたら、責任の所在が明らかにある。

 火の粉が飛んでこないようにしなければ……。


「医務室をお預かりした際に彼らが負った怪我や病期は【撃癒】ですべて癒しましたよ。その意味では、彼らは現在、すこぶる健康なはずでしょ?」


 カールはおそるおそる、そう問いかける。

 ローゼは「それはそうなんですけど」、と言葉を濁した。


 それとローゼが結婚に至る理由がよく理解できない。

 サティナは医療に関しては部外者だが、その彼女でも今一つ分からない、という顔をしている。


 他人に分からないなら、カールにローゼの意図が通じるはずもない。


「カール先生が昨夜、廊下のでひと騒動やらかしたじゃないですか!」

「……それは、うん。御迷惑をかけました」


 自分が体当たりをぶちかまして廊下の壁に激突したあいつが、打ち所が悪くて死んだとか。そういう話?

 カールの隣で、サティナがまずいのでは? とあわあわとなっている。

 妻の肩に手を置いて、大丈夫だからとほほ笑んで見せた。


「その騒動の前に、大量の水が貴族室のさまざまな場所で溢れていたんですよ。みんな、それに触れて溺れてしまいそうになった人もいるんです。彼もあの後にまた似たような幻覚を見るようになって。これは船の責任だ。貴族たる自分の健康を害したのだから責任を取れ、とそう言いだしてるんですよ!」

「あのね、ローゼさん。まったく要領を得ないんだけど。彼はどこの誰で、どの部分でどう責任を取れ、と?」

「だからあ! あのダレネ侯爵だってば!」

「……まったく事情が理解できません」


 カールはこの泣きながら、自分の首を掴んでくるローゼをうまく交わそうとする。


「あんたのせいよ、責任取りなさいよ、どうしてくれんのよ!」

「いやだから、あの時。医務室に侯爵はいなかったでしょ! それことお門違いだってば!」

「冗談じゃないわよ、あんなジジいとなんか。誰が結婚してたまるもんですか! 私、まだ若いんですからね! 二十一なんですよ」


 と、凄んでくる女船医に【撃癒】を施した方が静かになるんじゃないかな、と真剣に考え始めていた。

 サティナが夫の危機と見て間に割って入る。


「いい加減にしてください! ローゼさん、夫をなんだと思っているんですか! ご自分の都合で人の部屋に押しかけておいて、無礼にもほどがありますよ!」

「……サティナ」

「カール! あなたもきちんと関係ないなら関係ないと言えばいいじゃないですか! そんな曖昧な態度を取っていたら、いつまでも問題が解決しません! ローゼさんも!」


 サティナは本気になって、夫に難癖をつけにきたローゼを引きはがしにかかった。

 こうなるとローゼはサティナに敵わない。


 男性並みに鍛えているサティナは、驚くほどあっさりとローゼとカールを引き離してしまった。


「ごめんなさい……。私ったら、つい……」

「いえ、僕も。ごめん、サティナ」

「謝罪など要りません。それよりも、この問題。どう解決するんですか。こちらに非が無いように思えますが、ローゼさん」


 筋違いの濡れ衣だと、サティナは女船医に怒っていた。

 ローゼは顔に陰鬱な表情を作っている。

 俯いた彼女は、本人が言う程には、落ち込んで見えた。


「幻覚……。それをみんなが見るようになった、って。そう言うのです。でもそれは私の治療のせいだ、と」

「それこそまさに濡れ衣じゃないですか」


 主導権はカールからサティナに移っていた。

 ローゼから夫を取り戻した妻は、その胸の中に彼を守るようにして抱いている。

 それ以上近づくと噛む、と牙をむいて威嚇しつつ、子供をまもる母猫のようだった。


「うちの夫が無関係なら出て行ってください。それはローゼさんの問題です」

「でも、だって。あの医務室で寝ていた連中に症状が重く見られるのに……。カールさんの処置だって間違いがあったとしか」

「侯爵はいなかったでしょ!」


 カールはそこ、大事! と指摘する。

 第一、あの男爵だと名乗るチンピラどもにどう侯爵が関わるのか、線が繋がらない。


「侯爵様は男爵の……。オルスタイン男爵とダレネ侯爵は甥、叔父の関係らしくて」

「えー……それで、レストランの時にあんな拍手したのか」


 あれはカールの武勇を讃えるためのものではなく、単に甥の立場をこれ以上、悪くしないための方便だったのだ。

 と、カールは思い知らされる。


 人の良さそうな老紳士に見えたのに、さすが、貴族。

 社交界のどろどろとした世界で生き抜いてきた老獪さを思わせた。


 けれどそうなってくると、幻覚を今でも見ているのかどうか、そこも気になるところだ。


「まだ見えている、と。彼らはそう言っているのですか?」

「え? いえ、それはもう治まったと。でも、それを見るようになったのは……」

「ローゼさんの治療が悪いからそうなった、と」


 そう言ったら、ローゼはふるふると頭を振って拒絶した。

 え、また話が別の方向性に振られるの?

 そう思い、カールは思わず、身構えてしまう。


「自分たちがこれほどの幻覚に襲われたのはお前の治療が悪いからだ。俺たちはこの先も幻覚に際悩まされるかもしれない。だから、慰謝料を用意しろ、と」

「まるで追い剥ぎの手口じゃないですか」


 そんなもの、話しを蹴ってしまったらいいんですよ! と妻は強気に叫ぶ。

 カールにはダレネ侯爵とその一派が、何を求めているのかが、何となく理解できていた。


「……分かりました」

「カール!?」

「サティナは落ち着いて。ローゼ、案内してください。ダレネ侯爵と僕が直接、話をします」

「本当? カール先生! 本当に?」


 カールは静かに肯いた。

 一度、ローゼに自室に戻り、ぼろぼろの外観を整えて来るように申し付ける。

 このままでは侯爵の前に出るのは、ちょっと問題があった。


 彼女が出て行くと、サティナは不満そうな顔をして膨れている。それはそうだ。夫が明らかに冤罪をおしつけられて、人の良さにつけこまれ、のこのこと自分からトラブルに飛び込んでいこうとしているのだから。


 妻として、不機嫌にならないはずがなかった。


「サティナ」

「……カール。どういうこと? 私はあなたに関わって欲しくないって言いました!」


 それは妻として最初の選択だったかもしれない。

 夫婦間に関わる大事な選択だ。


「うん。君は正しいと思う」

「馬鹿にしているんですか!」


 お前は何もわかっていない。そうからかわれている気がした。

 サティナは顔を真っ赤にして気分の上気を抑えている。

 いまはまだ結婚したばかりだから控えめにしてくれているが、これがもっと時間をかけて仲を深めて行けば、彼女の性格はより苛烈になるだろうとも思えた。


 互いに線引きが必要だ。

 野生動物の夫婦じゃないのだから。

 喧嘩ばかりしていたのでは、互いが傷つくばかり。

 カールは声の抑揚を下げて妻を諭した。


「最初に言っておくけど」

「何……ですか」

「僕は別に君のことをないがしろにして、ローゼを助けたいとか思ってないから。彼女よりも君を選ぶ」

「じゃあ、なんで。あんなことを?」

「侯爵の目的がよく分かったから」

「……え?」


 あれだよ、とカールは浴室に鎮座させているままの、ヘイステス・アリゲーターから取り出した巨大な魔石のことだよ、と言った。


「あんな巨大で中に魔獣が入っている魔石なんて僕は見たことがない。それだけ価値が高いものなんだ。侯爵はそういうものが好きなんだろうね」

「本当に……?」

「持っていけば分かると思うよ。それで話がつかなかったら、僕は僕が担当した治癒だけの責任を取る」

「それは、だめ!」

「いや、撃癒で治らないものなんてないから。それでさらに病気になったって訴えるんだったら、今度は裁判になる。法廷で争うことになる」

「それはつまり、あなたの評判が悪くなる……」

「そうとも限らない。法廷で争うには多額の資金が必要なんだ。侯爵がそれを望むなら、こっちはあの魔石を売って、その資金で争うまで。買ったら、僕の名声は高まる。ついでに言うと負けることがない」


 負けることがない。

 その一言だけは途方もない確信があるかのようにサティナには聞こえた。

 どうしてそう言えるのか、夫の確信する根拠を知りたかった。


「撃癒は王族の治療すら行う、神聖魔法の対極にある国が認めた最高位の治癒方法だよ。それが効かないとか、これまで撃癒で完治してきた人たち、このスキルを用いて最高位の治癒方法だと宣伝している宮廷治癒師連盟もそう。神殿だって撃癒を最高位の治癒スキルと認めている」

「ごめんなさい、待って。それはつまりどういうことなの」

「この王国において、撃癒を効力のない無能な治癒方法だと言うことは、神殿や王族。ひいては神様の神託を敵に回すってこと」


 ここまで言い切ったら彼女は安心してくれるかなとカールは思った。

 てっきり笑顔になって頑張って行ってらっしゃいと送り出してくれるものだと思った。

 ところが戻ってきた返事は全く別物で。


「……そんなにすごいスキルを持って、人々を救っているあなたを尊敬するわ。けれど……どうして終わりの極みなんて……」

「ああ、そこ……っ? 撃癒を体得するには人によっては何十年もかかって、ようやくって人もいるから。これは究極の絶対無敗を極めようとした人間がたまたま編み出した治癒方法だから。なかなか後継者がいないんだよね」


 なるほど、と納得したのか妻は何度か感心したように首を縦にする。

 どうにか夫婦喧嘩は回避できたようだ。


 それからローゼがやってきてまた扉を叩くまで、サティナは励ますように抱きしめ、また熱いキスを応援にくれた。

 

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