第27話 撃癒師と妻の誇り

 夫が扉を開けたら、自分の姿を見て人々が一斉に手を挙げた。

 万歳をしているようにも見えたが、そこに喜びの表情はない。


 驚き、というか、猛獣にでも出くわしたかのような、怯えようだった。

 腕を上げる。


 更に人々がおののいた。

 前に足を突き出す。


「おいおいおいおいっ!」


 誰かがそう叫び、扉の前に集まっていた人々の輪が内側から大きく外へと広がった。

 指先を向ける。

 右に、左に。


「まま、待て待て! おい、ちょっと! はやるな!」

「ご婦人、落ち着いて! その手のものを降ろしてください!」


 左右に二度ほどそれを振ると、面白い。

 人がまるで狼に追われた小鹿のように散って逃げていく。

 と、そこで気づいた。


「サティナ! 弓、弓矢を降ろして!」


 隣で夫が叫んでいた。

 言われて初めて自分が弓を構え、矢をつがえていることに気づく。


 しまった、と心で小さく舌打ちした。

 あのワニのショックが大きすぎて自制心を保てないでいる。


「申し訳ございません、旦那様。先ほどの問題があまりにも唐突すぎて……」


 と、演技半分で困り果てている彼に伝えてみた。

 深夜にいきなり押しかけて来て、乱暴に扉を叩く連中にくれてやる情けなどなかった。


 こちらは下着同然の恰好で―ーいや、下着なのだが。

 そんなはしたない成りのまま、あの男爵とその仲間たちの下賤な横暴につきあってやっているというのに。


 あちらは挨拶一つ寄越さない。

 そろそろ、堪忍袋の緒が切れそうだった。


「サティナ! どうしたの、それを降ろして!」

「奥方様、どうか弓矢を降ろしてください。このままではこちらも……」


 と、男爵たちの隣でその背中に逃げ込まれた水夫たちが困ったように言う。

 彼らはそれぞれ、銃口をこちらに向けていた。

 しかし発砲するというよりは威嚇行動。

 自分と同じようなものだとサティナは思った。


「こんな夜中扉をドンドンと不躾に叩きまくり、礼儀すらも弁えない連中になどかけてやる情けは必要か、と」

「駄目だから! それを射たら駄目だから! 大問題になるからっ!」

「でも」


 と、ここは粘ってみる。

 彼の必死になって私を抑えようとしてくれている顔が、とても可愛らしい。


 サティナは悪女みたいに演技を続けながら、まだ怒りが止まないと言い募る。

 そうしたら間の悪いことに、あの連中の一人がろくでもないことを口走る。


「ふん、なんだ! その作法も知らない山猿は! どこかの娼婦でも買い入れて来たのか。こんな真夜中にそのような姿で人前に現れるなど、恥を知れ」

「なんですって!」


 ここまで言われたらさすが引くに引けない。

 たまたま怒ってしまったアクシデントだったけれども、半分悪意のある冗談で済まそうかと思ったらどうもそうにはなりそうになかった。


「なっ、なんだ! 文句があるなら言ってみるがいい!」

「こんな格好で深夜に呼び出したのは、そちらではありませんか。一体どちらが礼儀知らずだと申されますか!」

「黙れ! お前みたいな女を連れて歩くような男にろくな奴はおらん。生意気な……しかし美しい身体をしているな」

「はああ?」


 ぎゅっと家を支えるその手に力が入る。

 思わず指先を矢尻から放しそうになったのだが、カールの矢を握ってそれを止めさせた。


「一晩金貨一枚でいいなら、相手をしてやる、と言ってるんだよ。言葉すらろくにわからないのか? その体でどうやってそいつを魅了したんだ、この下賤な土着民が!」

「誰が土着民ですってっ!」


 弓矢を捨て、拳で殴りかかる。

 下着姿だろうが構うものか。

 女の恥じらいよりも、この身を言葉で汚されたことに腹が立つ。

 ここにはいない家族や死んだ先祖たち、そのすべてを夫も含めて侮辱されたと感じた。


 腹の底から怒りが湧いてくる。煮えくり返る、とはこういうことをいうのか、と頭のどこかで納得している自分がいるのが、驚きだった。


 そして、その平静な部分が見ていた。

 亜麻色の風が、視界の端を抜けて吹いていく。


 まばたきをした後に、夫の姿がなく、暴言を吐いた貴族の身体が吹っ飛んでいた。

 バリっ、と凄まじい音がして、通路に穴が空く。

 いや、通路の壁を突き破り、その貴族が廊下の向こう側にある部屋に飛んでいったのだ。


「……僕の妻を愚弄するとどうなるか。そろそろ実を以って知るべきですね。皆さん……」

「カール。あなた」


 サティナはあの小さい身体で、倍以上もある男を吹っ飛ばした夫の強さに、雄々しさに感激もひとしおだった。

 それ以上に、驚きが先に立つ。

 どうやったら数メートルの距離を一足飛びに縮め、相手を吹っ飛ばしたのか。


 サティナの常識では想像の及ばない、凄まじい威力を秘めた体術だった。

 昼間に彼が告白してくれた自分は強い、その一言を体現する一撃だった。

 サティナと言い争っていた貴族は壁の向こうから救出されたが、可哀想に、舌を垂らして完全に気を失っている。


「ドワイト! しっかりしろおお!」

「てめえ、何しやがる! 俺の弟分を!」


 吹っ飛ばされた貴族の令息はドワイトというらしい。

 グループのまとめ役である例の男爵が、育ちの悪さをひけらかすかのように、カールに食ってかかった。


 カールはこういった荒事には慣れているのか、夜着に着いた埃を払うかのようにして、自分と同じ爵位を持つ相手に向き直る。


「たとえ口論とはいえ争いごとを仕掛けてきたはそちらが最初。どちらの男爵様がご存知ありませんが、貴族たるもの自分の妻を侮辱されて黙っている男がどこかにいるとでも?」

「つ、妻ー? そんな土着民を妻にする貴族がどこに――」


 愚かにもそんな言葉を発した男爵は、自分の顎先にビシッと突きつけられた拳の風圧で後ろへと転げてしまった。 

 別に風圧がすごかったわけではない。

 髪の毛は少しばかり後ろにそよがせる程度のもの。

 転げたのは、一重に男爵の心根が弱いからに過ぎなかった。

 カールは廊下に腰を落とした彼を見下ろすと、左手の銀環を見せつける。


「宮廷撃癒師、カール・アルダセン。宮廷治癒師長、ボルドネン侯爵麾下。国王陛下からは男爵の爵位を賜っております。これ以上、妻に対して無礼を働くことは侯爵閣下と事を構える覚悟をなさってください」

「こっ、侯爵……っ! いやおいちょっと待て、その名前を出されたら争うとは言えない」


 自らの家名を名乗らない彼は、本当の男爵かどうかも怪しい。

 だがあちらもこちらを訝しんでいるようで、展開についていけないサティナをじろじろと無遠慮に視線をねめつかせる。


 市場で値踏みをされている動物になった気分だ。

 サティナは両腕で大事なところを覆い隠していた。

 その際こちらに向いていなかった左腕があらわになる。

 男はそれを見て、おかしいぞ? とカールに向き直った。


「結婚しているなら腕輪をはめているはずだろう」


 カールが左腕にしている銀色のものと同じもの。

 男爵と名乗った男が左腕にしている銀色のそれと同じもの。

 王国貴族は誰でも、生まれたらこの銀環を身に付ける。

 それはないということは、彼女の身分を偽っているのではないかと、勘ぐられても仕方がない。


「最近出会いまして……結婚式や入籍などは、王都に戻ってからということになるので、いまはまだ内縁の妻という形になりますが」

「なんだそりゃ……。こんな場所でいきなりの惚気かよ。勘弁しろってんだ……」


 カールに内縁の妻と言われ頬を染めるサティナ。

 それを見て、嬉しそうにする少年。

 いきなり始まった二人だけの世界に、周囲は唖然としてついていけず、男爵は喧嘩をする気も失せた、とひとつ大きくため息をついた。


「まだやりますか?」

「もういいよ。たった一撃で仲間をあのされたんじゃこっちもやってられん。おまけにそんな惚気まで見せつけられて何が嬉しい」

「これは失礼……」

「こんな場所で弓矢を持ち出したらどうなるかぐらい教えといてやれ。もう帰るぞ」


 付き合いきれないとばかりに背を向けると、彼は片手を振ってさっさと去ってしまった。

 後に残された気を失った仲間を二人がかりで引き上げて、心配の声をかけながら彼らは自分たちの船室に戻って行った。


「弓矢は危ないからここで出しちゃだめだよ」

「はい……。すいません」

「いいよ」


 水夫たちに謝罪をし室内を改めて見せて問題がないことを彼らは確認したらしい。

 騒がしかった騒動は修練し、カールはぶち抜いた壁の向こうにいた乗客に頭下げに行った。


 謝罪ついでに怪我と壁を修理すると、相手側の文句はそれ以上、出なかったという。

 部屋で大人しく待っている間、サティナは自分の獲った行動を思い返して、反省することしきり。


 しかし、あの男たちと言い争って行動に出たことについては、自分に非があるとは微塵にも思わなかった。

 他人を侮辱すれば、死を以って償う。


 それはサティナたちの住んでいた土地では、当たり前の常識だったからだ。

 ただ貴族の世界においてはそういったものが通用しないのだろうということも薄々理解はした。


 これから彼と共に住むことになる王都の中でも、怒りを行動で示してはならない、ということも。

 その代わりに法律が役に立つ。

 特権階級相手に傾眠が何をしようが法律は守ってくれないこともよく知っている。


「法律を学んで、専門家になれば、ああいう争いにも勝てる?」


 負けん気の強い彼女はそんなことを考えているとは露知らず、各所で頭を下げた夫が戻ってきたのは、しばらくしてからだった。

 戻ってすぐ、サティナはカールに手間をかけたことを詫びた。


 ついでに、自分の為に行動してくれたことを感謝した。

 その謝辞に、少年夫はこそばそうに笑っている。


「ワニの一件といい、君の騒動といい。いや、あれは向こうが仕掛けて来たからあいつらが悪い」


 君の騒動、と言葉にしたらサティナの目が輝いたので、カールは言い直した。


「本当に」

「え?」

「本当にそう思ってくださいますか」

「それはもちろん。そうじゃなきゃ僕は行動しない」


 なんだか言葉が足りない。

 彼の行動は嬉しかったけど、それだけでは何か物足りなかった。


「カールはもし私が全部悪かったとしたら、どうしますか?」

「なに、いきなり? 変な魔法で意識を操られたりてもしていない限り僕は君の判断を信じるよ」

「本当に?」

「だって……。怒るだけの理由があったからそうしたんでしょ?」

「それはまあ」

「それなら妻を信じるしかないじゃない」


 馬鹿正直な答えだった。

 もし性根が悪い女に捕まったら、一生こき使われて終わってしまうようなそんな馬鹿正直で人の良い性格。


「あなたがそばにいてくれる限り私もそうするようにします」

「うん? うん。ありがとうございます。それにしても困ったね」


 何に対して困るのだろう。

 妻はちょっと不安になった。自分の生い立ちというか、慣れてきた生き方に困ったと言われたら、直しますとしか言いようがない。

 時間が必要だった。


 しかし、彼はそこには特にこだわる姿勢を見せなかった。

 おおらかな性格というよりも縛り付けるということを嫌うのだろう。


 貴族の夫は妻を縛り付けて管理したがるものだ。

 カールの場合それは大幅に信頼しているという言葉で終わってしまうようでもある。


「まあ、とりあえず」


 そう言って、彼はサティナが先に入っていたベッドに潜ってくる。

 後ろから、彼女が最初にしたようにして、抱き締めてくれた。


「結果がよければ全ていいんだよ」

「あなたの行動もかっこよかった……あんなに強いなんて思わなかった。こんなに華奢なのに」

「一言余計です、奥様」


 それからしばらく話をし、ワニのことは後から考えようということになった。

 二人が目を覚ました時、すでに陽は高く昇り、午前十時を壁の時計は指していた。

 

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