イエス・ノー・ゲーム(恋愛)
―YES NO MAYBE―
何しろとても退屈だった。
その日の午後、バイト先のカフェの店長が、年明けに新商品を取り入れるのと同時にお客様に配るリーフレットも一新すると言った。
時間外手当に釣られて私もお手伝いする。少しでも多く稼げるなら仕送りも少ない大学生の身としてはありがたいもんね。
それで、時々同じシフトに入る男の子と一緒に事務所で作業していたの。印刷されたポップを折り新メニューにカバーをかけ、配布用のリーフレットを三つ折りしていく。折り目がずれないよう地味に気を遣う。うう、こういうの向いてない。退屈。
テーブルを挟んで向かいの椅子に座っている彼、店長の甥っ子だという高校2年生の
何を考えているのか表情の読めない細めの三白眼が少し怖いし、立ち上がると細身ながら背も高くて、威圧感てほどじゃないけど人を寄せ付けないオーラみたいなものがある。
普段彼はキッチン担当だから、そんなに接点もなかったし、楽しくおしゃべりという雰囲気でもなくて、私は黙って手元の紙に意識を集中していた。
「
急に名前を呼ばれて我に返る。店長の意向でスタッフは全員名前で呼び合ってるからそこに驚いたわけじゃないんだけど、低い声で示されたその提案が予想外で、多分私は不自然なくらい長い間彼の顔を見つめてしまっていたのだと思う。
表情は変わらないまま、彼の高い頬骨の辺りがジワッと赤く染まる。僅かに首を傾げて、創君は再度呼びかけてきた。
「美乃梨さん?」
「あ、ああ、ゲーム?うん、いいよ、黙ってやってると退屈だもんね。何するの?しりとり?」
「イエス・ノー・ゲームです」
「どんなゲーム?」
彼の説明によると、出題者が考えたお題に回答者が質問し、出題側がイエスかノーで答えるというものだった。
例えばお題がリンゴなら、「それは植物ですか?」などと適当にあたりをつけて尋ね、出題者は「ノー」と答える。「食べ物ですか?」「イエス」という風に、質問を繰り返し、答えを探っていく。
それなら簡単だし手を動かしながらでも出来る。じゃんけんで勝った人から、ということで、勝った私は作業を続けながらゲームを始めた。
「それは生き物ですか?」
「ノー」
「では食べ物ですか?」
「イエス。口に入れるもの」
「イエスかノーだけでいいんですよ」
「おー、真面目だね」
「続けますよ。生き物じゃないなら、肉や魚じゃないですよね。飲みものですか?」
「イエス」
答えは「コーヒー」だけど、単純なゲームに思えて意外と難しいかもしれない。勘の良さと想像力が問われ、質問の仕方で答えの道筋までが変わる。
彼が考える時にちょっと上を向いたり、唇を尖らせるのを見ていると、年相応に見えるのが新鮮だった。今まで知らなかっただけで、思ったより親しみやすい子なのかもしれないと感じ始めた。私も単純だな。
ヒントがあったからか、その後はあっさり正解に辿り着いた彼は、「自分の時も一度だけヒントを出します」と言って笑う。そうしてると切れ長の三白眼の印象が和らいで、優しそうな表情になるのも今日初めて知ったかもしれない。
何度か2人で問題を出し合って、そろそろ作業も終わりかける頃に、「これを最後にしましょう」と創君が言った。
「今度は俺が出す番ですね」
「はーい。お願いしまーす」
「ふ……フードのオーダー通す時みたい」
「あはは、ここで癖ついちゃったかな。友達といる時もよくやっちゃうの」
「美乃梨さんの声、よく通るから聞き取りやすいです」
急に面と向かって褒められて、今度は私の頬が熱くなる。私は照れ隠しに俯いて手元の紙を折る。えーと、なんの話だっけ。あ、そうそう、ゲームの続き。
「じゃあ始めるね。それは動物ですか?」
「イエス」
「それは飛びますか?」
「ノー」
「となると、鳥じゃないか。それは泳ぎますか?」
「イエス。多分」
「多分?」
「よく知らないので」
「知らないのにお題にしたの?」
「知りたいとは思ってるんですけど情報不足で……」
私が首を捻ると、彼は心持ち眉を
「
「ノー」
「海にいる?」
「ノー」
「大きい?」
「ノー」
「怖い?」
「ノー」
「可愛い?」
「イエス」
ノーが続いて、やっと力強いイエスが聞けた。いつしか作業も忘れて真剣に考え込んでしまう。うーん、泳ぐかもしれない可愛い動物かあ。ビーバーは泳ぐの有名だし、カモノハシって泳いだっけ?ダメもとで言ってみる?
「カモノハシ?」
「ノー」
「ハムスター?あれ、ハムスターは泳がないか」
「ノー」
「哺乳類だよね?」
「イエス」
「難しいなあ。すっごい珍しい生き物とか?ヒント求む」
完全に作業を放棄して、腕組みしながら創君をじっと見つめる。またしても見つめすぎてしまったのか、創君は居心地悪そうに三白眼を瞬かせた。
「……女の子、です」
「なるほど、創君も男の子だね~。分かった、好きなアイドル?」
「ノー……好きは合ってます」
「じゃあ、女優さん?」
もうヒントもグダグダになってる。ボソボソと呟く声に微笑ましくなって下から顔を覗き込むと、彼は目に見えて分かるほど頬を染めて、黙って首を横に振った。
「あれ?ノーなの?もうわかんない、降参」
壁に掛かった時計の針はもう7時を回っている。年下の男の子をからかうのはちょっと楽しいけど、いつまでもダラダラ仕事してられない。最後の1枚を折って束ね、テーブルの上に重ねて置いて立ち上がる。
「遅くなっちゃったね。帰ろうか」
ロッカーに入った荷物と上着を取り出していると、隣に並んだ創君もコートを出しながら、目を合わせることもなくぶっきらぼうに言った。
「さっきの答え、美乃梨さんです」
「へ?」
私がマヌケに聞き返す間に、彼の姿は消え、事務所のドアは閉まった。ちょっと待って、それどういう意味なの?
さっきの会話を反芻して、じわじわと頬に血が上るのを感じる。ふと見るとロッカーの扉の内側に付いた鏡に、頬を染めた自分の顔が映っていた。
◇◇◇◇◇
別サイト企画参加作品
テーマ【赤く染まった頬】
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