盲愛【モウアイ】(人間ドラマ)

 目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。


 消毒薬と、微かに血の匂い。規則正しいリズムを刻む心拍数モニタ。霞む視界。

 俺は体を動かそうとしたが、鉛でも詰まったように全身が重い。白くぼんやり見えるのは腕に巻かれた包帯だろうか。どうやら骨折していたらしい左足は添え木で固定され、吊るされているようだ。

 あの後どうなったのか、曖昧な記憶を辿る。敵に囲まれ、絶体絶命の状況だった。





 確か、樋水ひみずと最後の煙草を吸い終えて、俺は破れた建物の天井から見える冬の星空を眺めていたはずだ。雲一つない晴れた夜空には星が揺らめいていた。


『星のキラキラは地球の大気の揺らぎなんだってよ』

『ふん、ロマンチックだな。上杉が星に興味があったとは知らなかった』

『うるせえ。これでも天体少年だったんだよ。今日みたいに気温や湿度が低いほど大気層を通過する時に密度の違いで光が揺らぐんだ』

『へえ』


 皮肉気に吐き出した相棒の息が星明りの下で微かに白む。寒いせいで感覚が分からないが、腕だけでなく見えていないどこかを負傷しているのかもしれない。体から力が抜けていく気がする。

 樋水のいる右側だけが温かい。2人だけの世界で星を眺めているような静かな高揚。ああ、頭も相当イカレてきてる。


『ほら、あれがオリオン座』

『それくらい知ってる』

『じゃあ、あれは?おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、オリオン座のベテルギウスで冬の大三角になる』


 ポーチから取り出した金属の筒を震える指で弄ぶ。俺はもうさほど動けない。手の中の筒はせいぜいクラッカー程度の子供騙しだが、生憎これしか残ってない。

 喋り続けていないと意識が途切れそうで、俺はどうでもいいことと知りながら、言葉を吐き出し続けた。樋水のイライラした気配が伝わってくる。


『星なんか眺めてる場合か』

『ベテルギウスはもうすぐ爆発するんじゃないかって言われてる。観測出来てないだけで、地球に届いてるのはもう死んだ星の光かもな』

『上杉』


 樋水の声が更に苛立ちを増した時、辺りの空気が変わった。ひしひしと包囲を狭める抑えられた殺気。震える片腕を無理矢理持ち上げて、一瞬だけ抱き寄せた柔い身体。ビクリと強張る耳に唇を押し当てて、俺は努めてのんびりと囁いた。


『走れ』


 相棒は瞬時に理解する。

 口で抜いたピン、後ろ手に投げた閃光手榴弾フラッシュバン、闇に弾けた眩い光、耳をつんざく爆音が樋水の叫び声を掻き消す。そして濛々と立ち込める煙。

 走れ。生きろ。俺の意識はそこで途切れた。






……俺は死んだのか?


 まだ視界が明滅して定まらない。ここが天国か地獄かは知らないが、やけに感覚がリアルだ。

 体は動かないが、右側だけは温かい。多分あの時の温もりが忘れられないだけだろう。柄にもなく感傷的になって、見えない目を開けたまま上を見ていると、右手を強く握られた気がした。


「上杉?」


 樋水の声だ。あの時数秒だけでも隙を作れば彼女なら逃げられると思ったんだが。


「……お前も死んじまったのか」

「上杉!この馬鹿!」


 震える声、ぎゅうぎゅうと手を握られて、やっとこれが現実だと気付く。強気な言葉とは裏腹に、右手に押し付けられた頬が濡れている。俺は掠れる声を絞り出した。


「大丈夫か?」

「お前ってやつは……!」

「痛ぇ」


 強く抱きつかれて全身が軋むように痛んだが、何故か多幸感に脳が痺れる。点滴を繋がれた左腕を上げて、彼女の形を探る。さらさらの短い髪、丸い額、長い睫毛、滑らかな頬、目に映らなくてもありありと浮かぶあの時の紅唇。


 どうやってあの場から脱出したとか、お前は怪我してないのかとか、他の仲間はどうなったとか、聞きたいことは山ほどあったのに、樋水の静かな嗚咽を聞いていたらどうでも良くなってしまった。


 あの時眺めた星空。2人きりの時間。あの温もりが失われなかったことに安堵して、俺は静かに目を閉じた。



◇◇◇◇◇


別サイト企画参加作品

テーマ「冬の大三角」

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