愛惜【アイセキ】(人間ドラマ)
夜が来ていた。今夜は月もない新月。
崩れた建物の陰に身を潜め、俺は荒い呼吸を吐き出した。冬の冷えた空気の中に白い靄が浮かぶ。状況はますます不利だ。戦闘の間に壊れてしまった暗視ゴーグルは役立たずのガラクタになり果て俺の足元に転がっている。
「上杉」
偵察に出ていた
女だてらに――なんて言ったらぶっ飛ばされそうだが――近接戦闘を得意とし、敵に対しては容赦がないが、時々こうして見せる不器用な気遣いに何度も癒された。
「わりいが尻のポケットから煙草出してくれねえかな。右腕がやられちまってよ」
「馬鹿、こんな時に煙草なんて何考えてんだ」
「いいから」
彼女の報告によれば、戦況は芳しくない。周囲をぐるりと敵に囲まれ、孤立無援状態。他の仲間ともはぐれ、今は2人だけだ。
あちらさんも様子を窺っているのか辺りは木枯しの鳴る音しか聞こえない。
樋水は嫌そうにしながらも俺の右の尻ポケットをごそごそ探って、赤いブルズアイマークの煙草を取り出した。腕が利かない俺の代わりに一本取り出して口に
「ったく、ラッキーストライクなんて縁起の悪い」
「いいじゃねえか、大当たり、大吉だろ」
「何が大吉だ。この状況じゃ大凶もいいとこだ」
この煙草は第一次、第二次大戦で米軍の軍用物資だったが、兵士達からはその名前 (大当たり = 敵弾に当たる)やロゴが
俺は静かに笑って、動く方の手で火を点けようとした。親父から受け継いだ古いジッポーは、手入れを怠らない。いつもならすぐに回るフリントホイールが、何度やっても指の下で滑る。左肩もイカれてるらしい。指に力が入らない。
「……ついでに火もつけてくれ」
樋水はブツブツ言いながら、手探りでライターを奪い取る。シュッと軽い擦過音がして、一瞬だけ浮かんだ樋水の白い顔。オイルの香り、吸い込んで赤く灯る巻紙の端、吐き出した最初の白い煙。蓋の閉じる金属音。
「くっそ不味い……。フィルター切ってくれよ」
「不味いならもうやめろ。体に悪い。これで最後にしろ」
「だな……これが最期かもな。俺が死んだらそのライターやるよ」
思わず苦笑いすると、右肩を小突かれた。傷に響かないように軽くだが、地味に痛い。
「縁起でもない。私にも一本寄越せ」
「お前はやめたんだろ」
「最期にしてたまるか」
俺の吸い込んだ火を
俺は少しだけ体勢を変えて、背筋を伸ばした。打開策は今のところ、ない。けれど強がりでもいい。笑うしかない。
「じゃあ、ラッキーにあやかろうぜ」
「そうこなくちゃ」
燃え尽きた灰が落ちる。口の中に広がる苦い味、赤く照らされた
今を最期にするのは惜しい。
◇◇◇◇◇
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