大乱闘棺桶ブラザーズ(ファンタジー)

 街にはイエス・キリスト12使徒の一人であるアンデレのシンボル、「X」の形を模した聖アンデレ十字クロスの旗が掲げられ、祝祭の前夜を彩る。



しくじった。


 俺は街の外れの薄汚い煉瓦の壁に凭れて空を見上げていた。降り注ぐ銀色にも似た激しい雨滴が全身を濡らし、体から体温を奪う。破れた黒いシャツの脇腹からはどす黒い血が流れ出ているが、それも茶色の汚泥と混じり合って側溝の中に消えていく。


 敵対するギャングのボスのたまってくるだけの簡単なお仕事。いつもならそんな面倒なことには首を突っ込まないが、ギャンブルでしこたまこさえた借金が嵩み、矢のような取り立てに俺は焦っていた。詰まれた札束の山に目が眩み、気付けば防錆用の油紙に包まれた銃を受け取っていた。

 最初から俺を嵌める巧妙な罠だったのだ。いかさま賭博ポーカーを仕組まれたのも、借金の取り立ても。何故かバレていた襲撃の計画も、全部最初から。


 どうせ下らない人生だった。孤児で誰にも愛されず育った分かりやすく堕落したクズ。暴力、酒、女、薬、ギャンブル。優しい女もいたことはあったが、どれも俺を救いはしなかった。

 もしも来世なんてものがあるのなら、少しはマシな何かに生まれ変わっているといい。そんなことを思って目を閉じかけた俺の視界に、黒い影が映る。

 見上げると、雨に霞む空を背中に、白いシャツと茶色の半ズボンを身に着けた育ちの良さそうな少年が立っていた。白い顔に金色の髪。天使が迎えに来たのかと思ったが、その瞳は紅く、やけに毒々しい赤色の唇からは青い陽炎のようなものが立ち上っている。


「おじさん、暇なの?」

「ああ……さっき無職くびになったとこさ」

「じゃあ、手伝ってよ」

「何を……?」


 少年は睨む俺に怯える様子もなく、楽しそうに笑う。静かなのに狂気を感じさせる甲高い声が耳を刺す。こいつは天使じゃなくて悪魔かもしれねえな。そんな考えがちらりと脳裏をよぎったが、今さらどうなろうと後は死ぬだけだ。


「十字路でお祭りがあるの」

「へえ…楽しそうだな……ゲホッゲホッ」

「僕の仲間になって?」

「ああ、いいぜ。どうせ明日をも知れねえ命だ……好きにしな」


 捨て鉢な俺の言葉に少年がまた笑った。近づいてくる紅い瞳、小さな唇から覗く長い牙―――それが俺の見た人間としての最後の記憶だった。



 11月29日。聖アンデレ前夜。

 この夜ルーマニアでは吸血鬼達が一斉に墓から這い出てくる。この日は生まれながらの吸血鬼達も覚醒し、口から青い炎を吐き出しながら、十字路で棺桶を頭に載せた吸血鬼と殴り合う。この大乱闘は朝まで続き、伝説を知る住民たちは固く門戸を閉ざし、決して外には出ないと言われている。


 その夜の勝者は、天使と見まごう美しい少年と、黒いシャツを着た幽鬼のような男であったという―――。



◇◇◇◇◇



【補足】

聖アンデレの祝日(11/30)も吸血鬼伝説も実在します。

本当に吸血鬼が墓から出てくるかどうかはわかりません。


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