香水➁~会社の先輩と飲み会抜け出して外で好きな小説の話をしてたらいい感じになった~(恋愛)

 同部署の定期飲み会。親睦を深める為に、とは言うが、会社の人間が集まればほぼ仕事の話だし、今どき上司にお酌しろなんて言われないけど、やっぱり気は遣う。だるい。帰って好きな小説でも読みながらダラダラしたい。「飲みにケーション」なんて言葉を考えた奴葬りたい。


 もう会費は払ってあるし、酔いを醒ますふりをして帰ってしまおうと目論んだ私は、こっそり鞄を掴んで一度トイレに向かった。

 一息ついてトイレから出たら、会社の先輩がぶらぶらと店の外に出ていくのが見えた。グレーのスーツのポケットに手を突っ込んだ背の高い後姿を追うように私も外に出る。


 私が後ろにいることに気付いていないのか、先輩は喫煙所になっている一角まで歩いて行って立ち止まった。おもむろにポケットから電子タバコを取り出して、口に含む。

 同じ部署になって1年ほど経つが、普段は真面目で落ち着いた感じの先輩がタバコを吸っているところを見たのは初めてだったので、なんだか新鮮だった。

 少し冷たくなり始めた夜の空気に吐き出した白い息が溶ける。


「赤城先輩、タバコ吸うんですね」

「あ、見られた」


 私が声を掛けると、先輩は振り向いて悪戯が見つかった子供のように笑った。別に大人なんだから喫煙しようが飲酒しようが咎められることはない。既婚者なら奥さんが嫌がるかもしれないし、子供に良くないからって止める人もいるかもだけど、確か先輩は独身だったはず。

 イケメンという訳ではないけど、そこそこモテそうな雰囲気はある。どちらかというと、敬遠したいタイプだったけど、今日は意外な面を見てしまったこともあり、酔いも手伝ってつい声を掛けてしまった。

 先輩は私の鞄に目を遣り、首を傾げた。


「帰るの?」

「……ええ、ちょっと酔っちゃって……って、ほんとはここだけの話、飲み会参加するより家で積読消化したいんですよね」

「はは、分かる。会社の飲み会ってつまんないよね」

「うわぁ……先輩、案外はっきり言いますね」

「相良さんも言ってたでしょ」


 ふふふ、と共犯者の笑みで笑い合う。今まであまり仕事以外の話はしなかったけど、程好くお酒も入って打ち解けた雰囲気が妙に心地良い。

 なんとなく立ち去りがたくて留まっていると、先輩は気を遣うように少し距離を取った。


「ごめんね、臭いでしょ」

「大丈夫ですよ。電子タバコってそんなに臭いませんよね」

「うーんまあね。ちょっと物足りないけど、気休め程度にはなるかなあ」

「やめればいいのに」

「俺は最後の喫煙者になって国の天然記念物になるんだよ」

「あ、それ、知ってる。筒井康隆の短編小説」

「俺も読んだよ。オーウェルの『1984』煙草版て言われてるけど、あのオチ気に入っちゃって」

「先輩もけっこう小説読むんですね」

「知らなかった?まあ、会社じゃあんまり話したことなかったもんね」


 2人で話しているうちにもうタバコは吸い終わっていた。誰が聞いている訳でもないのに内緒話のように近付いた距離でふわりと彼の香水が香る。

 ベリーと柑橘系が合わさったようなそれは控えめで爽やかだけど、穏やかな先輩の雰囲気に似合っている。


「先輩、香水つけてます?」

「うん、軽くね。1日オフィスにいるとなんか汗臭くなるし」


 今日は初めて知ることだらけだ。先輩が香水をつけることも知らなかった。こうして肩を寄せ合うほど近づいてやっと気付く香りに少しドキドキする。

 お酒や彼自身の香りやタバコの匂いと混じり合い、最後はシダーウッドのようなスパイシーさが鼻腔を抜けていく。


「なんだかいい匂い」

「かがないで。朝つけたからほとんど俺の匂いしか残ってないよ」

「いいえ、いい匂い。これ好き」

「やめて」


 ふんふん、とふざけて鼻を鳴らす私に、先輩は困ったように笑った。そして照れ隠しのようにポケットに手を突っ込んで、空を仰いだ。


「匂いが好きな異性とは遺伝子レベルで相性いい説知ってる?」

「……知ってます」


 私たちは、近づいた距離のまま、2人でまたこっそり笑った。



◇◇◇◇◇


『香水〜香りの物語〜』にも掲載


参照

「最後の喫煙者」筒井康隆

「1984」ジョージ・オーウェル

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