香水①~おじさんがネクタイ結びながら「ちょっと。恥ずかしいからあんまりこっち見ないでよ」と言ってくる~(恋愛)
ピンポーン。
誰も出てこないのは分かってるけど、私は一応チャイムを鳴らして鍵を開けて家に入った。
目指すは2階の
おじさんとは言っても、お母さんの2番目の旦那さんの弟だから血の繋がりはない。うちの近所に住んでいるので時々こうして様子を見に来る。私が5歳、和希おじさんが20歳の時に私の母親が再婚して、昔は本当のお兄さんのように遊んでもらった。
優しくて話が面白くて楽しい遊びをいっぱい知ってるおじさんが大好きだった私は「大きくなったらおじさんと結婚する!」と宣言していた。
でも今は……。
「和希おじさん!」
バン!とドアを開け放って叫ぶと、カーテンの隙間から差し込む午後の日差しに照らされたベッドの上に毛布の塊が見えた。
やっぱりまだ寝てた!ワシッと毛布を掴み、引っぺがす。あまり掃除してない部屋の埃と共にお酒と煙草と香水の匂いがふわっと立ち昇る。
「もー、お酒臭い!この前掃除したのいつ?」
「……んん?ああ?ユカリ……?」
「ユカリって誰よ!いろはよ、いろは!可愛い可愛いJKのいろはちゃん!」
「ああ、ちびか……」
おじさんは掠れた声で呟きながら寝惚け眼を擦った。あちこち寝癖がついた硬そうな髪、夕方だから無精髭も生えてる。しかもパンイチ!!
「いやああ!!なんでいつも服着てないの!」
出会った頃の爽やか大学生はどこへやら、卒業後、先輩に勧められるままバーテンダーの職に就いて今やすっかり自堕落な大人になってしまった和希おじさんは、私の悲鳴に顔をしかめた。
「うぉ…頭いてぇ……昔はお前だって風呂上りまっぱでウロウロしてただろうが」
「一緒にしないでよ。もう18なんだからね?」
「へえ」
おじさんは興味なさそうに脇腹をぼりぼり搔きながらのっそり起き上がった。仕事がない時はジムで鍛えているので、おじさんのくせに無駄にいい体をしている。
くそ!目のやり場に困る!ワイルド系の細マッチョ、夜のおねえさん達には受けるかもしれないけど、花も恥じらう女子高生には刺激が強すぎる!
「ふあああ……風呂入ってくるわ」
「御飯は?食べる?」
「ん~味噌汁なら……ってオカンか、お前は」
「オカンじゃありません!今日は塾の友達と予習するからあんまり時間ないの。作ったらすぐ行くからね」
「おー頼むわ」
おじさんは大欠伸をしながらお風呂場の方へのしのし歩いて行った。勝手に世話を焼く私も私だけど、あれはない。あの世話焼かれるのに慣れ切った態度。
昔はあんなじゃなかったのに。むしろ面倒見が良かったのはおじさんの方。あんなに生活能力が低いとは思わなかった。どうせ面倒見てくれる女の人はたくさんいるんでしょうけど!
「ないわ……ありゃクズだ」
「何が~?お、旨そう」
「ほわあ!?」
ブツブツ言いながらしじみの味噌汁を作っていると、後ろからおじさんが覗き込んできた。びっくりして変な声出ちゃった。ていうか出るの早くない?まだ髪濡れてますけど?
「ちゃんと髪乾かしてきなさい。そして服も着なさい」
「オカン」
「オカンちゃうわ!ほら、さっさと食べる!」
「ふあーい」
おじさんは出勤用の黒いズボンを穿き干してあった白シャツを適当に羽織って、居間のソファに座ると、のんびり味噌汁を啜り始めた。
私は首に掛かっていたタオルを奪って後ろから丁寧に髪の水分を拭き取る。硬くて跳ねやすい真っ黒な癖っ毛。これを撫でつけて営業スマイルを浮かべれば、ちょい悪バーテンダーの出来上がりだ。無精髭はまだ残ってるけど、なまじ顔が良いだけにそれもまた……。いかんいかん。こいつはクズ。
「はー、やっぱいろはちゃんのお味噌汁旨いねえ。もうこれしか飲めないわ」
「お世辞はいいから飲んだらちゃんと準備していくのよ?髪もドライヤーで乾かして」
「えー、新しい靴下とボウタイどこだっけ……」
「寝室のクローゼットの棚の1番下に靴下、タイは2番目。こないだ掃除した時教えたでしょ?」
「出してきて」
「もう、時間ないのに~!」
「やけに急ぐなぁ」
「友達と約束してるってさっき言ったよね?」
「そうだっけ?……そんなに急がなくても……あ、友達って男?」
「……そうだけど?私にだって男友達くらいいるもん」
「ふ~ん」
和希おじさんは味噌汁を飲み終えて、じっと私を見た。眼を眇めるような野性味あるその表情に、少しドキッとする。
本当に心臓に悪い。私は動揺を隠して寝室に靴下とネクタイを取りに行った。
「はい、靴下とネクタイ」
「ありがとな~」
おじさんは何事もなかったように着替え始めた。ゆっくり靴下を履き、シャツのボタンを上まで留めて、光沢のある黒いベストを身に着けていく。引き締まった腰のラインが大人の色気を感じさせ……違う違う。別に見とれてない。
おじさんは長い指で器用に蝶ネクタイを結びながら、私を見てニヤニヤと笑った。
「ちょっと。恥ずかしいからあんまりこっち見ないでよ」
「……っ!さっきまでパンイチ見られても平気だった人がそんな訳ないでしょ!」
「俺がかっこよすぎて見惚れちゃった?」
「馬鹿なの?おじさんのくせに」
「………ああ言えばこう言う。ほんと口の減らないやつだな」
「悪かったわね!」
膨れる私を、立ち上がった和希おじさんがちょいちょいと手招きする。手には愛用の香水瓶。
いつもはこれを空中にさっと吹いて腕をくぐらせて香りを身に着ける。香水のつけ方まで気障。おじさんのくせにおじさんのくせにおじさんのくせに。
警戒しながら近づいた私の前で、おじさんはいつもの仕草で香水を空中に放つ。ふわりとセージが漂い、次いでラベンダーが降りてくる。
あ、好きな香り。これが段々花の香りに変わって最後はおじさんの香りと混じってすごくすごくセクシーな香りになるの、知ってる。
気が付くと私は、おじさんの伸ばした片腕に香水ごと抱き込まれていた。
「これでいろはも同じ匂い」
耳元で囁く和希おじさんの低い掠れ声と厚い胸板にちょっと意識が遠くなる。うわあああん、良い匂いすぎる!いやいやいや、この大人は悪い大人!
色々いっぱいいっぱいになってしまった私のつむじの上で、おじさんは「少しは牽制になるかな」と、満足そうに独り言ちた。
◇◇◇◇◇
『香水〜香りの物語〜』にも掲載
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