注文の多い関所(ロードムービー)
その国の国境は保安検査が厳しいことで有名だった。
事前情報で聞いてはいたが、本当に観光客といえど容赦はない。国境付近の高地まで行くとバスを降ろされ、遥か彼方にある下を見れば眩暈のするような断崖絶壁を徒歩で行かされる。その間に密入国者などがいないかバスの中を捜索するのだ。
列の先頭、中ほど、しんがりに、カーキ色の軍服姿の厳めしい顔をした兵士達が、ライフルを持って付き添う。付き添うと言うかこれでは連行されている気分だ。
「パスポートとビザを出せ」
机と椅子が一つずつしかない殺風景な小部屋に通された俺は、顎髭の偉そうな兵士にいきなり命令口調で言われ、ムッとした。ムッとはしたが、相手は銃を持っており、逆らうことを許さない威圧感を醸し出している。
「どうぞ」
「よし、次は荷物検査だ」
「………」
俺は黙ってバックパックの口を開けた。部下と思しき兵士が無遠慮に手を突っ込んで中身を出すのを見守る。
どうせ大したものは入っていない。数日分の衣類、退屈しのぎに現地で買ったペーパーバック、スナック菓子、スティック式のインスタントコーヒー。ノート、カメラ、携帯電話、モバイルバッテリー。100均で買ったペンやライター。
「これはなんだ?」
「ライターとモバイルバッテリーですが」
「危険物だ。没収する」
「はああ?」
元々、ライターは現地の人にプレゼントするつもりで買ってきた物だ。小さな贈り物は拙いコミュニケーションの助けになる。だが、モバイルバッテリーを取られるのは辛い。
「これも危険だ」
「それも?」
兵士達はスナック菓子とスティックコーヒーを取り上げ、じっくり観察した後、自分達の後ろにある机の上に置いた。
「爆発物の疑いがある」
いや、ねえよ。
高地の気圧変化で菓子の袋が膨らむという話は聞いたことがあるが、爆発したとしても大した威力ではない。
納得いかないながらも丸腰の身としては銃を持った男達には逆らえない。次に兵士はペーパーバックを取り上げて表紙を眺めた。
「これはなんだ?」
「本?」
「危険思想の本ではないのか?内容は?」
「思想の検閲まですんの?」
「内容を言ってみろ」
上官はイライラしたように軍靴の踵を打ち鳴らした。身体を動かすたびに銃がガチャガチャ音を立てて怖い。
「信心深いおじさんが国境超えて迷子を隣の国に届ける話…だったかな。ミュージカル映画にもなってると思う」
「映画は見たのか?」
「はあ…見ました」
「歌ってみろ」
「ええ!?」
「早く」
俺はうろ覚えの内容を必死に思い出しながら、映画の中の曲を歌い出した。男達は険しい表情のまま、腕を組んで俺の下手くそな歌を聴いている。
「ミュージカルだろう?踊りはないのか?踊れ」
「ええ?覚えてないっすよ」
「適当でいい。お・ど・れ」
部下の兵士は脅すように銃をガチャつかせる。
確か猿っぽい踊り…。仕方がないので覚えている限りのダンスと自分で考えた適当な振付を組み合わせて歌い踊る。
いったい俺はこんな異国で何をしているのだろう。
虚無に囚われる俺の前で、上官の顔はますます険しくなる。機嫌を損ねたらここで撃たれるのではなかろうか、という雰囲気だ。いや、むしろ羞恥で死ねるがまだ踊る方がましだ。命には代えられない。
俺がいつ終わるともしれない責め苦に疲れ果てた頃、ようやく上官が堅く結んでいた口を開いた。
「よし、危険はないな。通っていいぞ」
「はあ、はあ…」
悪態の一つもついてやりたかったが、高地で歌い踊ったせいで息が続かない。
適当に詰め直された荷物を押し付けられ、俺はよろよろと検査部屋を出た。
ドアが閉まった途端、背後の部屋から爆笑が聞こえてきた。
「さっきの見たか!?」
「チョロかったな、あいつ、ほんとに踊りやがった」
「今日は儲けた、後で休憩の時に珈琲飲もうぜ」
やられた。
よくよく考えてみれば、検査で踊らされるなんて聞いたことがない。頭に来てドアを開けようとしたが、中から鍵が掛かっていて、こちらからは開かないようになっている。
腹立ち紛れにドアを蹴飛ばした。鋼鉄製の扉にはかすり傷一つ付かない。逆にこっちの足が痛い。変な踊りのせいで心も痛い。
盗られた荷物は惜しいが、抗議したところで戻ってくる可能性は低いだろう。
この国では騙される方が馬鹿なのだ。
終
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