うじがみ様(ホラー)
私が旅の途中に訪れたその村には、どこか奇妙な空気が漂っていた。
電気やガスは辛うじて通じていたが、医者も常在していない過疎の村、なぜか怪我人や病人が一人もおらず、長寿の者が多い。そしてそれは山の祠の氏神様のお陰だと皆が口を揃える。
こんな科学の発達した時代に神の御利益を信じる迷信深い村人を内心訝しく思ったが、彼等は大真面目だった。
私が村に一つしかない宿屋に滞在している間にも、毎日誰かしらが祠にお詣りに行く。
ある日、山で薪用の枝を拾っていた86歳の村人が、山道から滑落して、大怪我を負った。落ちた際に枝が脇腹に深々と刺さった老人が、戸板に乗せられて再び山の方へ運ばれていくのを見た私は、板を運んでいる男達に尋ねた。
「医者に運ばないのですか?このままでは助からない」
「大丈夫、神様がいらっしゃる」
「こんな時に神頼みですか!」
「こんな時だからじゃないか」
男達は落ち着いた様子で口々に言い、老人を山の祠に運んで行った。しばらくすると男達だけが戻って来て、私は更に驚愕した。
「怪我人を置いてきたのですか!?」
「当たり前だろう。俺達がいても意味がない」
「そんな!では私が医者に連れて行きます!」
「必要ねえ」
「あなた達はそれでも人間ですか!あのままじゃ出血多量で死にますよ!?」
「余所者は黙ってろ」
皆のあまりの冷淡さに憤慨して私は叫んだ。そのまま山の方へ駆け出したが、山歩きや畑仕事で鍛えられた屈強な男達に取り押さえられ、宿の一室に一晩閉じ込められた。
私は諦め切れなかった。人一人の命が掛かっているのだ。次の夜を待って見張りの目を掻い潜り宿を抜け出した。
ほとんど月明かりもない暗い夜だった。山の祠へと急ぐ。鬱蒼と茂った木々の中を息を切らせて獣道に等しい細い道を走る。道に迷ったかと不安になった頃、前方に祠がぼんやりと見えてきた。
闇に浮かび上がる白っぽい大きな一枚岩の中にその古い祠は建っていた。わざわざ詣でるほど信心深くはなかったので、実物は見たことはなかったが、話に聞いていた通りだ。ある種の異様な空気を放つ祠の手前で、私は知らず歩みを緩める。
私は祠の階段を上り、格子戸の隙間から恐る恐る中を覗き込んだ。
徐々に慣れてきた目を凝らすと、闇の中に蠢くものがある。あの老人だ。きっとまだ生きている。安堵と共に声を掛けようとした私は、次の瞬間息を呑んだ。
「ひ」
木の床に寝かせられている老人の上に、無数の『何か』がいる。仄かに白く発光しているように見える『それ』は、老人の身体を這い回り、ベチャベチャと音を立てながら盛んに動いていた。
まるで老人を貪り食うかのような動きと凄惨な音、あまりの
「あんた、そんな所で寝てたら風邪引くよ」
揺り起こされ目を開けると、私は祠の前で倒れていた。目の前には一昨日怪我をしたはずの老人が立っている。
私は夢でも見たのだろうか。ぼんやりしたまま目を擦って、そこで我に返る。
「そうだ、おじいさん、お怪我は?起き上がって大丈夫なんですか!?」
「怪我?この通りピンピンしとる」
「嘘だ、あんなに酷い怪我だったのに…」
慌てて老人の脇腹を見ると、衣服こそ破れて茶色の血染みがついているものの、素肌には何も傷跡がない。老人はほとんど歯の残ってない口を開けて不気味に笑った。
「前より元気なくらいじゃ。これも神様のお陰じゃな」
「有難や有難や」と祠に手を合わせる老人を信じられない思いで見つめた。
そんな…、そんな、そんな、だってあれは。
私はじりじりと後退り、踵を返すと、無我夢中で山道を駆け下りて宿屋に飛び込んだ。
私がいない事に気付き大騒ぎしていた村人達が何か喚いていたが、それもほとんど耳に入らない。貴重品の入った荷物を奪い返して宿代を払うのもそこそこに村を出た。
一刻も早くその場を離れたかった。一日一本しか来ないバスを待つ余裕もなく、私は峠を走り続けた。
口に出すのも厭わしい形態の『アレ』、目も人間のような手足もなく、本能のままにくねるような幾つも節のあるぶよぶよの身体。
口だけを大きく開け、老人の傷口から漏れる体液を舐めていた奴らは――白く巨大な蛆のように見えた。
悪い夢でも見たと思って忘れてしまうに限る。気ままな一人旅の途中では、時に信じ難い出来事にも遭遇するものだ。
あの村でいったい何の神を祀っているのか……知りたくもなかった。
終
――――――
【後】
ありがとうございました。
医療用の無菌蛆による『ウジ療法』というのはあるんですけどね。
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