おしゃべりなスパイス②(ファンタジー)

 私はスパイスショップ『terramerita―テラ・メエリタ―』のカウンターの前で丈の高いスツールに座っていた。

 店主の鹿枝しかえさんに出してもらったハーブティーを飲みながら、ここ数日中に起きた不思議な出来事を、どう話していいものか思案していた。


「先日の染料のお代をお支払いしに来ました」

「成功したんですね」


 結局出たのはそんな無難な言葉だったが、鹿枝さんは万事心得ているとばかりに相好を崩した。


「ええまあ……」

「何か問題でも?」


 歯切れ悪く言葉を濁す私に、鹿枝さんの白い眉が少し上がる。


「いや、なんと言っていいのか」

「アフターケアも販売者の責任ですよ。なんでもお話ください」

「実は……」


 そう切り出しながら、私は先日の出来事に思いを巡らせた。


――――――


「この生地に色をのせて欲しいのです」


 以前、知人の個展で知り合った人形作家のベルメさんという女性が、工房に尋ねてきたのは少し前のことだった。

 いつも襟の高い黒いゴシック調のワンピース姿で、年齢不詳の美しさのある女性だった。作家としての名刺をもらったが、本名は未だに知らない。

 染料の原材料が手に入ったと連絡したところ、彼女はすぐ駆けつけてくれた。


 球体関節人形を主に制作しているベルメさんは、世界中にコアなファンがいる。私も招待されるままに何度か個展にお邪魔させてもらったが、彼女のモチーフは半人半妖や神話の生き物、両性具有、物憂げな表情の美しい人形たちで、その妖しげな魅力に心が引き込まれた。

 衣装も生地や染めから一から作るそうだが、扱いが難しいものなどは、私に依頼をくれるのだ。


 手渡された生地はまだどんな色にも染まっていない。くたりとした独特の柔らかさと光沢。


練絹ねりぎぬですか?」

「ええ、京都に旅行した時に、良い絹を手に入れたものですから」

「どんなお色にしましょうか」

「お任せします。染料が教えてくれるでしょう」

「買ったお店でもそう言われました」

「ふふ。見せていただける?」


 鹿枝さんの言う通りだった。私は頷いて、工房の奥へ案内した。「時間を置く場合はなるべく暗くて温かい場所で保存してください」という鹿枝さんのアドバイスに従い、日に当たらない温かい部屋の棚の奥に厳重に包んで仕舞ってある。


「これです」

「まあ」


 ベルメさんは細い指を伸ばして壜を受け取り、目の前に掲げてじっとその中身を見つめた。色素の薄いガラス玉のような茶色の眼は、彼女の作る人形たちに似ている。


「元は黒いのね。これがどんな色になるか楽しみね」

「出来上がったらご連絡いたします」

「お待ちしてるわ」


 彼女は心なしか来た時より軽い足取りで帰って行った。次作について思いを巡らす瞬間が楽しいのは、どんな作家にも当てはまることらしい。


 私は夜を待って、作業を始めた。蟲瘤が暗いところを好むなら、明るい時間より夜の方がいいと思ったからだ。

 明かりを極力抑えた部屋の中で、鹿枝さんに言われた手順で染料を作る。寸胴鍋に沸かした湯の中に蟲瘤を放し、薬剤を加えて様子を見る。

 最初、黒々とした色に溶け出した蟲瘤は、火を止めた鍋の中でゆらゆらと揺らめいた。


「……何色がいいのかな」


 半信半疑で呟くと、揺らぎが少し大きくなった。


「……一緒に」

「え?」

「一緒に外に出て」


 空耳かと思ったが、確かに鍋の中から小さな声がする。私は息を呑んで、鍋の中身を見つめた。


「早く」

「あ、はい」


 慌てて寸胴の取っ手を掴み、外に出る。私の工房は田舎にあるので、周りには民家も街灯もなく、夜は真っ暗だ。今夜は新月で月もなく、木々の間から見える星が、怖いほどに光って見える。


「下に置いて」


 言われるがまま草の上に鍋を下すと、小さな声は私の知らない言語で唄い始めた。

 声に合わせて、湯の表面がゆらりゆらりと揺れる。見ているうちに、揺れは大きくなり、周囲に淡い光が降りてきた。蛍の光のようなそれは、どんどん鍋の中に吸い込まれていく。私はその幻想的な光景に、声も出せずに見惚れた。


「もういい。戻って」


 どれくらいの時間が経ったのか、気付けば光は薄くなり、静かに揺れる水面が、私に話しかける。

 私は中に戻り、ほの明るい部屋の中で、鍋の中を覗き込んだ。出来上がった染料は不思議な色をしていた。瑠璃のような濃い青かと思えば、緋や茜のような赤みを帯びて光る。初めて見る色彩に息を呑む。

 私は興奮に任せて一晩中夢中で作業した。夜が白みかける頃に作業を終えて、あとは干して乾燥させるだけになる。

 

 少し仮眠を取って、乾いた生地を見ると、茜から濃い緋色、紫、空を溶かしたような濃い瑠璃色のグラデーションが出来上がっていた。瑠璃色には星のような粒が散らばっている。こんなものは見たことがない。


 ふと、鍋の中身が気になって、中を覗くと、洗った覚えもないのに、蟲瘤入りの染料はまるで使った形跡もなく消えていた。

 信じられない思いだったが、私はすぐさまベルメさんに連絡を取った。昨日の今日で来てくれるかは分からなかったが、彼女は午後を待たずに現れた。


「すてき」


 吊るされた生地をめつすがめつ眺め、可愛らしく両手を打ち合わせた彼女は、早速アイディアが沸いたようで、代金を支払うと挨拶もそこそこに帰って行った。



――――――


「それで?音は出ましたか?」


 冷めてしまったハーブティーを入れ直しながら、鹿枝さんが尋ねた。


「……ええ、多分。その後、すぐ彼女の工房に招かれまして。完成品を見せていただきました」

「ほう、多分とは?」


 天女のように美しい面差しをした人形は、紅白梅の枝をつけた金の王冠を戴き、目にも綾な絹のほう、白い袴の下から伸びた鳥の脚。

 美しい声で鳴く『迦陵頻伽かりょうびんが』を模したというその姿は、絹の奥底から光るような光沢も相まって、まさしくこの世のものではないように見えた。

 音は出たのかと尋ねた私に、人形の絹糸のような髪を撫で、彼女は妖しく笑った。


『公開するつもりはないの。この子、私と2人きりの時にしか歌わないの』


 釈然としない気持ちで私がその時のことを話すと、鹿枝さんは意味深に微笑んだ。


「そうでしょうねえ。あれはそういうものです」

「ええ、そうなんですか…?」

「魅入られたら……戻ってこられなくなりますよ」


 その言葉を聞いて、私は彼女の表情を思い出し、密かに体を震わせた。入れ直したハーブティーは温かいはずなのに、足元から底の見えない冷気が這い上がる気がした。



――――――


【後】


『迦陵頻伽』

美しい声のたとえ。 また、声の非常に美しいもののたとえ。

あるいはヒマラヤ山中にいる想像上の鳥の名で、まだ殻にあるときに美しい声で鳴くともいう。

極楽浄土にすみ、比類なき美声で鳴く想像上の鳥。

浄土曼陀羅の絵などでは上半身は美女、下半身は鳥の姿で描かれている。

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