分かりにくいジョーク(ロードムービー)

 その寝台列車の二等車は4人部屋のはずなのに、カーテンで仕切られた向こう側がやけに騒がしい。大きな声ではないのだが、複数の人間がひそひそと話す声がする。


 インドを列車で旅していると、車内を物売りが練り歩いて食べ物やチャイを売るが、今は深夜で誰もが寝静まっている。

 一緒に旅をしている友人は、上段のベッドで腹痛に唸っているようだが、その声ではない。俺は外の様子がどうしても気になって、カーテンの隙間から少しだけ顔を覗かせてみた。


 上下二段のベッドが設置されただけのシンプルな部屋の中央の通路には、4人の外国人の男たちがたむろっていた。よくあることだが明らかに定員オーバーだ。


「Hey,What are you up to?(なにしてんの?)」


 俺が小さく声をかけると、男たちは気まずそうに一瞬話すのを止めたが、その内の一人が手に持っていた酒瓶を掲げて見せた。


「Drinking.(酒飲んでる)」

「You want?(きみも飲む?)」

「Do you like bourbon?(バーボン好き?)」


 俺は頷いた。ちゃぷん、と揺れた琥珀色の液体に喉が鳴る。

 持ち込めない訳ではないが、宗教上の理由からか、外国人と言えど大っぴらに酒を飲むのは躊躇われる国なので、あまり強い酒を飲む機会がなかった。


「I don't have a glass,Okay?(グラスないけど、いい?)」

「Okay」


 まんまと共犯に誘い込んだ金髪男は少々悪い笑みを浮かべる。酒瓶を受け取った俺は、行儀悪くそのまま口をつけて一口飲んだ。強いアルコールが喉を焼く感覚を久しぶりに味わう。


「うま~」


 思わず日本語が漏れたが、俺の反応から美味しいと言ったのが伝わったようで、そのまま酒盛りの輪に呼ばれて加わった。夜中だし周りの乗客を気にしてひそひそと話しているので、軽い背徳感を覚える。

 俺から酒瓶を返された金髪男は、友人が寝ているベッドを顎で指して首を傾げた。


「What's wrong with him? (彼はどうしたの?)」

「He has a stomach ache.(腹痛だってさ)」


 俺が答えると、周りの男たちから口々に同情するような溜息が漏れた。誰しも経験するのか、外国を旅する時には避けて通れない生水問題と下痢腹痛。

 

 一通り酒瓶が回ると、男たちは誰からともなく自己紹介を始めた。酒を持ち込んだ金髪男はドイツ人、その隣の黒髪はオランダ人、ブルネットはフランス人、あとはターバンを巻いたシク教徒のビジネスマン。

『シク教徒って酒飲んで良かったか?』『この面子めんつ、国的に大丈夫かな?』などと思うところはあったが、初対面で宗教と政治と歴史の深い話はしないのが得策だ。

 どうせ一夜限りの秘密の酒盛りだと割り切り、俺も日本から来たと自己紹介する。


 俺も中学英語の会話程度で語学力は止まっているし、お互い英語圏ではない国出身なので、適当に身振り手振りを加えながら話をした。

 そのうちドイツ男が酔っ払って急に昔話を始めた。俺も酔っていて詳しい英語は覚えてないので記憶にある限りを日本語で記す。


「これは俺がバラナシに行った時の事なんだけど……」

「なに?なに?怖い話?」


 フランス人が食いつく。夜中の怪談は各国共通で盛り上がるらしい。ドイツ人は首を横に振った。


「いや、怪談じゃなくて、バラナシでガンジス川に入ろうと思ってたんだけど風邪引いて高熱出ちゃって」

「入らなくて正解だよ。生焼けの腕とか流れてくるぜ?」

「まあ、それはいいんだけど。仲良くなった現地のガイドが見舞にきてくれて『何か食べたいものないか?』って聞くから、ジョークのつもりで『牛肉入りのカレー』って言ったんだ」

「おお」


 ターバンの彼はショックを受けたように口元を押えた。ヒンドゥー教では牛は神の遣いとして神聖視されているが、シク教徒には関係ないのでは?インドに暮らす者として驚くべきジョークだったということか?


「ガイドも驚いてたけど、その次の日ほんとに牛肉のカレー持って来たんだよ」

「わお、それで?」

「『店で買ったのか』って聞いたら、『俺の奥さんが作った。そして神罰で寝込んだ』って言うんだ」

「まさか」

「『でも君のためだからいいよ、代わりに母国に戻ったら外国語の辞書を送ってくれよ。もっと勉強して稼いで奥さんを看病しなきゃ』だってさ」

「恩着せがましい上に図々しいな」


 黙って聞いていたオランダ人が眉をしかめる。そうとも取れるが、向上心があるのは良いことだと俺なんかは思う。


「それでどうしたんだ?」

「世話になったのは本当だし、辞書を送ったさ」

「君はお人よしだな」

「そうなんだ……後で聞いたら、そのガイド、だったんだよ」


 ドイツ人は器用に片方の眉を上げて肩を竦め、酒をもう一口飲んだ。俺たちは顔を見合わせて、思わず呟いた。


「OMG《マジか》」

「神だけに?」


 金髪男はなぜか得意げに笑い、列車の揺れに合わせて、上段のベッドの友人の呻きが一段と大きく響いた。




――――――――――

【後】


実際にはOMG(オーマイガー)よりRealy?とかNo wayの方がしっくりきますけども。


※イスラム教では豚肉こそ禁忌だが、ハラールフード (自然の状態で育成され、イスラム法に沿った食肉処理がされているもの)鶏、牛、羊などは食べられる。

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