第20話 父の目的

 現れた父の姿に、呆然と問い掛けるフィエラ。

 そんな彼女に、ヨーグは溜め息交じりに答えた。


「どうして、か……それも、以前一度話しているのだがな。まだ、そこまでは思い出していないか」


「っ……!!」


 ズキリと頭が痛み、フィエラに新たな記憶が蘇る。


 だが、それを口にするよりも先に、ヨーグはその目的を口にした。


「私は彼と協力し、この地に悪魔を召喚する。彼の信奉する《暴食》の悪魔、ベルゼブブをな」


 悪魔召喚。人の世界に住む者達……女神の加護を受けて生きる者達にとって、最大の禁忌。

 如何なる事情があろうと、決して手を出してはならない最低最悪の所業だ。


「どうして、そんな……!!」


「決まっているだろう? 私の妻……エイラを生き返らせるためだ。伝説のスキル、《リザレクション》を使ってな」


 蘇生リザレクション。それは、お伽噺に出てくる至高の力だ。


 世界のために命を賭した勇者の功績を称えた女神が、その死を悼んで天から発動したとされる、死を超越するスキル。


 ヨーグは、それを使って……フィエラの母、エイラ・コーデリアを甦らせようというのだ。


 テルミを産んだ後、元々体が弱かったこともあって病を拗らせ、そのまま死んでしまった母を。


「それを……どうしてよりにもよって悪魔から……!」


「女神への貢献となれば、それこそ魔王の討伐でも果たさなければ不可能だ。だが……《悪魔召喚》を成し遂げれば、悪魔からの加護を得られる。《リザレクション》を手に入れるなら、私にはもはやそれしか方法がない」


「っ……そのために、テルミを殺したんですか、お父様っ!!」


 フィエラの記憶は、本人も気付かないうちに一部が改竄されていた。


 だが、テノアから渡された槍でそれを解除された今、全てを思い出した。


 妹は、病で亡くなったわけではない。

 実の父親と、目の前にいるデーモン。この二体が行う悪魔召喚の実験で、供物として殺されてしまったのだ。


「ああ……そうだな。テルミは、エイラを生き返らせるためならばとその身を捧げ、魂が擦りきれる痛みにも耐えて最期まで頑張ってくれた。だからこそ、今度こそは確実に悪魔召喚を成功させなければならない。エイラだけでなく、テルミも生き返らせるためにな」


「戯言を……ッ!! お父様、死んだ者は決して生き返りません!! 仮にもし、もし本当に《リザレクション》が実在していたとしても、その代償に悪魔召喚などしてしまえば、確実にこの国は……いいえ、人類そのものが滅ぼされます!! それでもいいと言うのですか!?」


「ああ、構わない」


 あっさりと言い切った父の言葉に、フィエラは愕然とする。

 だが、そんな娘の反応こそ意味がわからないとばかりに、ヨーグは眉を潜めた。


「当然だろう? この世界に、家族より大切なものなどあるはずがない。家族のためなら、国だろうが人類だろうが、いくらでも裏切ってみせよう」


「お父、様……」


 自分が大切にされているというのは、間違いなく嬉しい。だが、その方向性がどうしようもなく狂っている。


 声すら出さず、ただポロポロと溢れる悲しみを涙に変えて静かに泣いていると、そんなフィエラをテノアが抱き起こした。


「しっかりしてください、フィエラ様。大丈夫です、あなたのお父様は、私が止めます。だから……安心して、そこで見ていてください」


「テノア、さん……」


 もう一度槍を手に、フィエラを庇うように前に立つテノア。

 恐るべき力を秘めたジャヒィにも、自身より遥かに発言力も権力もあるヨーグにも、一切怯んだ様子はない。


 堂々たるその姿は、まるで伝承に伝え聞く女神のようで──気付けばフィエラは、泣くことも忘れて魅入ってしまっていた。


「ククク……随分と自信があるようだ。それとも、俺がどういう存在か、未だに理解が及んでいないのか?」


「魔族でしょう? 知ってますよ。今ぶちのめしてあげますから、覚悟してください」


「残念だが、覚悟の時間はとうに過ぎている。言ったはずだ、"手間が省けた"と」


「え……?」


 次の瞬間、テノアが首にかけていた魔石のお守りから、巨大な刃が飛び出した。


 魔力で作られたそれは、テノアの幼い体を容赦なく貫いている。


「テノア……さん……?」


 どさりと、テノアの体が崩れ落ちる。

 からんと虚しく音を立てて転がる槍の音で、ようやく現実に引き戻されたフィエラの意識は、目の前の光景を認められないとばかりに絶叫した。


「いやぁぁぁぁ!!!! テノアさん!!!!」


 勢いよく駆け寄り、テノアの体を抱き起こす。

 首飾りから飛び出した刃は、間違いなくテノアの心臓を貫いているのだが……なぜか、血の一滴も流れていない。しかも、テノアの目は焦点を結ばず死人のようにしか見えないが、まだ絶命には至っていなかった。


「な、なんで……? 一体これは……?」


「それは、肉体ではなく魂を貫く魔法の刃だ。実のところ、悪魔召喚に必要な素材は君の妹の魂で事足りていたんだが、召喚に至るには魔力が足りなくてね。その小娘からは、召喚に必要な魔力だけ吸い取らせて貰おうと思っていたんだ。人一人が保有する魔力量では、本来到底足りないが……魂を砕いて吸い上げれば、代わりとしては十分だ」


 当然、それが終わればそいつは死ぬが。

 と、いとも容易く言ってのけるジャヒィに、フィエラはどうしようもない恐怖を覚える。


 こいつは、人の命など何とも思っていない。

 何の罪もないテルミの魂を"素材"と言い切り、同じようにテノアの魂と命すら己の目的のために使い潰そうとしている。


 フィエラにはとても、こんな"化け物"に協力したところで、《リザレクション》のスキルが得られるなどとは思えなかった。


「お父様!! どんな理由があろうと、民を裏切るなどコーデリア家の人間にあるまじき行為です! 早くテノアさんを解放して、この悪魔召喚を止めてくださいませ!! ……でなければ!!」


 フィエラが、スカートの中から杖を取り出す。

 パルテノン王国の子女の嗜み、ドレスの中に仕込まれていた隠し杖を素早く構えたフィエラは、その先端をヨーグへと突き付ける。


「私が……この手で、あなたを粛清しますわ!!」


「……理解して貰えなくて、残念だよ。そしてフィエラ、君は一つ勘違いしている。私がやったのは、彼への援助のみ。最初から、この悪魔召喚に介入し止めることなど、私でももはや不可能だ。ジャヒィの実力は、私を大きく上回る」


 ヨーグは辺境伯家当主の名に恥じず、冒険者の基準で言えばAランクにも匹敵する実力がある。

 《氷炎》のスレイプや、全盛期の《閃光》グレイグには及ばないにせよ、フィエラと比べれば遥かに実力者だ。


 そんな彼にもこの召喚を止められないのであれば、どうすれば。そんな迷いを後押しするように、ヨーグは更に言葉を重ねる。


「唯一、方法があるとすれば……今まさに、召喚儀式の触媒となっているテノア・アーランドを殺すことだな」


「なっ……!?」


「召喚が済めば死ぬとはいえ、今はまだ生きている状態だ。そうでなければ、魔力や魂を抜き取り儀式に利用することも出来ないからな。逆に言えば……今すぐ殺せば、召喚は止まる」


「おいおい、友よ。今それをバラしたらマズイだろう」


 ヨーグの説明を聞いて、ジャヒィが慌て始める。どうやら、今の言葉に嘘はないらしい。


(私が……テノアさんを、殺す……?)


 悪魔が召喚されれば、人類が滅ぶ。それを阻止するには、あのデーモンを倒すか、テノアを殺すしかない。


 コーデリア家の娘として、自らの力量を鑑みて選択するべき道が何なのか。そんなもの、考えるまでもない。


「あ……ああ……」


 魔力を練り上げ、杖に込める。

 魔法スキルとして発現したその力を、テノアに向けてゆっくりと振り上げ──


「あぁぁぁぁ!!!!」


 絶叫と共に、ジャヒィ目掛けて振り下ろした。

 放たれた紅蓮の炎は、テノアのように小さな子供であれば、苦しむ間もなく一瞬でその命を奪うほどの威力を誇っていたが──


「なんだこれは、蝋燭の火か?」


 ふっ、と、それこそ、本当に蝋燭の火を吹き消すかのような気軽さで、手も足も使わず吐息のみで消滅させられる。


 自身の渾身の一撃が全く相手にされなかった絶望感に、フィエラは膝から崩れ落ちた。


「やはり殺せなかったか。フィエラ、君は優しい、あまりにも優しすぎる子だ。罪の意識には到底耐えられないだろうし……今回も、記憶は封じ込めてあげよう」


 父親らしい、慈愛に満ちた優しげな表情を浮かべたヨーグが、蹲るフィエラの下に近付き、指先に魔法スキルの光を灯す。


 忘却の魔法、《レストア》。嫌になるほど既視感を覚えるそれを見た瞬間、このやり取りを、自分は何度も繰り返して来たのだと。


(ごめんなさい、テノアさん、私達の問題に巻き込んでしまって……本当に、ごめんなさい……)


 今まさに命の灯火が消えようとしている友人へと、フィエラは何度も謝罪する。


 同時に……心から、願った。


(女神様……私がこんなことを願うのは、図々しいのかもしれません。それでも、どうか……私のことは、いいですから……テノアさんだけでも、助けて……!!)


 友としてテノアを救うことも、貴族として民を守る非情な決断も出来ない半端な自分。


 それでも、と、信じる神に必死に祈るも、そんなことで救われるなら誰も苦労はしない。

 深い悲しみの中で、フィエラはぐっと目を閉じ──その瞬間。


 小さな奇跡が、巻き起こった。


「むっ!?」


「なんだ、これは!?」


 突如、ジャヒィとヨーグへ、炎と氷、そして雷の魔法が降り注ぐ。


 急な事態に彼らが慌てて飛び退くと同時、フィエラとテノアの体が何者かによって抱き上げられ、魔法の範囲外へと引っ張り出された。


「あ、あなた達は……!?」


「やあ、フィエラ嬢。パーティの場では挨拶も出来なかったが、久し振りだね」


 一人は、Sランク冒険者氷炎のスレイプ。頼もしい男の腕に抱かれ、フィエラは安堵の息を溢す。


 そして、もう一人……魔力の刃に貫かれ、ぴくりとも動かないテノアの体を抱いた少年が、その全身から怒りの籠った凄まじい魔力を滲ませる。


「お前ら……俺の、大切な妹に……テノアに、何をしやがったッ!!!!」


 テノアの兄、ライル・アーランド。

 黄金の魔力を纏う少年騎士は、抜き身の刃の如き鋭い相貌でヨーグ達を睨み付けた。

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