第19話 地下の診察

「フィエラ様、こんなところで診察するんですか?」


「ええ。なんでも、出来るだけ暗くて周りの音が聞こえない場所の方が、心の状態を診るのにいいんですって」


「へ~、そうなんですか」


 コーデリア家の地下へと向かう階段を、フィエラとテノアの二人は手を繋いで降りていた。


 まだ幼い少女二人が、僅かな蝋燭の灯りを便りに一段ずつ下る度、軽い足音と槍が石を叩く音がやけに響く。


 暗くジメジメした地下空間のせいか、あるいはここから先はテノアだけしか行かせられないとして兄と別れたせいか、はたまた待ち受ける医者の診察や治療に怯えているのか。どこか不安を感じさせるテノアの表情を見て、フィエラは少しだけ強くその手を握り直す。


 テノアが、少しでも安心してくれるようにと。


「大丈夫よ、とても良い先生だから」


「へ~、フィエラ様がそう言うなら、きっと素敵な人なんですね。どんな人ですか?」


「ええと、それは……」


 言葉でも安心させようと、先生の説明をしようとするフィエラ。

 しかしなぜか、続く言葉は出てこなかった。


「…………」


「フィエラ様?」


「あ、いえ、ごめんなさい。そうね、口でこう、って説明するのは難しいけれど、優しい人よ」


「なるほど、そうなんですね!」


 曖昧な説明だったにも係わらず、テノアはそれを追及することもなく笑みを浮かべる。

 真っ直ぐ信頼の眼差しを向けてくれる幼い少女の姿に、フィエラも釣られて笑みが溢れた。


(大丈夫、きっと元気になれるから。だからテルミ……あなたも、見守っていてくれると嬉しいわ)


 自身の胸元から、一つの首飾りを取り出す。


 魔物の体内から取れる特殊な魔力の結晶体、魔石──それを削り出して作った、妹の形見とも言える守り石だ。


 病気で寝込む妹のためにと、父が用意した品。特に特別な何かがあるわけでもないそれは、願掛けに近いものだったのだろうが……受け取った妹は、とても喜んでいた覚えがある。


 妹が亡くなった後は、お前が持っていろと父に託されたが、それ以来ずっとこうして身に付けていた。


 しかし、今この場においては自分より、テノアが身に付けている方が相応しいだろう。

 そう思い立ち、フィエラは首飾りを外した。


「テノアさん、これ、お守りよ。あなたにあげるわ」


「へ? いえ、そんな、悪いですよ、さっきもたくさんいただいたばかりで……」


「いいから、ね?」


 ほら、と、テノアの後ろから首飾りをかける。


 鈍い紫色に輝く魔石のお守りはやや不気味にも感じるが、それでもどこか、人の目を惹き付けて離さない不思議な魅力を放っていた。


「分かりました、受け取っておきますね」


 首飾りをぎゅっと握り締めたテノアと再び手を繋ぎ、フィエラは更に地下へと進んでいく。


 やがて階段が終わった先には、大きく開けた空間があった。


 元々魔物の襲撃時に民を避難させるために作ったというその空間の中心に、ポツンと用意された祭壇のようなベッドが一つ。

 その脇で、一人の男が立っていた。


「やあ、よく来たね、フィエラお嬢様。久し振りだ」


 見た目は、特に特徴のない普通の男。

 中肉中背、歳は二十代から三十代頃に見えるが定かではなく、顔付きも特別整ってはいないが、不細工ということもない。


 一言で言い表すのなら、そう──とにかく、印象に残らない男、だった。


「ええ、お久し振りですわね、先生。お元気でしたか?」


「ああ、変わりないよ。そしてそちらの子が、話にあった……」


「はい、テノア・アーランドです! 今日はよろしくお願いします!」


 その男に、テノアはペコリと頭を下げる。

 それを見て、男は鷹揚に頷いた。


「うん、聞いていた通り、明るい子だね。元気そうで何よりだ」


「はい、元気ですよ! だからその、こんなところまで来てなんですけど、そんなに心配されるほどの状態ではないと言いますか……」


「そうとは限らないよ。亡くなったテルミお嬢様も、君と同じくらい元気な子だったからね」


 その何気ない会話で、フィエラの心はチクリと痛む。先生の言う通り、あんなに元気だった子がどうして、と、今なお現実の不条理さを嘆く思いが頭を過る。


 だからこそ、テノアも同じ結末にはなって欲しくない、と強く思う。


「さあ、まずは軽く診察と行こうか。こちらのベッドに腰かけるといい。ああ、すまないが、槍はこちらに置いておいて貰えるかな、さすがに診察中は邪魔になる」


「分かりました。……それにしても、本当にすごいところですよね、この場所。なんでこんな場所にベッドがぽつーんと置いてあるんですか?」


「ははは、奇妙に思うのも無理はない。他に、良い条件の場所がなくてね。ベッドだけ、急繕いで用意したものだから、こんなことになってしまったんだ」


「へ~、そうなんですか」


 言われた通りに槍を離し、フィエラに預けたテノアが、ベッドに腰掛ける。


 確かに、言われてみればこの場所に治療の場を設けるなど、随分と風変わりだとフィエラは思った。

 テルミの治療の時はあまり疑問に思わなかったのだが……何分まだ幼かったので、疑問に思わなかったのだろうか?


 そんなことをフィエラが考えている間に、テノアはよいしょっ、とベッドに飛び乗り、柔らかな反発に小さな体が跳ねる。


 同時に、テノアの胸元で揺れる首飾りがカチャリと音を立てた。


「ああ……これは、テルミお嬢様が身に付けていた首飾りだね。フィエラお嬢様から受け取ったのかな?」


「はい、お守りだそうです。これも邪魔になりますか?」


「いやいや、問題ないよ。むしろ、手間が省けたと言える」


 手間? と、テノアのみならず、フィエラもまた首を傾げる。

 お守りと、治療と、何か関係があるというのだろうか?


(いえ、そもそも……この場所でしか出来ない治療って、何?)


 テノアから槍を受け取ってから、なんだか調子がおかしい。

 否……槍を受け取ったことで、調


(なんで、思い出せないの? ここで、テルミにどんな治療をしていたのか。いえ、そもそも……)


 今まさに、テノアを治療しようとしているその男。

 "先生"と、特に疑念も抱かず呼んでいた彼は──


(彼は……誰?)


 その瞬間、テノアに手渡された槍の持つ聖属性の力が、フィエラの中にあった"魔"の魔法を打ち砕く。


 封じられていた記憶が甦り──テノアに手を翳す男の表情が醜悪に歪むのを目にするや否や、力の限り叫んだ。


「テノアさん、逃げて!!」


「ぶごぉぉぉ!?」


 ドガン!! と凄まじい音を立て、男の体が十メートル以上離れた壁にめり込んだ。


 何が起きたかさっぱり分からず、目を瞬かせるフィエラ。彼女の視線の先では、ちょうど掌を突き出した姿勢で固まる、テノアの姿があった。


「あ……ごめんなさい、咄嗟だったので、つい突き飛ばしちゃいました。まずかったでしょうか?」


「え? ええと、まずいというか、なんというか……」


 あれ、死んだのでは? と、フィエラは思った。

 少なくとも、特別鍛えたわけでもない、ただの医者があれほど派手に吹き飛ばされて、無事に済むはずがない。


 あくまで、ただの医者であれば、の話だが。


「やれやれ……躊躇なく攻撃するとは、なかなかお転婆なお嬢様だ」


 崩れた壁の残骸から、男がむくりと起き上がる。

 常人なら間違いなく即死していたであろう"攻撃"を受けたにも係わらず、無傷。明らかに、普通の人間ではない。


「あなた、何者なの……!?」


「ククク……何者、か。封じていた記憶が戻ったなら、フィエラお嬢様は分かっているのではないか?」


「っ……じゃあ、本当に……!!」


 怒りの形相で睨むフィエラへ、男はまたも醜悪な笑みを向ける。


 そして、特徴らしい特徴のなかった男の体は影に溶けるように消えてなくなり、全く違う存在がその場に出現する、


「改めて名乗ろうか。俺の名はジャヒィ。魔族が一柱、従魔族デーモンの一人だ」


 浅黒い肌に、二本の角を持った大男。

 背中に蝙蝠の翼を持つ彼は、それまで隠していた魔力を解放し──その圧だけで、フィエラは恐怖のあまり動けなくなった。


(何なの、この魔力……こんなの、今まで一度だって感じたことない……!!)


 無意識のうちにガチガチと歯が打ち鳴らされ、膝が笑う。

 止まらない全身の震えに崩れ落ちそうになった時、その体を小さな手がそっと支えた。


「大丈夫ですか、フィエラ様?」


「テノア、さん……あなたは、平気なの……?」


「え、何がですか?」


 きょとん、と首を傾げるテノアを見て、フィエラは察した。

 この子は、実力だけならSランクにも並ぶと称されたグレイグの子だけあり、凄まじい素質を秘めているようだが……まだ、相手の力量を見極められるほどの経験がないのだろう。

 故に、今目の前にいる男がどれほど危険な存在なのか、気付いていないのだと。


(デーモンと言えば、魔族の中でも特に多くの加護を悪魔から得て力を付けた、最強クラスの種族……そんなのが、まさかこの城に紛れ込んでいたなんて……!!)


 どうして医者に化けてまで、こんな所に潜伏していたのかは分からない。

 それでも、せめてテノアだけでも逃がさなければと勇気を振り絞り、フィエラは無理矢理己の舌を回して口を開こうとする。


 少しでも多くの時間を稼ぎ、テノアを逃がす隙を作らなければ、と。


「そう構えるな、フィエラお嬢様には手を出さないさ。それが、友との契約なのでね」


「契約……?」


「その通りだ。彼は私の友であり、同じ目的を有する同志なのだからな」


 階段を降りる足音と共に、もう一人の男が姿を現した。


 見間違えるはずもない。その男の登場に、フィエラは信じられないという思いでその名を呼ぶ。


「お父、様……どうして……」


 そこにいたのは、コーデリア辺境伯家当主にして、フィエラの父。ヨーグ・コーデリアその人だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る