第2話

『大川さんへ。今日の授業は国語だよ。国語は得意だから楽しい』

『高橋センパイへ。わたしは絵も得意ですけど、体育が一番得意です。バレーもバスケもドッヂボールも大好きです』

『大川さんへ。体育会系なんだね。でも残念だけど、高校の受験科目に体育はないんだ。大川さん勉強はキライかな?』

『高橋センパイへ。体育は受験科目にないんですか……ザンネンです。勉強、あんまり好きじゃないけど、高橋センパイががんばってるのでがんばります』

『大川さんへ。あはは。おもしろいね。じゃあ一緒にがんばろうか。今日の絵はハムスターかな? かわいいね』


 わたしと高橋先輩の手紙交換は毎日続いていて、毎朝机の中を見るのが楽しみになった。高橋先輩のキレイな字と優しい文章にいつの間にか引き込まれていて、会ったことないのに手紙でのやり取りでわたしは高橋先輩のことを好きになっていた。わたしの想像では高橋先輩は背が高くて、勉強ができて優しくて、きっと笑顔がステキな人だと思う。会ってみたい気持ちもちょっとだけあるけど、高橋先輩もわたしがめちゃくちゃかわいい女の子だと思っていたら、会った時のショックが大きいかもしれない。だって、わたし、かわいくないし。だから、会わない方がおたがいのためかな、と思う。


 手紙のやりとりをするだけの好きな人。もちろん、友だちには言ってない。バカにされるか笑われそうなので言わない。それに、高橋先輩の存在を教えたくなかった。他の人には知られたくない。自分だけ知っていればいい。これが多分『独占欲』というものなんだと思う。けっこうドロドロとした感情で、あんまり気持ちのいいものではない。でも『好き』っていうことはこういうことなのかもしれない。わたしは生まれて初めて、年上の男の子に本気で恋をした。


 友だちには隠しながら先輩との文通を始めて1ヶ月が経った。会ったことはないけれど、手紙を通じてわたしは高橋先輩にくわしくなった。たとえばトマトが好きでナスが嫌いだとか、夏より冬の方が好きだとか、シャーペンの芯の濃さはHBだとか、小さなことでも先輩のことを知ることができると、すごくうれしくなる。高校は、私立は飛鷹ひだか高校を受験するけど、本命は都立の南高校を受験する予定らしい。いずれにしても頭のいい学校だ。『高橋センパイなら絶対に受かります!』と、手紙の最後に付け加えて応援した。


 すっかり寒くなった11月。毎朝スキップしながら登校して、机の中身をチェックする。今日はどんなお話が書いてあるかな? ドキドキワクワク。


「あれ?」


 いつもなら折りたたまれたノートの手紙が机の真ん中に入っているのに、今日は入っていなかった。見落としたのかと思って両手を入れて探してみたけど、手に当たる感触がない。わたしの書いた手紙が入っていないということは、高橋先輩の手に渡っているはずだ。もしかしてお返事を書く時間がなかったのかな? それとももう手紙交換は終わりってこと? いや、もしかしたらどこかに落ちているのかもしれない。そう思って足元を見てみるけど、手紙らしいものは落ちていない。


 楽しみにしていたことが急になくなってしまうのは、とても悲しいことだった。きっとこれが『絶望』という気持ちなのだろう。そういえば今日は朝からついていなかった。寝ぐせの付いた前髪が直らなくてヘアピンでごまかしてるし、空が黒くて雨が降っていた。水たまりを踏んじゃって白いくつ下は汚れるし、いつもは持ち歩いてるハンドタオルを持ってくるのを忘れた。占いはまた見忘れたけど、きっと最下位だったんだ。


 手紙の中でしか会えない好きな人とのやりとりが、なによりも楽しみだったのに。

 外が雨でグラウンドが使えなかったその日の体育は、体育館でドッヂボールだったけど、全然楽しくなかった。


 次の日も期待して机の中を見たけど、入っていなかった。その次の日も、さらにその次の日も入ってなくて、1週間が経っても入っていなかった。学校は勉強するところだって言われてるけど、好きな人に会いに行くところだとも思う。わたしの好きな人は見たことも会ったこともない人だけど、文字を通して会っていた。それなのにその文字も見れないとなると、学校はつまらない場所になる。何してるんだろうとか勉強がんばってるのかなとか、1日中高橋先輩のことを考えて、でも手紙が来なくて、寝る時に泣いたりした。


 手紙が来なくなって1ヶ月。12月に突入した。入るお店はクリスマスに向けて赤色と緑色のかざりが目立ち、外にはイルミネーションの明かりが増えた。手袋とマフラーが手放せなくなり、青い空を見ることもなくなったある朝。


『大川さんへ』


 くつ箱に、半分に折られた1枚のノートが入っていた。この字を見間違えるはずはない。ずっと待っていた高橋先輩からの手紙だ。わたしは急いでくつをはき替えて、教室へは行かずにそのまま女子トイレに入った。個室のカギを閉めて、胸に手紙を押し付ける。ずっと、ずっと待っていた好きな人からの手紙。心臓がドクドクと鳴っている。どうしようどうしよう。早く読みたいという気持ちと、もう少し落ち着いてからゆっくり読みたいという気持ちが足元から上がってくる感じがして、ちょっとだけジャンプした。うれしい、すっごくうれしい。わたしは大きく息を吸って吐いてを2回繰り返して、手紙をゆっくり開いた。ずっと楽しみにしていた、先輩のキレイな字が並んでいて、それだけでニヤニヤしてしまう。こんな顔、誰にも見せられない。


『大川さんへ。お返事が遅くなってごめんね。学校の補習をやめて塾に通い始めたので、手紙を渡せなくなったんだ。こうやってくつ箱に入れればよかったんだね。全然気が付かずに長い間待たせてしまいました。(あ、待ってなかったかな?)とうとう私立の受験が来月にあります。大川さんの絵が見たいな。(あれ、けっこう元気出るんだよね)いつも応援してくれてありがとう。よかったらまた返事ください』


 3回読んだ。4回目を読もうとして時間がヤバいことに気付く。このままサボってお手紙の返事を書きたいけど、そういうわけにはいかないからお手紙をカバンに入れてトイレから出た。


『大川さんの絵が見たいな。(あれ、けっこう元気出るんだよね)』


 授業中もこのフレーズが頭からはなれなかった。先輩からの手紙がわたしに元気を与えていたように、わたしの絵が先輩に元気を与えていたなんて、知らなかった。返事が来ただけでもうれしいのに、そんなことを書かれて舞い上がらない人なんているの? ニヤニヤが止まらない。あまりにもニヤニヤしていたからか、友だちに「なんかいいことでもあった?」と言われてしまったので「占いが1位だったの」と、ごまかした(本当は5位だった)。


 学校で返事が書けなかったので、家で書くことにした。パンダの顔の絵が散りばめられている、まだ開けてないレターセット。高橋先輩だけに使おうと買っていたものだ。使える日が来てよかった。なんとなくパンダもうれしそう。久しぶりにお返事を書くので、少し緊張した。なるべくゆっくり、ていねいに『高橋センパイへ』と書き始めた。


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