Mission 01 スクランブル

Mission 01①

「……こうしてノルトグライフ王国は降伏し、長く続いた戦争は終わりました。今から六十年以上前のことです」


 先生は話に区切りがつくと、手元のタブレットを操作して教室の正面のスクリーンに新しいスライドを表示した。ノルトグライフ王国周辺の地図だが、南と東で国境を接する二つの国の名前が隠されていた。


「ノルトグライフは講和条約に基づいて、一部の領土を手放すことになりました。さて、この空欄に入る国名が解る人はいますか?」


 何人かの生徒が人差し指を立てて手を挙げた。


 エレナも教科書の中に答えを見つけて手を挙げようとしたが、すぐに思いとどまった。あまり目立たない方がいいと思って、手を引っ込める。


 しかし、先生はエレナの様子に気付いたようだった。


「エレナさん? 手を挙げようとしていたようですが、どうしました?」


 教室にいる全員の視線がエレナに集中する。


「解るならちゃんと手を挙げて、授業に参加しなさい。この地図で隠してある国名は何ですか?」


「えっと、それは……」


 エレナは教科書から答えを探すふりをして時間を稼ごうとする。


 その間に他の生徒たちの間ではひそひそ話が始まっていた。問題の答えについて話し合っている生徒もいたが、ほとんどは授業に関係のない私語だった。


 その中から「あいつ、ノルトグライフ人じゃないんだってさ」というささやきが聞こえてきた。エレナの心臓が大きく跳ね上がり、冷や汗がにじみ出る。


「エレナさん、本当に解りませんか?」


 先生がもう一度エレナに問いかける。エレナは萎縮するように「解りません」と答えた。


「そうですか……じゃあ別の人に答えてもらいましょう」


 そう言って、先生は別の生徒を指名する。指名された生徒ははきはきとした声で返事をして、得意げに答えた。


「講和条約でノルトグライフが失った領土は、南部のフェニーチェ大公国と東部のヘドウィグ共和国です」

「正解です!」


 生徒に拍手を送った後、先生はタブレットを操作する。スクリーン上の地図に隠されていた国名が現れた。


「戦争の前からノルトグライフの領土だったヘドウィグは、終戦後独立しました。また、南部のフェニーチェ大公国はミゲル共和国に返還されましたが、大公家は廃止されませんでした。これにより、ミゲル共和国は大公と大統領が同時に存在する珍しい国となったのです」


 ちょうど先生が話し終えた時、就業のチャイムが鳴る。


 急に教室の中がざわめき出し、気の早い生徒は既に文房具をカバンにしまい始めていた。話し声やカバンを開け閉めする音に紛れて、エレナもそそくさと帰りの支度を始める。


「それでは、今日の授業はここまで。皆さん、お疲れ様でした」


 先生がそう言った時には、エレナは既に教室の外に出ていた。



 黄金のライ麦畑が夕方の涼しい風に揺れる。その間には未舗装の道が一本、緩くカーブしながら奥の方まで伸びていた。


 エレナは家に続く道をうつむき加減で歩く。周りに他の生徒の姿は見えない。クラスメイトたちはエレナを避け、他の道を通る。理由は解っている――自分がみんなと違うからだ。


 しかし、一人だけエレナの後についてくる者がいた。


「エレナってば!」


 名前を呼ぶ声にエレナは振り向く。風に揺れるライ麦と同じ髪の色の少女が、エレナに向かって少し速足で歩いてきた。


「リズ? どうしてついてくるの?」


 エレナの言葉に、立ち止まったリズは頬を膨らませる。


「どうして……って、友だちだからでしょ⁉」


 自分は彼女を「友だち」と認識してはいないのだが……そう思ったが、口にはしない。


「もう……何も言わずに帰っちゃうんだから! 私を置いて行かないでよ!」


 そう言いながら、リズはエレナの隣にやってくる。エレナは距離をとろうと再び歩き出すが、リズもすぐに距離を詰めてくる。


 エレナとリズの帰り道は、毎日こんな追いかけっこだった。


「ねぇ、さっきはどうして答えが解ってたのに手を挙げなかったの?」


 後ろからリズが話しかけてくる。


「リズには関係ないでしょ?」


 エレナは足を速める。


「何で逃げるの? 何か嫌な事でもあったの?」

「そんなんじゃない!」


 いや、リズの言う通りだ。今日は嫌な事があった。だが、それをリズが知ってどうなる? 彼女にエレナの気持ちなんて解るはずがない。


 エレナはリズから逃れようと走りだす。


「待ってよ、エレナ! エレナってば!」


 何も知らないくせに、友だち面なんてしないで! 私は皆とは違う……ノルトグライフ人じゃない! エレナは胸中に叫びながら、必死に未舗装の道を蹴り続ける。


「エレナッ!」


 ずっと後ろの方から、リズの悲しそうな声が聞こえてきた。

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