第14話 見とどけるよ
大会当日。
援軍にバイトを含め、総勢十二人の即席チームが集結した。取りこぼしは許されない一発勝負だ。記者が競技を見ていれば書く事は可能だが、何らかの事情で見逃したら――。読者に伝わるのは競技結果だけだ。それだけを伝えるなら、雑誌の体で無くともいい。目で見たことを、見ていない人々に写真と文字だけで生き生きと伝えることこそ、紙媒体の使命であり、面白味でもある。
沙都子は守山と共にトラック競技チームに回った。各レースごとの自分たちの居場所やその時間までも分単位で確認し合った。
いざ始まると、各競技で熱戦が繰り広げられ、何かを想う前に時は過ぎていく。仕事は真剣に熟したが、沙都子は雄介の様子が気に掛かった。
開会式のセレモニーで、その姿を見ることは出来なかった。
「トップ選手たちは出てこない」
守山からは聞かされていたが、その通りだった。
「アイツらは、もうルーティンに入ってる。セレモニーってのは、偉い人がやりたいだけの、実に無駄な――」
言い終える前に口に手を当て、守山は辺りを見回した。関係者だらけだ。
「はい、よく出来ました」
沙都子に言われて守山は膨れた。
競技は淡々と進んだ。盛大な拍手が起こることもあれば、微妙な空気の中に大勢の溜め息を感じるシーンもあった。それも期待の裏返し――と、沙都子は受け止めた。同業者の話し声が聞こえることもあった。
「調整失敗か――」
「妙に力んだな――」
「集中していなかった――」
――そのどれもが正解かも知れないし、見当違いかも知れない――。
そのどれを文字にするか、どう決めるのだろう?と、自分を見つめ返したが、答えは分からない。その間にも取材者の想像など気にも掛けず、熱い競技は進んでいった。
やがて、沙都子がもっとも楽しみにしつつ、もっとも来て欲しくない時間がやって来た。
隣接するアップ用グラウンドから、百メートル走に参加する選手たちが姿を現しはじめた。その中に、イヤフォンをした雄介の姿があった。
望遠で覗くと、雄介は相変わらずの無表情で、他の選手より明らかにユッタリとしたペースで動いていた。
「坂本君……」
絶対王者と呼ばれて立つグラウンドに、雄介にしか見えないライバルがいる。その背中をずっと見てきた――と、雄介は言った。
「彼の中ではいつも自分は二位で、目の前には風のような梶原翔太君がいるんだわ」
それでも観衆は、マスコミは、雄介を王者と呼ぶ。その王者から表情が消えていったのも無理はない――。沙都子はファインダーから目を離した。
沙都子の居る場所から百のスタート地点までは凡そ五十メートル。カメラクルーはそのスタート近くと、中間点、そしてゴール横と正面には動画班も配されている。ウエブ版にはいくつか動画も上がる予定になっている。各地点での雄介の表情は取りこぼさない。だが、そのどれも、恐らくは一位を追う必死の形相のはずだ。
「何故走るんだろう」
思わず呟き、あたりを見た。誰も自分の仕事に集中していて、沙都子の呟きなど聞いてはいない。胸を撫で下ろし、振り返ると守山がいた。
「守山先輩、なんでここに?中間点のはずでしょう?」
守山は何も言わず、頷いた。
「うんうんじゃありませんって!」
守山はアップする選手たちを見やった。
「お前いけ」
「え?」
「お前、中間点やれ」
「何を言ってるんです?いまさら!私はここで全体を――」
「お前が見た方がいい――と、俺は思う」
守山は沙都子を椅子から立たせると、そこに腰掛けた。
「気になる取材対象なんだろ?近くでお前が見てみろ。それで答えを出せるかは、お前次第だが」
――聞かれていた……。
沙都子は、スタート地点を見た。時間は少ない。
「いいんですか?」
「ものの見方が凡庸で無いことを祈る」
笑ってカメラを覗き込んだ。沙都子は暫く守山を見つめ、頭を下げた。顔を上げると、脱兎のごとく階段に向かった。
記者と言っても仕事は多様だ。インタビューもすれば記事も書く。花があるばかりでは無い。そこに使う写真も撮れば、その支度の雑務もこなす。力仕事がある場合もある。不条理な無力感は日々感じる。それでも、記者をしている。
沙都子は以前、そこに〈使命感〉という言葉を充てた。だが、いまの自分は――。
沙都子は、本来であれば経験豊富な守山が陣取る席に腰を下ろした。隣席とはそれぞれ大きく距離がとられている。スタートの様子も見通せ、眼前を選手たちが通り過ぎる時など、選手の表情は望遠を使わなくとも手に取るようだ。
「クマに感謝」
上部の席に手を合わせると、次に沙都子は雄介を探した。
「えっと…」
見回すが、見当たらない。
「え?なんで?」
驚きのあまり、声が出た。それは周囲の他社も同じだったようで、あたりはザワついた。選手たちのアップ風景の中ではなく、沙都子たち記者席のほぼ目の前に王者が立って居た。
雄介は、ユッタリとした動きで地面を確かめていた。それは走っているようにも、散歩しているようにも見えた。全社が一斉にカメラを向ける。その様子は圧巻だった。
雄介が、チラリと記者席方向を見た。周りで聞こえるシャッター音は、地面を叩く雨粒のようだった。激しい雨音の中、雄介の視線が自分を捉えたと沙都子は確信した。
――そっか…。君は、君と梶原君のことを知った私にも見てて欲しいんだね?
中間点記者席でただ一人、カメラを構えない沙都子と、雄介の視線が絡み合った。
「見とどけるよ。君の苦悩」
相変わらず雄介に表情は無い。無いだけに、沙都子には雄介の思いが伝わる気がしていた。
選手たちがスタート地点に集結した。レースは、出場資格取得試合で好成績だった者達八名で一度きり行われる。その中でオリンピック参加参考記録枠を超える数の選手が出た場合、暫定その上位二名だけが次回オリンピック代表選手として選ばれる事になっている。選手は勿論だが、記者たちも真剣勝負だ。沙都子もセットしたカメラがスムーズにレースを捉えられるか、最終チェックした。
やがて選手たちがスターティングブロックの調整をはじめ、スタジアムの空気は一気に緊張と期待に包まれていった。
「だれもが記録の生まれる瞬間を目の当たりにしたい――」
沙都子は呟いた。
「でも、それが生まれるまでの努力は想像出来ても、選手の想いまでは――」
それは分かる必要がないのかも知れない――と、沙都子は思い始めていた。
――記録は結果。それが伊達に生まれるわけじゃ無い事くらい誰だって知ってる。たゆまぬ努力を支える才能――なのか、その逆なのか。でも、努力と才能以外の何かが、ここにある。
トラックを見つめた。沙都子は、自分が〈何か〉と表すものが何なのか、雄介を通して見てみたかった。
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