第13話 想い

 選手権への準備に追われる沙都子は、多忙を極めていた。

 そんな中で出来た一時間ほどの空き時間に、沙都子は自席で頬杖をつき、虚空を見つめていた。

「死んでるのか?」

「生憎ですいません、生きてます」

 背後の守山に、ぶっきら棒に応えた。

「そうか。援軍とバイトはいるが欠員は痛いからな。取り敢えず明日の本番が無事に終わるまでは息してろよ」

「私が居なくたって、誰かが――」

 雄介の言葉が口から出て、沙都子は溜息を吐いた。

「そうか?お前はお前だけだぞ?お前の書く記事は他の誰も書けないと思うがな。いや、それが凡庸なものなら居るかも知れんが――」

 沙都子はチラリと守山を見た。この、見方によっては茫洋とした巨グマにも見える男が放つ言葉に、ときどき自分は救われることがある――と、自覚していた。

 雄介と会って話した夜、沙都子は守山に電話を掛けた。本当はバーで飲みたかった沙都子だが、それを言うと守山は電話口で慌てたように一喝した。

「ば、ばかやろう!こんな時間から二人きりでかよ?そういうあれは、あれだぞ!」

「は…?なに言ってんですか?私はただ――」

 面倒になり、まあいいや――と言って沙都子は電話を切った。

 シャワーの下に立った。壁に手をつき、頭から冷水を浴びた。それでも恥ずかしい自分は流れ落ちなかった。

「興味を持つ…関心を持つ…みんなにも知らせたくなる…誰かが、傷つく…」

 幼子のような純粋な想いで仕事に臨んでいるのだ――そう思っていたこともある。純粋は間違いでは無い、悪では無い、と。だがそうでないことを思い知らされた。

 誰かの想いを知りたい――それ自体はあってもいい――沙都子はそう思う。だが、知ってしまえば、知らなかった自分には戻れない。知られた人も、知られていなかった時には戻れない。傲慢――という言葉が脳裏に浮かぶが、それは心の内から流れ落ちなかった。そしてもうひとつ、それなり覚えのある感情も。

 記事にするつもりは早くから消えていた。では自分は何故雄介の過去を追ったのだろう?沙都子は唇を噛んだ。佐和結実の顔が脳裏を過る。沙都子は目を閉じ、項垂れ、いつまでも冷水を頭から浴びていた。

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