第7話 あの日の、あの事

 沙都子にとって幸運なことに、翌日の仕事先は雄介の生まれ故郷からクルマで四十分ほどの場所にあった。実業団の特集記事のために訪問した会社を出ると、沙都子はクルマを飛ばした。

「今日は運転手のクマが居ないからなぁ」

 守山は他の実業団を担当し、その後も夕刻から都内で行われる記者会見を回るため、帯同していない。

 約束の時間よりは早く着き、軽い食事をとったあと、タブレットで仕事をしていると、脇に人が立った。見ると、佐和結実だった。

「ごめんなさいね、呼び出したりして。お仕事とかの邪魔じゃ無かった?」

 小さく頭を下げた沙都子に、結実は首を振った。

「いいんです。私、父の経営する建設会社で事務をしているんですけど、なんとでも融通つきますから」

 初めて結実の笑顔を見た。

 結実は沙都子の前に掛け、アイスティーを注文した。

「それで私にどんな――」

 タブレットを片付けると、沙都子は真っ直ぐ結実を見つめた。

「単刀直入にお訊きしたいの。梶原君というその亡くなった方の住所」

 記事には『少年』と書かれ、年齢が添えられていただけだった。

「あなたから聞きだしたとか、そういうのは漏らさないので、お願い出来ないかしら?」

 結実は顔を曇らせるでも無く頷いた。

「坂本君のためになることですか?」

 問われても沙都子にも自信は無い。だが、誰かの不利益にするために聞きたいわけではない。沙都子は頷いた。

「慎重に取材する事を約束するわ」

 結実は黙ったまま、沙都子を見つめた。躊躇う様子は見えないが、目を伏せた。携帯電話と取り出すと、誰かとLINEをし始めた。

「梶原君と同じ小学校の子が友達に居るので訊いてみますね」

 打ちながらそう言い、暫く黙り込んでいた。

「来ました。あ、そうなんだ…」

「どうかした?」

 結実は大きな目をさらに大きく見開いて沙都子に言った。

「ここからそんなに遠くないです。梶原君の家。でも――」

「今も居るかは分からない――?」

 結実は頷いた。

「友達が言うんです。梶原君て一人っ子だったから、事故のあとは家族も学校と縁が切れてしまって、その後はどうなったのか、自分たちにも分からないって」

――一人っ子を亡くしたのね…。

 後先も考えず取材に動いた自分だったが、沙都子は微かに後悔した。

 結実に礼を言い、また何かあったら連絡をすると約束して別れた。

 目的の住所へは、意外なほど簡単に辿り着くことが出来た。手入れの行き届いた小さな庭を持つ質素な戸建ての門柱に『梶原』と書かれていた。

「来たはいいけど…」

 知りたいことはハッキリとしていた。坂本が過去に持つなんらかのわだかまりの正体だ。だが、それが一人の少年の死に関わっているとした場合、その遺族に対して一体どんな言葉を選ぶというのか――。沙都子は溜息を吐き、苦笑した。

「何やってるんだか」

 得るために何を捨てる気でいるのだろう私は――。

「ジャーナリストとして捨ててはならない矜持がある…と思う」

 そう呟き、帰ろうと振り返った時、目の前に中年の女が立っていた。女はその手にエコバッグを持ち、なかから大根の葉が顔を出していた。

「あの…うちになにか?」

 そう言って見る先は、今しがた沙都子が見ていた背後の住宅だ。

「え…と、あの…」

 言葉が出ない沙都子を見て、女はそっと頭を下げた。

「梶原といいます。梶原千紗です。うちに何かご用なのでしょう?あなたは――」

 梶原と名乗った女は、沙都子の手にしたボイスレコーダーを見て言った。

「マスコミの方?」

 驚き、立ち尽くす沙都子は千紗の頬に微かな笑みを見た。

「想像なのですけど、もしかしたら坂本君のことで何か?」

 この言葉には重ねて驚かされた。

「あ…あの…」

 千紗はハッキリと微笑み、沙都子の脇をすり抜けながら言った。

「どうぞ。私しか居ない家ですので、ご遠慮なく」

 振り返ると、小さな背中が玄関の鍵を開けるのが見えた。


 どうかお構いなく――と、沙都子は言ったが、千紗はコーヒーを入れてくると言ってリビングを出て行った。

――見回すものじゃないわよね…。

 そう思った沙都子だが、視線は一点に注がれた。

 リビングの広さには不釣り合いなほど大きなサイドボードの上に飾られているのは、トロフィーやメダルの類いだった。その上の壁には賞状も数枚飾られている。その隙間に、小さな額に入った少年の笑みがあった。

「それ、小四の時のものなんですよ。校内陸上大会で生まれて初めて本格的な賞状を貰った時の」

 沙都子の前にコーヒーを置きながらそう言い、千紗は沙都子の向かいに腰を下ろした。

 沙都子は居住まいを正し、深く頭を下げた。

「非常識にもお邪魔してしまいました」

 その沙都子に、被せるように千紗は言った。

「いいんです。というか、坂本君を見ていて勘はあったんですよ。そろそろどなたか〈あの日の、あの事〉でうちに来るのかも知れない――って」

「あの日の、あの事――」

 小声で復唱した沙都子に、千紗は頷いた。

「翔太の、事故のことです」

 思わずギクリとした。身を竦ませた沙都子を見る千紗の目は、静かに微笑んでいた。

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