この恋は誰にも言えない

 あれ、まだ誰かいたのかな。今日は私が最後だと思ったんだけど。

 日直の日誌を出して教室に帰ってきた私は、ドアが細く開いているのに気付いて、不思議に思った。

 今日は全部の部活が休みと決められている日だからみんな、さっさと帰ってしまったのに。

 それでも自分の教室だから入ろうと思った。

 しかし開いているドアから何気なく中を覗いて、どきっとした。

 中にいたのはクラスメイトではなかった。

 弦巻先輩ではないか。後ろ姿だけどすぐにわかった。

 三年生の弦巻先輩が、どうして。

 私は不思議に思い、でも別のことにも気付いた。

 弦巻先輩がいるのは亜沙の机だ。

 亜沙の机は前のほうで、廊下側だから入り口にだいぶ近い。

 その机の前で、なにかを手にしている。

 どうも写真のようだった。

 二人の子どもが写っているように見える。

 しかしそこまでだった。

 不意に、かたん、とドアが音を立てた。

 まずい、これはまるで覗き見。

 だけどもう遅かった。

 弦巻先輩は、ばっと振り向いた。

 その顔が張り詰めていたから、私はたじろいでしまう。

「あ……、羽月さんか。ごめん、勝手に入って」

 弦巻先輩は、いたのが私だと見止めて、張り詰めた顔は残ったまま申し訳なさそうな顔になった。

「い、いえ。なにかお写真ですか?」

 何気なく聞いた。数分後にものすごく後悔するとは思いもせず。

「……うん。大事な……もの、なんだ」

 弦巻先輩は苦笑いになり、すっと私にそれを差し出してきた。

 これまた何気なく写真を見たのだけど……私は近くではっきり見て、顔がこわばるのを感じてしまった。

 写っていたのは二歳くらいの女の子と、四、五歳くらいの男の子だった。

 それが誰なのか、すぐにわかったのだ。

「これ、……」

 言いかけた。でも口に出してはいけないような気がして、続きは言えなかった。

「ああ。まぁ……そういう、ことかな」

 笑顔の中に張り詰めた色と、それから警戒の色があるのを、私ははっきり悟った。

 そこで不意に違うことが頭に浮かぶ。

『父方のことは全然知らないの。私が幼稚園に入る前に、離婚したって聞いただけで……』

 前に亜沙が話してくれた。

 しかしこれに写っている女の子は明らかに亜沙だ。右にほくろがある特徴的な目元だからすぐわかる。

 そして隣に写っている男の子は……、お揃いのシャツを着た男の子、は。

「貸したノートにうっかり挟んだままにしてて……ずるいことだけど、取り戻しに来たんだ」

 どう言ったらいいのかわからない私に向けた写真に、弦巻先輩も視線を落とす。

「……亜沙に、見られるわけにはいかないから……」

 その視線は優しくて、でも苦しそうな、辛そうな色を含んでいた。

「黙っていてくれるかな」

 不意にその目は私のほうを見た。私の胸が、どくん、と高鳴る。

 でも返答は決まっていたから、すぐにこくこくと頷いた。

「は、はい! もちろん、絶対に」

「ありがとう」

 弦巻先輩は少しだけほっとしたのだろう。目元が緩んだ。

 笑顔は写真の中の男の子と重なった。私の心臓がばくばくする事実だ。その意味は考えたくない。

 弦巻先輩と亜沙の『秘密』。

 亜沙はきっと知らないこと。

 でもこれが本当なら……許される恋ではない。

 亜沙が知るか、それともよそに知れるかしたら、即座に壊れてしまうものだ。

 それなら……まだ私にもチャンスが。

 とっさに浮かんだその思考が醜すぎて、私の胸をじくじくさいなむ。

 こんな汚いことは考えたくない。なのにどうしても頭から離れない。

 それでも、今はまだ。

 弦巻先輩の愛おし気な視線は、写真の中の女の子に向いているのだ。



(完)

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