第809話 入院したい人、したくない人(土曜日シリーズ)

毎週土曜日は、いろいろと荒れ狂ったことが起きる。先週末は、朝回診では入院患者さんは落ち着いており、


「今日は平和だといいなぁ」


と思いながら朝回診を終え、午前の外来に向かった。


診察室の椅子に座ると、地域医療部から連絡が入った。


「先生の訪問診療を受けている村田さん(102歳!)ですが、昨日から40度近い熱が出ているそうです。今日、非常勤の先生が訪問診療の日ですが、往診で様子を見て、インフルエンザ、コロナの検査はしてきます。また状態を報告しますね」


とのこと。村田さんは尿管結石に伴う複雑性尿路感染症、それに伴う敗血症性ショックで一度命を落としかけた方だ。その後、神経因性膀胱のため、尿道カテーテルを留置、尿管結石部はD-Jカテーテル留置をされていたが、先日のD-Jカテーテル交換の際に、抜去はできたが再挿入はできず、そのまま手技を終了して、高次病院から帰ってきた、と聞いていた。おそらく複雑性尿路感染症なんだろうなぁ、と思いながら、定時が来て午前診を開始した。


外来診察を続けていると、病棟から電話がかかってきた。


「先生、田原さんですが、先ほどご主人から連絡があり、ご主人の弟さんが急死されたそうなんです。それで、田原さんをお通夜、お葬式に連れて行きたいそうです。少し遠方なので、『外出』ではなく、『外泊』を希望されているのですが、どうしましょうか?」


とのことだった。田原さんは、転倒されて踵の骨(踵骨)を骨折された方である。高所転落などで踵骨にダメージを受けると、卵を落っことしたときに殻が砕けるように粉砕骨折をする。


だんじり、といえば泉南地域が有名であるが、中河内辺りから「だんじり」の風習があるのだ。なので、私の研修病院にも祭りの時期には、「だんじりから落ちた」ということでERに搬送され、「踵骨骨折」と診断される方は少なくなかった。


イメージとして「卵の殻が砕けた」という骨折になるので、原則は手術で固定、という治療になる。骨折部位がくっつくまでには時間がかかるので、術後創が落ち着き、ある程度リハビリが行なえるようになれば、急性期病院から、当院のような病院へ転院し、リハビリの継続と、今後の生活について調整を行なうのが一般的である。


田原さんも転院して1か月ほど。認知症はあるものの、隣のベッドの方と楽しくおしゃべりをされながら、穏やかに過ごされていた。リハビリも順調に進んでいたが、骨折部位はまだ十分にくっついておらず、まだしばらくは、体重をあまりかけないようにしながらリハビリを必要としていた。


田中 角栄氏の有名な言葉で「お祝い事は後でもいい。誰かが亡くなったと聞いたらすぐに駆け付けろ」というものがある。実際にその通りだと私は思っているので、連絡をくれた看護師さんに、


「了解しました。主治医としては外泊OKです。地域連携室や感染対策委員会に連絡、調整をお願いします」


と返答した。


また外来診療に戻り、しばらく患者さんを見ていると、訪問診療から帰ってきた在宅部の看護師さんから報告があった。


「先生、村田さんですが、インフルエンザ、COVID-19とも陰性でした。40度の発熱があります。往診してくださった先生も『入院が必要』とおっしゃってました。入院をお願いできますか?」

「了解しました。部屋と、入院用の書類を用意してください。診察の合間に書類を作成します」


と答え、また診療に戻った。102歳で高熱である。インフルエンザ、COVID-19も陰性であり、これまでの病歴を考えるとやはり尿路感染症の可能性が高いだろうと考えた。2か月ほど前に、尿管ステントを管理していた急性期病院に入院歴があり、『尿路感染症で、尿培養からESBL(Extent Spectrum β-Lactamase:ペニシリンやセフェム系抗生物質により広範囲に作用するβ-lactamase(薬剤分解酵素))産生菌が検出されている』と報告書が届いていたのを覚えている。困ったなぁ、と思いながら診療を続けていた。


午前10時を少し回ったころだったか、救急隊から連絡があり「村田さんを搬送したい」とのことだった。もちろん受け入れOK。


受け入れをOKしたころから、急に外来患者さんが増え始めた。どんどんと未診察のカルテが積みあがっていく。先ほど


「診察の合間に入院指示を書く」


と伝えたが、とてもそんな余裕はない。村田さんが救急隊によって、ストレッチャーで処置室に入室したのも、その音は聞こえているが、私は別の患者さんの診察中であった。まずこちらの診察を片付けなければ身動きが取れない。


その方の診察を終え、必要なカルテ記載を終えて、村田さんと、引継ぎを待つ救急隊員のいる処置室にすぐに移動した。


「すみません。お待たせして申し訳ありません」


と救急隊の方に謝罪。搬送時のバイタルサインを確認した。開眼し、受け答えにはしっかりした口調で返答される。体温39.1度、血圧 78/54、脈拍 114/分、SpO2 98%(RA)。四肢は冷感あり。心音、呼吸音に異常を認めない。


バイタルサインと身体診察所見からは、やはり尿路感染症、敗血症性ショックと考えるべき、と判断した。


健康成人であれば、血液培養など各種培養を採取後、大量輸液と抗生剤投与が必要である。ところが、患者さんは102歳。「大量輸液」とはいえ「本気」で大量輸液すると、“Volume Overload”で心不全を来してしまう。その辺りのバランスを考え、


「1号液 500mlを2時間で滴下してください。胸部レントゲンと心電図を取ったら病棟に上がってもらいましょう。病棟には、『入院時指示はでき次第持っていくので待っていてほしい』と伝えてください」


と、外来看護師さんに指示。ご家族にも


「現在、意識はある程度しっかりしていますが、血圧、脈拍などを見ると、重症の細菌感染症で起きる『敗血症性ショック』という重篤な状態です。今回のことが『命取りになる』可能性が高いと考えてください」


といったん外来診察を止め、診察室で病状説明の後、用意ができ次第、病棟に上がってもらった。


その後も外来患者さんは途切れず、私は、村田さんの入院指示が書けないことにモヤモヤしながら、診療を続けた。


受付終了の12時を回り、少なくとも、これ以上診るべき患者さんは増えない状況となった。


「この患者さんたちを診察し終えたら、入院指示を書こう」


と思いつつ、診察を続けた。あと二人、というところまでたどり着けた。次の患者さんは私が外来で定期followしている南本さん。ただ、気になったのは、いつもは定期の受診で、薬が切れるころにお見えになられているのに、今回はまだ薬がずいぶんと残っているのに来院されていたことだった。


「南本さん、こんにちは。今日はどうされましたか?」

「先生、最近、全然食欲がなくて、食事を取ると吐き気が強いんです」

「そうですか。じゃあお身体を診察させてください」


といって丁寧に身体診察を行なった。バイタルサインは安定。外観もグッタリ感はなく、言葉にも力がある。咽頭発赤なし、頸部リンパ節の腫大なし。心音、呼吸音に異常を認めず。腹部は平坦、圧痛なし。身体診察では有意な所見を認めなかった。診察前にCOVID-19、A型、B型インフルエンザの抗原検査を行ない、いずれも陰性を確認していた。


「南本さん、胸のレントゲン写真、心電図、おなかのCT写真と血液検査をさせてください」

「先生、こんな体調やったら、家にいてもすごく不安なんです。1週間でもいいから入院させてもらえませんか?」

「検査で『入院治療が必要な病気』があれば、もちろん入院ですが、『入院が必要な病気』がない人を入院させることはできません。まず検査をして、そういう病気があるかどうか確認させてください」


と伝えて、検査に回ってもらった。そして最後の一人の診察を終え、南本さんの検査結果が出そろうまでの間に、必死で村田さんの入院指示を作成した。当院での入院は「予定入院」のことが多く、事前に入院用の書類が回ってくるのだが、一人の入院書類を作成するのに小一時間はかかるのである。書くべき書類が多くて困るのだが、これは必要な書類、カルテなので、きっちり書かなければならない。


書類と格闘している間に、南本さんの検査結果が出た。


心電図、画像検査、血液検査、尿検査とも特記すべき異常を認めなかった。もう一度南本さんを診察室に呼び込んだ。


「南本さん。一部の検査は外注になるので今日は結果が出ませんが、院内で緊急で行なった検査では、特に問題になるものはなかったです。食事を取れない、食事を取ると吐き気を感じる、とのことなので、おなかの動きをサポートする薬や吐き気止めを処方するので、お家で様子を見てもらいましょう」

「先生、そんな殺生な…。1週間でいいので、何とか入院させてくださいな」

「入院が必要な病気があれば、『帰りたい』と言うても入院してもらいます。でも、そのような病気が今の時点では、見当たりません。病気のない人を『家でいるのは不安だから』という理由で入院させることはできないのですよ」

「先生、そんなこと言わんと、お願いやから、ちょっとの期間でいいので、入院させてください。この状態では家では過ごすことができません。先生、頼みますわ…」


うーん、困った。医学的には、確かに現時点では入院を必要とする病気はなさそうだが、外注検査結果を見て「えらいこっちゃ」とならない保証はない。「病気のなさそうな人」を「保険診療で入院」というのも、「医療保険の無駄遣い」といえばその通りである。ただ、こんなやり取りがこじれて、これまでの信頼関係が崩れるのも困ったことである。


「うーん…」

「先生、頼みます」

「うーん…」


と、悩んだ。悩んだ結果、私は内線電話の受話器を取り、入院ベッドを管理している地域連携室に連絡した。


「あ、もしもし。保谷です。患者さん、一人入院をお願いしたいんです。患者さんのお名前は南本さん。病名は食欲不振、全身倦怠感です。入院書類は診察室に持ってきてください」

「あぁ、先生、ありがとう!」


ということで、結局私の根負け、南本さんを入院させることにした。


南本さんは、すでに「入院の際に必要」な検査はすべて終了しているので、病棟の準備ができ次第、病棟に上がってもらうことになった。


時計を見ると13時過ぎ。1時間をオーバーして外来終了、だった。しかし私の仕事は終わっていない。書きかけの村田さんの入院指示、これは大急ぎで作成して、抗生物質の投与を開始しなければならない。急ぎ村田さんの入院した病棟に向かい、


「すみません。今外来が終わりました。村田さんの指示、すぐ書きます」


とリーダー看護師さんに伝え、入院に関する書類、抗生剤の点滴指示などを書き上げた。時計は13:45。おなかも空いているが、休んでいる暇はない。次は、南本さんの入院した病棟に向かい、また、入院指示を書いた。


「これでOK。書類は全部作成した!」


と思ったら14:30であった。朝食の食パン6枚切り1枚を食べたのが06:00である。患者さんが重症でバタバタしているときは、アドレナリンがドバドバ出ているせいだろうか、空腹を感じることはないのだが、この日はひどく空腹を感じていた。


「取り合えず、飯を食う間はそっとしておいてくれ!」


という気分だった。昼食を食べるとようやく正気を取り戻し、各病棟を再度回り、必要な指示などを出して、土曜日の仕事を終えた。


私は日、月とお休みをもらっているので、火曜日が1週間の仕事始めである。朝の回診を行なうと、田原さんのカルテがないことに気づいた。


「あれぇ?外泊中の人は、カルテをNs.ステーションに置かないんだったっけ??」


と不思議に思いながら回診。重症だった村田さんは、いつものようにお話をしてくれたが、前日の採血結果(外注に出していた)を確認すると、やはりとんでもないデータとなっていた。バイタルサインもショックバイタルなのに、どうしてあれほど声に張りがあるのだろう?100歳を超えて生きている人は、もともとの身体の元気さが違うのだろうか??


そんなこんなで、土曜日に入院した二人も含め、患者さんはみな「想定内」であった。南本さんも


「先生、ありがとう。入院して食事もとれるようになったよ」


と、調子は良くなっていた。ただ、田原さんのカルテがないことだけが気になっていた。


他職種の人は8:30が仕事開始なので、私が朝回診を終えるころに出勤してくる。回診を終えて医局で、外来前に書類を書いていると、田原さんを担当していたMSWさんから電話がかかってきた。


「先生、すみません。田原さんですが、外泊から帰ってこず、ご家族に連絡すると『本人がどうしても病院に帰りたくない』といって、動かないとのことでした。にっちもさっちもいかず、本人が『紹介元の岡付療養所病院にかかる』ということでした。先生がお休みだったのですが、どうしようもできず、退院としました。岡付療養所病院への診療情報の作成をお願いしてもいいでしょうか?」


とのことだった。たまたま土曜日の回診で田原さんが、


「先生、私、いつ退院できますか?」

「まだ、骨が十分にくっついていないので、もうしばらくかかります。リハビリをもうしばらく頑張りましょうね」

「そうですか。わかりました」


という会話をしたところであった。


入院不要な南本さんが、強く入院を希望して入院する一方で、「まだ入院・リハビリが必要ですよ」と説明した田原さんが、自己退院となってしまった。


上手くいかないものである。

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