第739話 その自信はどこから来るのだ??

いくつかのネットまとめサイトから。


熱傷や褥瘡に対して、一時期「ラップ療法」というものが話題になったことがある。その流れからか、以下のような「X」でのやり取りがいくつかのネットまとめサイトで取り上げられていた。


最初の投稿者は


「体に熱湯をかけたりストーブを触ったりして、やけどで痛みがある時。


やけどで痛みがあるときは、水(ぬるま湯)で患部を流したうえで、とりあえず市販の食品用ラップを患部に2-3回きつくないようにぐるぐる巻いて密着させておく。できればワセリンや軟膏を厚めに塗ったうえで巻く。あとは上から包帯で保護しておく。


ラップを巻いた瞬間にヒリヒリした痛みが大幅に軽減される。びっくりだけど、これほんと。」


と投稿したようだ。


それに対して、おそらく医師なのだろう。別の人がその投稿に対して、


「能登半島地震で火傷の小児が死亡した事例が出たからか、食品用ラップを用いたラップ療法をすすめるポストがいくつもみられますが、絶対にやめましょう。


日本熱傷学会はラップ療法は感染症による重篤化、死亡リスクが高まるとして『用いてはならない』としています」


と投稿し、画像の形で、日本熱傷学会の声明を投稿したようである。


最初の投稿者は、この投稿に対して


「火傷や傷の治し方の話をすると、一番嚙みついてくるのは、結局、医者なんだよね。医者がどれだけ無知か、ほんとによくわかる」


と投稿していたみたいである。


当方、医者でござい、と尊大にふるまうつもりではないが、「医師がどれだけ無知か、ほんとによくわかる」と投稿された方の知識が、きわめて限局的で中途半端だなぁ、と思ってしまった。


ということで、まず、やけどの分類と簡単な皮膚の構造から。


熱傷の重症度は表皮にとどまるⅠ度のやけど、真皮の浅在層に達するⅡ度の浅在層やけど(Surfical Dermal Burn:SDB)、真皮の深在層に達するⅡ度の深在層やけど(Deep Dermal Burn:DDB)、皮下組織に達するⅢ度のやけど、という4段階に分けられる。


皮膚をミクロの目で見ると、角質でできた表皮、その下で、細胞分裂を行なっている真皮、真皮と基底層を隔ててその下の皮下組織でできている。皮膚(表皮、真皮)は平面ではなく、潜り込むようにして毛根などがあり、もぐりこんでいるところまでダメージを受けたのかどうかで、SDBかDDBかが分けられる。本当にμmのレベルでの違いなのである。


臨床的なやけどのたて分けはとても簡単で、1度のやけどは「赤くなっている」やけど、Ⅱ度のやけどは「水疱(水ぶくれ)」を作っているやけど、Ⅲ度のやけどは「皮膚が白っぽく(場合によっては黒く)焼けてしまったやけど」である。ゆで卵と同じで、皮膚もタンパク質でできている。なので皮膚が完全に火が通ってしまうと、白っぽくなるそうである(私は写真でしか見たことがない)。


やけどの治りは、1度、Ⅱ度のSDBは治りがよく、Ⅱ度のDDB、Ⅲ度のやけどは非常に悪く、植皮が必要となることも珍しくない。という点でもⅡ度のSDBとDDBのほんのわずかな深さの差が、大きな違いになるのである。


痛みについてはⅠ度、Ⅱ度のSDBは強く、Ⅱ度のDDBはそんなに痛くなく、Ⅲ度のやけどは痛みを伴わない。というのも、やけどが深くなるほど、痛みを感じる神経もダメージを受けるからである。


とこれくらいが医学生レベルのやけどの基礎知識になるだろうか?もちろん私の知識もこの程度である。


さて、最初の投稿についてみてみると、「やけどで痛い人」への対応法と書いてある。痛いわけであるから、Ⅰ度かⅡ度のSDBであろう。先に述べたようにこのやけどは治癒しやすいやけどである。やけどの範囲にはよるが、極端な話、「創感染」を起こさなければ2週間もあれば十分に治癒するものである。古い治療で、ワセリンを塗ってガーゼで覆うにせよ、ラップを「適切に」当てるにせよ、適切な被覆材を使うにせよ、もちろん何を使うかで治癒の速度は異なるが、感染を起こさなければ「治る」やけどである。


最初の投稿の一番の問題点は、「ラップを2~3巻きする」ということである。ラップを2~3回巻く、ということは、受傷部位を「閉鎖」してしまうことである。


丁度私が研修医のころに、創傷治癒について、従来の消毒、ガーゼ、という流れから新たな流れが生まれた。「創からの浸出液の中に細胞の増殖因子が含まれているので、『ガーゼ』で創を乾燥させるのは良くない。消毒薬は細菌だけでなく、創傷治癒の過程で増えてきた自身の細胞も死滅させるため、創部を消毒液で消毒することは良くない」という考えのもとで創傷治癒を目指す、という考えとなった。当時は「閉鎖療法」と呼んでいたが、創部を「閉鎖」することで浸出液内の増殖因子を利用すること、創を乾燥させないことで、創傷治癒を邪魔しない、ということを目指していた。


ただ、外科的視点で、もう一つ重要な治療対象として「膿瘍」がある。皮下にできた膿瘍がいわゆる「おでき」である。膿瘍は皮下だけではなく、脳実質や肺、胸腔や腹腔内にもできる。「膿瘍」は「感染した細菌」と「白血球の死骸」の塊であり、膿瘍の治療の原則は「切開」「排膿」「ドレナージ(持続排液)」である。膿瘍、つまり感染を来している部分は「切開」すなわち「開放」して、「排膿・ドレナージ(排液)」するのが原則である。つまり、「閉鎖療法」は「膿瘍」の治療と真逆なのである。


閉鎖療法が広まり始めてまず起こったトラブルが、「感染創」に「閉鎖療法」を導入し、感染を悪化させてしまう、ということであった。感染が悪化すれば、状況によっては敗血症で命を落とすこともある。


「ラップ療法」を初めて提唱した先生(名前を忘れました。すみません)の講演をプライマリ・ケア連合学会で拝聴したことがあるが、要点は、「創をラップで大きく覆うが、閉鎖はしない」ということと、「感染創に対しては抗生物質の全身投与で対応している」ということであったと記憶している。「閉鎖はしない」ということはどういうことか、と言えば、例えば、仙骨部の3cm大の褥瘡であれば、ラップは仙骨、腸骨を覆うほどにかぶせるが、その上から尿取りパッドや紙おむつを当てて、余分な水分はラップ内から排除し、適度な湿潤状態を維持する、ということであった。感染創に対しても、局所の治療ではなく、抗生物質の全身投与で対応する、ということを明確にしておられた。「ラップ療法」の利点は、これらのことを厳守することで初めて効果をもたらすのである。


考えれば当たり前のことであるが、ラップ療法の要点を不十分にしか理解していない医師が、夏井先生の提案した「閉鎖療法」と相まって、「感染創の閉鎖」という「膿瘍の治療の原則」と真逆のことをしたがために、創の悪化や敗血症を来したのであろう。


現在は被覆材も非常に良く考慮されており、適切な湿潤環境を保ち続けることと、創感染をコントロールすることで創傷治癒を促進させる「湿潤療法」へと考え方が進化しているのである。


そういうことを意識して、日本熱傷学会の提言を読むと、きわめて理にかなった提言であることがわかる。


この提言、簡単に言えば、「『ラップ療法』なるものが流行しているが、『ラップ療法』を行なったがために創感染が悪化したり、亡くなっている人も出ている現状である。現在、『ラップ』よりもさらに『創傷治癒』のメカニズムに基づいた被覆材が流通しているので、『ラップ療法』をやめて、適切な被覆材を使いましょう」ということである。個人的には実に合理的な宣言だと思うのだが、何が気に食わないのだろうか、


「医者がどれだけ無知か、よくわかる」ということだが、この方、やけどの治療に「天然の塩」が効果がある、などと投稿しているそうである。「傷口に塩を擦り込む」ということわざがあるが、そんなことをしても、痛いだけである。創部の細胞にダメージを与えないために「創内への消毒液を使っての消毒」を止めたのに、塩を擦り込んだら、「ナメクジに塩」と同じで、創部の水分を吸い取って創部の細胞が干からびてダメージを受けてしまうわけである。理科で「浸透圧」の勉強したのかなぁ?と不思議に思ってしまう。


一介の町医者でもこの程度の話はできるし、実際、Ⅰ度、Ⅱ度SDB、褥瘡については適切な外用薬と被覆材で治療を行ない、Ⅱ度SDB以上の熱傷であれば、専門医に紹介しているわけである。実際に患者さんを治療し、患者さんを治癒させているわけである。


最初の投稿での『ラップの巻き方』で、「正しいラップ療法」を知らないことが分かる。最初の時点で馬脚を現しているのだ。あまり人を「無知」と言わない方がいいと思うなぁ。

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