第516話 今の人生に“Yes”という。

6/14の訪問診療。いつもと同じように、在宅部の看護師さん、車(軽自動車)の運転手さんの3人で出発した。いつも通りの順で患者さんを診察していく。513話で書いた高齢、老衰の方については、少し時間をかけてお話をしたが、ほかの患者さんはおおむね状態は安定されていた。


施設に入所中の方の訪問診療に向かったが、患者さんはロビー兼食堂で壁掛けモニタを見て過ごされていた。


「こちらに来られて、調子はどうですか」

「特に変わりないよ。骨折した腕も、入院中に教えてもらったようにリハビリしているよ。ほら」

「あぁ、それはいいことですね」


とお話ししながら診察をした。特にお変わりはなかった。モニタには、画像だけだが、美空ひばり氏の「お祭りマンボ」のカラオケが映されていた。


「ほら、美空ひばりが写っているわ」

「あぁ、本当ですね。「お祭りマンボ」、美空ひばりさんの歌、本当にうまいですよね」

「ほんまにそうやなぁ」


と患者さんとお話しして、訪問診療を終えた。往診車に戻り、看護師さん(30代)と雑談をする。


「私、美空ひばりのこと、あんまり知らないんですけど、先生の世代ですか?」

「いやいや、僕もそこまで年じゃないよ。美空ひばりさん、『昭和の歌姫』って言われているけど、確か本当に、平成に入ってすぐ亡くなられたように覚えているよ。その時僕はまだ高校生だよ」


「でも先生、美空ひばりは『歌がうまい』っておっしゃってらしたじゃないですか」


「今、YouTubeがあるでしょ。美空ひばりの「お祭りマンボ」聞いてみたらいいよ。メリハリがすごくあって、いろいろな人が「お祭りマンボ」をカバーしているけど、やっぱり美空ひばりさん、一番うまいよ」


「美空ひばりさんって、おいくつで亡くなられたのですか?」


「正確には覚えてないけど、確か、56歳だったと記憶しているよ。僕が今52歳だから、考えてみると、とても若いよね」


「そうですね。私、美空ひばりの曲って「川の流れに」くらいしか知らないです」


などと話をしていた。


「そういえば、その曲、歌詞を書いたのが「秋元 康氏」って知ってた?」


「えっ?秋元康って、AKBの仕掛け人のあの人ですか?」


「そうだよ、僕らが中学生のころに夢中になった「おニャン子クラブ」も、氏が仕掛け人だよ」


というところからおニャン子クラブの思い出に話は移っていった。


「秋元 康氏は、そのおニャン子クラブのメンバーと結婚したんよ。『高井 麻巳子』さんて言って、二重の目がきれいで、とってもかわいくて、僕、ファンやってん。


それでな、当時中高生の男の子をターゲットにした雑誌があったんやけど、そこに「おニャン子恋愛対談」ていう企画が掲載されて、メンバー何人かと、秋元氏が恋愛談義をした、という記事が載っててん。もちろんメンバーに、高井麻巳子さんも入っててんけど、その対談の中では、「高井はこんなところがだめだよなぁ~」なんて秋元氏がダメ出しをしたりしててん。


ほんで、その記事から1カ月後だか、2カ月後だかに、「秋元 康氏と高井 麻巳子さんが結婚」ていうニュースが流れてんで。めっちゃひどいと思えへん?あの対談はいったい何やってん!て腹が立ったわ~。ただ、夫婦仲は悪くなさそうで、高井麻巳子さん、偏差値の高い高校出身で、頭のいい人やったそうけど、いま、秋元氏の会社の重役として、会社の管理を担っているんやって」


と話をした。


昨年の8/2に書いた文章 「第52話 忘れない日」で書いたことだが、私が初めて、心の底から好きになった人、その人の目が高井麻巳子さんの目と同じようにきれいな目をしていた。なので、そんな話から、初恋の人の話に雑談は広がっていった。


「彼女との出会いは、『すれ違っただけやのに、忘れられない人』が、同じクラブの新入生歓迎会に来ていて、びっくりしたところからやねん。15歳の少年が「運命の出会い」と勘違いしてもおかしくないでしょ」


「そうですね」


「でも、若い時の恋愛って、バランスが大事でしょ。僕は彼女のことがめちゃくちゃ好きで、一生を彼女と過ごしても何の後悔もない、と思うくらいやったけど、彼女はそこまででもなかったんよね。彼女の行動を制限したり、何か文句を言ったりしたことは1回もないけど、やっぱり俺が重かったんかもしれへん。高校を卒業して、俺は浪人したし、彼女は大学で、彼女が心の底から好きだと思える彼氏ができたから、しゃあないよな」


「そうですよね」


「僕らのクラブ、卒業してから何年後かに「OB総会」と言って、OBが高校に集まって、現役生の演奏を聞いたり、OB側でもアンサンブルを作って演奏したりしてたんやけど、ちょうど僕らがその幹事学年で、「企画」の時か、「打ち上げ」か忘れたけど、男3人と彼女で梅田に飲みに行ってん。


彼女は、その好きな人と恋人になれたことがとてもうれしかったんやろうけど、「初めて指輪をもらったとき」の話とか、「ファーストキスの時の話」とかしててん。俺、顔は笑ってたけど、心の中はズタズタのボロボロや。ずっと大好きな人が、ほかの人とのそんな話を飛び切りの笑顔でしてるんやで。たまらんかったよ。」


「それはそれは…」


「でね、そんなわけで飲み会もお開きになって、みんな阪急で帰るんやけど、駅に向かう途中で彼女が僕だけに、「彼氏、ほかの女の人にもとても優しくて、彼氏の気持ちがどうなのか不安」て言うてきてん」


「先生、それってめっちゃチャンスですやん」


「でも、彼女がどんなけ彼氏のことが好きか、俺が同じように彼女のことを好きやから痛いほどわかってん。だから、思わず『あぁ、それは不安になるよなぁ。でも、彼は「好き」って言ってくれえてるんやろ。彼の言葉を信頼して、あなたの不安を正直に伝えてみたらいいと思うよ。多分彼、分かってくれると思うよ』って言うてん」


「うわっ!先生、それはすごく恋愛下手やけど、めっちゃいい人!たぶん、彼女さん、言葉によっては、先生のところに戻ってきはったんちゃいます?」


「うん、それに気づくの10年くらいかかったけど、その時に『俺やったら、そんな不安にさせへん!』ていうたら良かったんかもしれへん、と思ってん。でも、多分、彼女は彼のことを忘れることはできひんかったと思うから、やっぱり駄目になってたかもしれへん。


それにもし、うまくいってたら、大学院を卒業したら、普通に就職をして、今頃早期退職で肩たたきにあって「えらいこっちゃ」ってなってたかもしれへんから、あの時にああ言ったのは、良かったんかもしれへん、と思ってるんや。


彼女とは、阪急電車のホームで、僕の電車が先に発車したので、お互いに手を振って別れて、そのままやけど、もちろん今も心から好きな人やけど、自分の人生を振り返って、人生の転機に自分が取った選択肢を考えると、今の人生が一番よかったんやないかなぁ、と思ってんねん」


「先生、大人ですね~」


「う~ん、でもどっかで負け惜しみ、酸っぱい葡萄かもしれへんで」


なんて話をした。


確かに、恋愛に不慣れで、それなりに酔っぱらっており、相手が聞きたかった言葉とは違う言葉を行ってしまったのかもしれないし、逆に私が言った言葉を彼女が求めていたのかもしれない。そこは分からない。でも、もし彼女と「結婚」を視野に入れたお付き合いが続いていたとしたら、私は医師への道をあきらめていただろう。


そう考えると、半分は負け惜しみ、後悔の念があるが、それでも、今の人生、決して悪くない。今の俺に“Yes”と言おうと思う。

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