第407話 わぉっ!こんなこともあるんだ。

私の勤務する病院の病棟は、病態の安定した方を受け入れ、リハビリを行ないながら退院後の調整を行なう事を主な仕事としている。なので、多くの方が、急性期病院から転院の方であり、そのような方については、あらかじめ診療情報提供書、看護サマリーなどを送付してもらい、各部門で「当院への受け入れが適切かどうか」を判断して、受け入れをしている。


例えば、継続の透析が必要な方の依頼が来ても、当院に透析の設備がないので、そのような患者さんは「受け入れできない」という事になる。COVID-19の流行によって一気に知名度の上がった「ネーザルハイフローシステム」、これも当院には置いておらず、「ネーザルハイフローで管理中」という方はやはり「受け入れ不可」となる。


医師部門の判定については、各医師持ち回りで行なっている。


前振りが長くなったが、ここからが本題。先日、私の当番の日に、判定の必要な方の紹介状などを確認していた。その中に「偶発性低体温症」を主病名とする方の診療情報があった。めったに見ない病名なので、大急ぎで診療情報を確認した。


患者さんは高齢の男性。奥様が外出から帰宅されたところ、居室内であおむけに倒れているご主人を発見したそうな。その方のお隣さんが医師、とのことでお隣さんを慌てて呼んできてもらったと。その医師がご本人を見て(「見て」なのか「診て」なのかは不明)、「死亡されている」と言われたそうだ。それが13時ころだったそう。その医師が連絡したのか、ご家族が連絡したのかは不明だが、「かかりつけ医(隣家の医師とは別人の様子)」に連絡し、「かかりつけ医」が(ご本人を診察すること無く、伝聞で)「死亡診断書」を15時ころに作成されたそうである。その間、ご本人は居室内で過ごされていたそうだ。21時ころ、ご家族、親族も集まり、お身体を2階の居室から1階の部屋に移そうとみんなで抱えて運んでいたところ、「身体が動いた」とのことで、その時点で救急車を呼ばれたらしい。


病院到着時の体温は28.7度だったそうである。各種検査を行ない、集中治療室で加温、救命処置を行ない、何とかヤマは乗り切った、とのことで転院の依頼を掛けた、という事だ。低体温症の原因は調べたがよくわからなかったので「偶発性低体温症」とした、とのことだった。


何とびっくり。診療情報を読んだ私もびっくりしたが、一番驚いたのは、「死亡診断書」も用意され、みんなが「亡くなってしまった」と思っていた人が「身体を動かしたとき」だろう。


「偶発性低体温症」は「たまたま外気温に体温が奪われ、体温34度台以下の「低体温症」になってしまった状態」を指す。なので、「酔っぱらって冬の道で寝ていた」とか「雪山で遭難した」などという事でなければ、普通は起きない(寒くなったら自分で上着を着るはずだから)はずである。


その一方で、「低体温症」は時々だが経験する。季節は冬ばかりではなく、暑い夏の時にも経験することがある。私の記憶している低体温症の方では、真夏に布団をかぶっていて、体温は33度台だった、という人を記憶している。頻度としては、感染症、それに伴う敗血症性ショックが多いように思うが、内分泌系(ホルモンのトラブル)で低体温症を来たすこともある(例えば「粘液水腫昏睡」など)。なので、本当にこの方が「偶発性低体温症」と判断すべきかどうかわからない。ずいぶんと春めいてきたので、昼間はそれなりに温かい。そのような状態で「偶発性低体温症」となるのなら、「相当薄着」で、しかも「扇風機」か何かで、風などで身体を冷やすことをしなければ、「低体温症」にはならないだろう。まして、奥様が外出される前に、ご様子に特段の変化がなければなおさらである。


ご自宅で関わった二人の医師の対応も正しくない。隣家にお住いの医師は「この方」が「死亡している」と診断すれば、警察に連絡しなければならない。「死亡」は大きく「病死及び自然死」とそれ以外に分類されており、この「それ以外」は法律上は「異状死」の扱いになる。医師は「異状死と診断した場合」には法律上は「24時間以内に」実際はすぐに警察に届けなければならない、とされている。


この場合は、「奥様が外出から帰ってきたら、倒れていた」という事なので、医学的根拠を持って「病死または自然死」とは言えない(もしかしたら、誰かに殺されたのかもしれない)。なので、「死亡」と判断すれば警察に連絡が必要である。また当然ながら、「心肺停止状態」と判断すれば、大急ぎで救急車を呼ぶ必要があるだろう。少なくとも連絡すべき先は「救急」か「警察」。それ以外の場所に連絡する必要はないのである。


連絡を受けた「かかりつけ医」の対応も不適切である。医師法には「診察をせずに診断書を書いてはいけない(死亡診断書に限らず)」と規定されている。死亡診断書については特例があり、「診察後24時間以内の死亡で、診断されていた疾患に伴う死亡の可能性が高いと判断された場合は、無診察で死亡診断書を作成しても良い」という事になっている。


これは何のためか、というと、へき地、離島など速やかに「死亡診断」に行けない場所での死亡を考慮してのことである。


医師のいない離島で暮らす方が、例えばがんの末期で在宅療養中であり、週に2回、フェリーに乗って他の島から医師が往診に来ていた、という状況を想定する。直前の往診では「もう、いよいよの時が近いです」と医師が家族に、死期が近いことを知らせていた。最後のフェリーが出港した後にその方の呼吸が止まり、家族から医師に「呼吸が止まりました」と連絡する。この場合、「死亡診断」に向かおうとしても、最終フェリーが出港した後なので移動手段がなく、死亡診断を行なえない。このような場合に先の特例を使い、無診察で死亡診断書を書いても良い、というルールなのである。


なので、この方の場合、もし最終診察から24時間以上経っている、あるいは、「命にかかわる疾患の末期」で、明らかに「その疾患で死亡している」というわけでもなさそうなので、「無診察で、伝聞だけで死亡診断書を作成する」のは間違いである。必ずお身体を診察し、「明らかに病死・自然死である」という根拠がなければ「死亡診断書」を作成してはいけないのである。


という点で医師は二人とも「変なこと」をしているわけである。ただ、このエピソードの中で、一番慌てたのはご家族だろう。13時ころに倒れているのを発見し、隣家の医師に「死亡している」と言われ、15時過ぎに死亡診断書が届き、21時過ぎにお身体を移動させていたら、身体が動いて、実は生きていた、なんてとてもびっくりしたに違いない。


はぁ~、世の中にはこんなこともあるんだなぁ、と思った次第である。なお、病院到着時の28.7度という体温、本当に命を落としていてもおかしくない体温である。

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