第405話 「健診」は「重症者」を診察する場ではない!

私の住む街では、市が行なっている健診事業は毎年3/15まで、となっているので、その直前には駆け込み需要でたくさんの健診希望者が受診される。3/15から3/31の間は、市民健診の方は来なくなるのでほっと一息、なのだが、4/1、新年度が始まると「早く健診を受けておこう」と考える方々がこれまたどっと受診に来られるので、忙しくなる。


4/1は土曜日で、私の外来もあったのだが、実質の新年度最初の外来は一昨日だった。定期受診の方もおられれば、「健診」に来られる方もおり、もちろん「発熱外来」も絶賛開催中である。


いつものように外来が始まる。患者さんのお話を聞き、お身体を診察する。私の外来に継続通院中の方なら、数回分カルテを見返し、血液検査などをしばらくしていなければ、「次回検査しましょう」とお話しする。初診の方なら、注意して病歴を確認し、鑑別診断(可能性のある診断)を考えながら、身体診察を行ない、必要と思われる検査を指示したり、「投薬のみで経過観察可能」と判断すれば、薬を処方する。


「市民健診」で受診された方は、健診事業部で管理している健診所見用紙と、肺がん検診がセットの方は胸部レントゲンの所見記載用紙、胃がん健診の方なら、バリウム造影検査の方なら問診票とレントゲン指示票、内視鏡希望の方なら内視鏡の承諾書がカルテに挟まって私の手元に来る。「定期受診」のついでに「市民健診」も受ける、という方も少なくない。その場合は、健診用カルテと健診所見用紙、各種所見用紙、そして保険診療カルテに診察内容を記載して、処方箋を作成するので、かなりの手間となる。「一粒で2度おいしい」ではなく、「一人で2倍の仕事量」である。とはいえ、健診を受けてもらうと、胸部レントゲン、血液検査、心電図が含まれているので、次回受診時にとても助かるのも確かである。


「健診」の方は、そんなわけで記載する書類や前もって確認する所見(胸部レントゲンと心電図)があるので、前もって所見を確認し、所見用紙やカルテに所見を記載し、それを終えてから患者さんを診察室に呼び込み、問診、身体診察を行なっている。


そんなわけで外来を行なっていると、80代女性の方の順番がきた。主治医を決めず、やや不定期気味に定期受診されている方であった。


診察クラークさんが「次の方、定期診察と健診希望です」と言って私にカルテを渡してくれた。健診カルテに書くべきことはたいてい決まっているので、あらかじめ「診察後に記載するところ」は空欄として、その下に、心電図、胸部レントゲンの所見を書くようにしている。そんなわけで、胸部レントゲン写真の画像を開けた。


松田優作ではないが、「なんじゃこりゃ!?」と叫びたくなった。


胸部レントゲンでは横隔膜に接してやや左寄りに心臓の陰影が存在している。元気な心臓はいわゆる「引き締まった」状態なので、胸郭の幅の中で、心陰影の占める幅は50%を少し下回っている(心胸郭比と呼んでおり、50%を超えると、「心臓、大きいなあ」とおもう)。逆に、心臓が弱ってくると心陰影は大きくなってくる。なので、「デカい心臓」は心臓が弱っているサインである。


もう少し医学的な話をしようと思う。仮に心臓が1回の収縮で200mlの血液を拍出する必要がある、と考えてみる。元気な心臓で、仮に血液を送り出す左心室の80%を拍出できる、と考えれば、200÷0.8=250mlの容量で事足りる。ところが、心臓が弱り、左心室の20%しか拍出できない、となれば、200÷0.2=1000mlの容量が必要となる。左室が1000ml、なんてことはないが、心臓の元気さ、すなわち拍出する能力が低下すれば、必要量を拍出するためには、心室の容量を増やさなければならない、ということはご理解いただけたであろう。そんなわけで、弱った心臓は「大きい」のである。


さて、先ほど心臓は真ん中左寄りに存在する、と書いたが、確認したレントゲン写真では、心陰影は左胸郭に届くほど大きかった。数年前のレントゲン写真と比べても明らかにおかしい。


心臓は「ポンプ」なので、血液を吸い込んで、血液を送り出す。ポンプの機能が悪くなると、送り出す力が落ちるだけでなく、「吸い込む力」も低下する。中学生の理科で、「心臓は右心房・右心室と左心房・左心室がある」と学習する。心臓というポンプを右のシステム、左のシステムと分けて考えると、左のシステムは、肺から血液を吸い込んで、全身に血液を送り出す。右のシステムは全身から血液を吸い込んで、肺に血液を送り出す、という仕事をしている。なので、心臓の「吸い込む力」が弱くなれば、「左のシステム」で考えると「肺」に水が溜まり(肺水腫)、右のシステムで考えると全身に水が溜まる(浮腫:むくみ)。


確認したレントゲンでは、心臓が拡大しているだけではなく、肺にも水がたまった状態である。レントゲンを見ただけでも、「これはただ事ではない」と思うに十分なほど、問題を抱えたレントゲンだった。


心電図は「心房細動」という不整脈はあるものの、「心筋梗塞」を疑うような変化は見られなかった。


「健診」と「定期診察」とのことだったので、保険診療カルテを開く。血圧は190/110、脈拍100回。SpO2(パルスオキシメーターで測定した動脈血酸素飽和度)は、看護師さんの記載では「安静時は94%、身体を動かすと84%まで低下」と書いてあった。これまた「なんじゃこりゃぁ?!」状態である。


「えらいこっちゃ。患者さん、多分緊急で転送せなあかんなぁ」と思いながら、患者さんを診察室に呼び込む。息子さんが車いすを押して、診察室に入ってこられた。


息子さんは「先生、1週間ほど薬が切れてましてん」と呑気におっしゃられるが、患者さんの手足はパンパンにむくんでいた。


「ひどいむくみ方ですね」

「はい、ちょっと前から両足ともとても重くて、歩くのもままなりません。それに、ちょっと動くだけで、ゼーゼーしますねん」


とのこと。健診であれば、眼瞼結膜、頸部リンパ節、甲状腺を診察して、胸部診察に移るのだが、そんな悠長なことはしていられない。


「胸の音を確認させてくださいね」と声をかけ、胸部を聴診する。呼吸音は、全肺野で呼気時にwheeze(ヒュー、という音)を聴取。心音は、大動脈弁、僧帽弁、三尖弁の音がよく聞こえる領域で心雑音を聴取した。心房細動があるので、gallop(馬の速足の音)ではないが、弁膜症を基礎疾患とする、肺水腫を伴う心不全、と考えた。


「今、お身体を見せてもらいましたが、身体が必要とする血液量と、心臓の送り出せる血液量の不一致が起きている「うっ血性心不全」の状態で、しかも今はすごく状態が悪いです。今から、循環器の専門の先生にしっかり治療を受けてもらう必要があります!すぐに病院を探すので、病院が決まればすぐに、寄り道は絶対せずに病院を受診してください!」と伝えた。


最近は急性心不全、うっ血性心不全急性増悪の分類として「クリニカル・シナリオ(CS)」という考え方が広がっている。この患者さんは全身のうっ血は目立つが、著明な高血圧であり、CS1(クリニカルシナリオ1)に近い病態である。現在の治療では、肺うっ血はNPPV(非侵襲的人工呼吸:気管内挿管を行なわない人工呼吸)で改善を期待し、血管拡張役である硝酸薬(ニトログリセリン)の持続注射で血管を拡張させ、血圧を下げ、余分なうっ血を改善する、という治療となる。


残念なことに、当院に注射用の硝酸薬はおいておらず、当然NPPVなんてあるはずがない。患者さんは、適切な治療を受けることができる「権利」を持っているわけであり、息子さんも、お母様が「そのような重篤な状態」にいる、ということは全く思っていなかったようだった。鳩が豆鉄砲を食らった顔、とでもいうのだろうか?であればなおさら、急性期病院で、適切な治療を受けてもらわなければならない。


大急ぎで、レントゲン写真をCD-ROMに焼き、紹介状を作成し、近くの急性期病院(循環器内科に定評あり)に受診依頼をかけた。相手方の病院からは「こちらの病院の救急車ですぐ迎えに行く」とありがたい言葉をいただいた。


そんなわけで、「健診」で来たはずの患者さんは、病院の救急車で搬送。本日の外来時に当座の返信が来ており、ICU管理となった、とのことだった。


たまにではあるが、珍しくないことでもあるのだが、「体調が悪いから、市民健診で見てもらおう」と思って来院される方がいるのは事実である(市民健診なので、無料だから)。ところが、本当に状態が悪ければ、健診どころの話ではなくなるのがオチである。


「健診を受ける」ことを理由に、健診直前に節制にいそしむ人も多い。しかし、「健診」の目的は、普段のお身体を評価して、改善すべきところ、治療すべきところを見つける、というものである。


どうか「健診」は自然体で受けてほしい、と思う。少なくとも「体調が悪いから、健診で調べてもらおう」という考え方で受診するのは勘弁してほしい、と思う次第である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る