第386話 「持つ意味」の認知度とパフォーマンスの「タイミング」だろう

季節は廻り、明日は春分の日である。いつの間にか、起床時にも窓の外は結構明るくなっており、「春だなぁ」と思うことも増えてきた。「春のセンバツ高校野球」も始まり、残念ながら見る余裕はないが、「そんな季節だなぁ」と感じている。


さて、このセンバツ高校野球で「ペッパーミル騒動」が起こっているとのことらしい。


東北高校対山梨学院大付属の試合。初回、エラーで出塁した選手が自軍ベンチに対して、「ペッパーミル・パフォーマンス」を行なったそうだ。「ペッパーミル・パフォーマンス」は両手でペッパーミル(コショウ挽き)を動かす真似をすることで、その意味するところは「(コショウ挽きでコショウを挽くように)小さなことからコツコツと繋いでいこうぜ」ということらしい。


今開催されているWBCでヌートバー選手が行なったことで、一気に日本でも知名度が上がったパフォーマンスのようである。


ただ、塁審は1回終了後、東北高校側に「パフォーマンスはダメ」と注意をしたとのことだ。


試合終了後、東北高校の佐藤監督が「なんでこんなことで、子供たちが楽しんでいる野球を大人が止めるのかな?ちょっと嫌というか。変えたほうがいいんじゃないかなと。ちょっと思いましたね」とコメントしたそうだ。


この発言が大きな反響を呼び、日本高野連は同日中に声明を発表した。


「高校野球としては、不要なパフォーマンスやジェスチャーは、従来より慎むようお願いしてきました。試合を楽しみたいという選手の気持ちは理解できますが、プレーで楽しんでほしいというのが当連盟の考え方です」


とのことである。


確かにこの問題では賛否両論、多数の意見が報道されている。


日本でよくみられる、ヒットで出塁した後のいわゆる「ガッツポーズ」は、メジャーリーグでは「暗黙の了解」として「行わないこと」となっているそうだ。安打を打たれた投手に対して、「必要以上に侮辱を与える行為」だと捉えられているからだそうだ。


では、現在の日本で「ペッパーミル・パフォーマンス」の持つ意味は浸透しているのだろうか?少なくとも「ペッパーミル・パフォーマンス」という行為に比べて、その行為の持つ意味は浸透していないように思われる。極めて個人的意見だが、最近よくWBCなど野球を見ている息子君に「ペッパーミル・パフォーマンス」について聞いてみたが、「最近よく見かけるけど、意味は知らない」という答えが返ってきた。


賛否両論ある中で、「ペッパーミル・パフォーマンス」の意味を紹介していたのは、PRESIDENT Onlineで広尾 晃氏が書いた記事だけである。


この問題についての諸説について、論者が「ペッパーミル・パフォーマンス」の意味を知っていたのはどのくらいの割合なのだろうか?あるいは、注意をした塁審は知っていたのだろうか?あるいは東北高校の監督は知っていたのだろうか?パフォーマーであった選手は知っていたのだろうか?というのがまず私の疑問であり、この問題を考える一つの「カギ」だと思うのだが。


もう一つは、そのパフォーマンスを行なったタイミングが「相手のエラーで出塁」したときに行われたことであろう。「ペッパーミル・パフォーマンス」の持つ意味を知らないものが、そのタイミングでパフォーマンスを見たときに、そのパフォーマンスが「相手のチームのエラー」を侮辱したように見えるのはありうる話だろう。しかも最近急に行われるようになったパフォーマンスでもあるわけなのだから。


だから、塁審が、行われた「ペッパーミル・パフォーマンス」を「相手チームへの侮辱」と解釈したとしたら、東北高校側に注意に行くのは妥当だろう。


東北高校の監督も、「ペッパーミル・パフォーマンス」の持つ意味を明確にしたうえで、そのパフォーマンスをした選手の気持ちを代弁し、そのうえで上述の意見を述べれば、ここまで大きな問題にならなかったのではないかと思うのだが。


共通認識を持たないジェスチャーは「誤解」を与える。まだ「ペッパーミル・パフォーマンス」は日本人全体として、そのパフォーマンスの共通認識を得られたものではないと思われる。同じ行為が日本ではポジティブなメッセージで、他国ではネガティブ、あるいは侮蔑を表す、などということはしばしばあることである。


おそらく、東北高校の選手たちには、「ペッパーミル・パフォーマンス」の持つ意味は共有されていたのであろう。ただ、塁審がその意味を知っていたかどうかは分からない。もし知らなかったとしたら、その試合の文脈でのパフォーマンスは「相手のチームを侮辱する行為」と認識されてもおかしくはない。


もちろん、塁審がそのパフォーマンスの意味を知らない、ということを責める必要はないと思う。知らなくてもしょうがない。本当につい最近行われるようになったパフォーマンスだからである。


むしろ東北高校の監督が、コメントの際に、「ペッパーミル・パフォーマンス」の持つ意味、出塁した選手が、チームにどのようなメッセージを伝えたかったのかを明確に解釈する必要があったと思う。それがあれば、あのパフォーマンスが「相手チームを侮辱する」ものではない、ということが多くの人に伝わったであろうし、これほどの騒動にはならなかっただろうと思う。


非言語的メッセージは、「認識」を共有していなければ、却って「誤解を招く」ことになるということを改めて感じた次第である。

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