第372話 毎度のことながら(その二)(ハードな土曜日シリーズ)

続きです。


そして看護師さんに、デイサービスの患者さんに来てもらうよう、連絡をしてもらった。


「今、食事中とのことです」とのこと。またもやガックリである。「先に食事を取ってほしい」と伝えたではないか。何をやっているのだ。こちらの空腹も強くなっており、イライラの閾値が下がっており、さすがに「食事を終わらせてから」とは言えなかった(のちの予定も入っているし)。「申し訳ないけど、受診を優先してもらえませんか」と伝えてもらった。


患者さんが来るまでの間に、看護師さんに「うち、クラビクルバンド(鎖骨骨幹部骨折の場合の固定具)ってありますか?」と確認した。「ありません」とのことだった。ほら、何が「ちょっとレントゲンでも」だ!鎖骨骨折があれば、転送じゃないか。体幹臓器に損傷があれば大変なことである。モヤモヤモヤ~!


患者さんが来る前に、理事長(兼当院院長)が私のところにお見えになり、状況を伝えてくださった。「昨日、階段の4段目から落ちた、というので診察したところ、右の鎖骨あたりを痛がるので、ちょっとレントゲンでも取って、確認していただけますか」とのこと。


院長には大変申し訳なく思ったが、院長の「ちょっとレントゲンでも」という発言だけでなく、デイサービススタッフのだれもが、「階段の4段目から転落」ということを深刻に受け止めていないことに強い危機感を感じたことと、私の空腹によるイライラが重なって、院長にはきつい言い方をしてしまった。


「先生、階段の4段目、と言えば1m近くの高さがあるので、そこからの転落、となると、ただぶつけたところに注意を向けるだけではなく、命にかかわる臓器損傷の鑑別なども必要になります」


「あぁ、そうでしたか。それはすみません。ではよろしくお願いいたします」と言って院長は去って行かれた。


しばらくして、ご家族が、ご本人を車いすに乗せて診察室に入ってこられた。


ほら~。階段から落ちた、ということは、それなりに自力で歩くことができていたはずである。その方が「車いすに乗ってくる」ということがおかしいではないか。


「デイサービスからお話を伺いました。大変でしたね。昨日、階段からどのように落ちたのですか?」

「・・・・よく覚えていません・・・」

「今、身体でどこか痛いところや、調子が悪いところはありますか?」

「・・・・右の方が、ねぇ・・・・」


とおっしゃりながら右腕の方をさすっている。息子さんにお話を伺うが、患者さんは独居生活で、息子さんは近くに住んでおられ、ちょくちょく様子を見に行くようにはしているが、細かいところまでは分からない、とおっしゃられた。


まずは診察である。バイタルサインは安定しており、少なくとも受傷からかなり時間が経っていること、ごはんも食べていること(これが大事)から、心配していた致死的なトラブルはないような印象である。発語は声が小さく聞き取りにくいが、受け答えは適切であり、意識レベルは問題ないと判断。心音、呼吸音に異常を認めない。右胸郭に介達痛あり。右前胸部上方に圧痛あり。上腕の他動では右前胸部上方付近に痛みを訴えるが、烏口突起に段差や圧痛なし。肩関節、上腕骨、肘関節、前腕、手関節に疼痛を認めない。胸腰椎移行部に叩打痛を軽度認めるが、身体を動かしてもそれほど痛いと言わない。両股関節ともPatrick signは陰性。両膝の他動でも疼痛は訴えない。


院長の言われるとおり、右鎖骨は問題がありそうだが、その他は大丈夫そうではある。ただ、大事を取って、頭部CT、胸部CT(肝・脾・腎まで入る)と、胸椎2方向、腰椎2方向、胸部単純写真正面(車いすなので側面は無理なこと、胸部CTも取るので)、両股関節2方向(骨盤正面像も入る)をオーダーし、カルテを記入した。


カルテをひとまず書き終えても、写真がPC上に挙がってこないので、レントゲン室にお邪魔し、写真を見せてもらった。右鎖骨骨幹部は院長の言う通り骨折していた。椎体も、Th9(第9胸椎)に魚椎様変形があり、叩打痛の部位と一致していると判断したが、単純写真では新鮮骨折かどうかは判断しづらい。あまり痛がってないようなので、陳旧性の骨折かもしれないと判断した。「これからCT取ります」と技師長が言われるので、一旦診察室に退散。単純写真の所見をカルテに記載し、紹介状の作成を開始した。クラビクルバンドがないので、当院でできることはないのである。


しばらくするとCT画像も飛んできた。頭部CTでは有意な頭蓋内出血、頭蓋骨骨折はなく、環軸椎亜脱臼も認めなかった。胸部CTでは肺野に異常なく、縦郭条件でも胸郭に液貯留なく大血管の拡大もなし。肝・脾・腎にも明らかな損傷はなさそうでダグラス窩などに液貯留を認めなかった。右胸郭の介達痛があったが、右肋骨骨折も明らかなものはなさそうだった。


というわけで診断は「右鎖骨骨幹部骨折、Th9圧迫骨折の疑い」とした。治療は、クラビクルバンドで肩を少し後方に引き、胸を張ったような状態で過ごしてもらうことである。


デイサービスからの情報では、近隣の急性期病院に定期通院中、とのことだったので、そちらの救急外来に「右鎖骨骨折ですが、当院にクラビクルバンドがないので、そちらでクラビクルバンドをつけてもらい、平日の整形外科外来でのフォローをお願いします」と紹介状を用意した。その時点で時間は13:30。予定入院の患者さんが来る時刻だった。


一応午前の外来扱いの患者さんなので、病院間のやり取りは地域連携室にお願いすることができ、外来中に入院患者さんが来る病棟とは違う病棟から呼び出しがかかっていたので、先にそちらに顔を出した。依頼の処方箋を書きながら、「今、外来が終わって、もうすぐ患者さんの入院もあるのですよ。おなかがペコペコですわ」と病棟リーダーの看護師さんに少しぼやき、患者さんの来る病棟に移動した。この時点で、9時前に数口お茶を飲んだ以外は飲まず食わずである。


病棟に降りると、リーダー看護師さんから「患者さん、もう到着しているようです。もうすぐ病棟に来られるようですよ」とのこと。私は予定の患者さんが入院されるときに、必ず2つの書類をいただくことにしている。一つは、身体拘束に対する承諾書、もう一つは急変時の対応に関する意思表示書である。ほとんどが75歳以上の高齢の方であり、環境が変わると夜間せん妄を起こされることが珍しくない。手足を括り付けて、という拘束は行わないが、ベッド柵を4点にしたり、おむつの中に手を入れて、手を糞便で汚してしまう人に「介護服(整備士さんが来ているつなぎの服。手足は自由に動かせるが、おむつの中には手が入らない)を着てもらうことがあること、そして、車いすに乗車中は転落防止のため安全ベルトを着けてもらうことを説明し、同意をいただいている。


もう一つの急変時対応については、ご本人、ご家族の希望に沿うことにしているが、研修医時代、たくさんの心肺停止患者さんを受け入れ、心肺蘇生術を行ない、その後どうなったのかをよく知っている私としては、ご家族の方が迷われているようであれば、その当時の経験から、心拍再開の可能性、心拍再開後の経過などについてお話しし、あまり積極的に蘇生処置を行うことは勧めていない。


そんなわけで、その2枚の用紙を用意していると、病棟に「患者さんが今から病棟に移動します」と連絡が入った。その病棟はエレベーターホールが広く、そこで患者さんのご家族と入院時のお話をすることが多い。なので、お話しできるようテーブル、いすを配置し、患者さんが来るのを待った。


患者さんは脳梗塞後遺症で片麻痺がある方だそうな。奥様が手術を受けられる、とのことで2週間のレスパイト入院、ということである。ケアマネージャーさんからの情報では、「すこし怒りっぽい方」という情報だった。


車いすに乗った患者さんと、奥様がやってこられた。

「こんにちは。内科の保谷と申します。よろしくお願いいたします」と患者さんご本人と奥様にあいさつ。奥様は、先ほど用意した椅子に掛けていただくようご案内した。新入院の患者さんは、入院時に体重を図ることになっており、この病棟には車いすに乗った状態で体重を測れる体重計がある。看護師さんが、患者さんを車いすごと体重計に乗せて重さをはかる。院内の車いすにはすべて、車いすの重さがテープで貼られており、引き算をすれば患者さんの体重が測れる、という次第である。


体重計が65kgほどの数字を示した。車いすは約20kgほどなので、患者さんの体重は45kg前後である。看護師さんが「体重は45kgくらいですね~」というと、患者さんは急に烈火のごとく怒りだし、「そんなわけあるか!わし、60kgくらいあるわ!」と怒鳴り出した。わぉっ!ケアマネージャーさんは「少し怒りっぽい(軽度の易怒性あり)」と書いていたが、「めちゃくちゃ怒りっぽい」人だった。脳血管障害の発症後、性格変化を認めることは珍しいことではなく、奥様に聞いても「これほど怒りっぽくなったのは病気になってからだ」とおっしゃられていた。奥様も大変である。ちなみに、体重計は、医師セットを装備した私であれば86kgくらいあるはずなのだが、66kgとしか表示されなかった。本当に体重計の調子が悪いようであった。


患者さんは片麻痺(片方の手足にマヒがある状態)で車いすに乗られていた。患側(麻痺側)は上肢は中等度の屈曲拘縮、下肢は軽度の伸展拘縮を認め、全く動かなかったが、健側は上下肢とも、普通の人以上に力が強かった。これは悩ましいことで、せん妄などを起こすと、健側で立とうとし、立ち上がれるが、重心が患側に動くと支えることができず転倒してしまう。しかも怒りっぽいとなれば、何かを健側でつかんで振り回せば女性には押さえ込むことができないほどの筋力である。奥様にはその旨お話しし、前述の書類についても同意をいただき、記載していただいた。入院カルテにも入院時所見を記載し、看護師さんへの指示欄に「易怒性強く、筋力も強いため、注意してください」と記載した。


新入院の患者さんのカルテ記載などを始めたところに、地域連携室のスタッフから連絡があり、「先ほどの患者さん、『入院の受け入れはできない』と言われましたがどうしましょう」とのことだった。鎖骨骨折の方は、クラビクルバンドをつけていれば、あとは肉体労働など骨折部位に強く負担のかかることをしなければ、日常生活は普通に過ごせる。入院の必要性は全くない骨折である。「鎖骨骨折なので入院は不要と思います。ERの先生もご存じだと思うので、「入院は不要」と伝えておいてください」と伝言をお願いした。


そして、カルテを書き終えたころにもう一度地域連携室から連絡があり、「患者さんのケアマネージャーさんから連絡があり、『ご家族が心配なので入院させてほしい』と言ってきたがどうしたらいいでしょうか」とのことだった。


最初にデイサービスから連絡を受けたときに、多分このような話になるだろう、と予想していたのであるが、まさしく予想通りの展開であった。この状態で「入院させてほしい」ということなら、本質的に「独居生活」をしていたことが「誤り」だったのだろう(家族の介護力も含めて)。上腕骨や前腕の骨折、下肢の骨折などでADL(Activity of Daily Life:日常生活での活動性)が極端に低下した、ということなら入院はやぶさかではないが、鎖骨骨折は、クラビクルバンドをつけて姿勢を保つだけで、あとは日常生活を高度に阻害する骨折ではない。


それに、なぜ私がそれを判断しなければならないのだろうか?主治医のいる急性期病院に紹介したわけであり、そちらの主治医が考えればよいだろう、私なんてほんの通りすがりである。とかなりモヤモヤ(やはり空腹は良くないね)しながら、地域連携室のスタッフに「鎖骨骨幹部骨折は入院が必要な骨折ではありません。それで『心配だから入院させてほしい』というなら、もうご自宅での生活はむりです。それに、当院は内科です。整形外科医の診察・評価もなく当院に入院、というのはいかがなものでしょうか?そのあたりをご家族ともう一度ご相談いただけますか?、とケアマネージャーさんに伝えてください」と伝言をお願いした。


「医学的必要性のある入院」であれば、部屋があれば受けるが、今回は「医学的必要性のほとんどない、『家族が心配だから』入院」の依頼である。医学的必要性のない「家族の心配」を解決するのは家族の問題であって、医療の守備範囲ではない。入院させても問題の先送りである。今までも数えきれないほど、このようなことでモヤモヤしてきた。公衆衛生的視点から言っても、こういったことにもともと不足気味の「医療費」を使うのは不適切であると思っている。


そんなわけで、モヤモヤしながら、トイレとお昼ご飯にありつけそうになったのは、15:00前であった。


次に続きます。

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