2023年 3月

第359話 それでいいのか?ER!

現在は、医学部を卒業後2年間は「初期研修医」として、厚生労働省の外郭団体が実施している「マッチングシステム」でマッチした病院で、厚生労働省の設定した基準を満たしたプログラムで初期研修を受けることがほぼ義務付けされている。初期研修必修化はH16卒の研修医(私の学年)から実施されており、初期研修を終了しなければ、「医療機関の施設長」になれないなど、医師としての活動に制限がかかるので、少なくとも何らかの形で「臨床の現場」にかかわることを考えている医師は、ほぼすべて「初期臨床研修」を修了している。


第1期生はいわば「実験」みたいなもので、組み立てられたシステムが正しく動くかどうかを確認するためのある意味「捨て駒」でもあったのかもしれない。私が後期研修を終える6年後には「初期研修必修化」も私たちのころと比べて、ずいぶんシステムや、各研修病院での研修医受け入れのプログラムなどが洗練されたように思われた。


それはさておき、私が初期研修を受けることに決めた病院は、「初期研修必修化」以前から、新卒の研修医を受け入れ、育ててきた病院、病院グループであった。ちなみにこの病院グループの中で最初に「初期研修制度」を確立したのが、私の修業した病院であった(今は研修医教育のフラッグシップは関東地域の病院に移っているが)。


卒業した病院を持ち上げるわけではないが、かつて、医学部を卒業すればすぐ大学医局に入局し、医局の中で「特定の領域の専門医」を目指す医学教育が標準だった時代から、診療科の壁を越えた「スーパーローテート」(具体的に言えば、内科、外科、小児科、整形外科など、専門診療科の枠を超えて研修医がローテートし、それぞれの診療科でその基本を身に着ける、という方式。今の初期研修必修化ではこの「スーパーローテート」が基本である)を行ない、研修医を鍛えていたのであるが、研修医の「修業の場」として最も重要視されていたのが「ER(Emergency Room:救急室)」である。私が研修医を卒業し、診療所の医師として働き、時に重症者の転送のため、救急車で転送先に同乗していったときに驚いたのは、多くの病院の救急部が、自分の卒業した病院と比べて極めてスペース的に貧弱だったことであった。逆に、それだけのスペースしかないのに、結構な数の患者さんを受け入れてくれてありがたい、と思うほどであった。


初期研修医、後期研修の前半(後期研修は専門診療科研修となるので、選択した診療科によっては、5年目くらいからER当直を外れ、各科当直に移行することが多かった)のメンバーで、救急車であれ、Walk in(自力で来院された患者さん)であれ、内科、外科関係なく診察すること、ERを回すこととなっていた。なので、内科医の私が縫合処置をしてる横で、整形外科後期研修中の後輩が心筋梗塞の対応をする、なんてことは普通のことだった。


「救急外来、ER」の仕事は、私が研修医のころは、「初期評価をして、入院が必要だったら入院。そうでなければ、その日の晩を持たせて次の日に専門医につなぐ」というように言われていた。見ようによればそれは、「その場しのぎ」の場所、と見えるかもしれない。ただ、私が「ER」で心がけていたことは、「1.自院の設備で、可能な限り診断をつける。2.診断がつき、入院が必要と判断、あるいは診断はつかなかったが重症で入院が必要な場合には「適切な診療科」に入院を依頼する。3.診断がつき、ERで対処可能、あるいは初期治療可能な方は、初期治療を行なう。4.入院する必要性はないが、専門医のフォローが必要な方には、「必ず」外来予約、あるいは「詳細な紹介状」を書いて、確実に次の医師につなげる」という事を心掛けていた。


救急車での搬送であれば、救急隊から主訴、状況、本人のバイタルと現症を確認し、救急隊到着前に、ある程度の鑑別診断を考え、少し広めに検査オーダー、必要であれば放射線科に連絡し、緊急MRIの連絡をしたりしていた。病院で検査可能なものが多かったので、その分、身体所見を丁寧にとる、という事が若干おろそかになってしまったことは自身の反省点ではあるが、ERで診療科を問わず、たくさんの患者さんを評価し、適切と思われる対応を取るトレーニングを受けた、という事は今の財産になっている、と思っている。


さて、話は変わって、昨日の新規入院患者さんのお話。娘さんと二人暮らしだが、娘さんが手術を受けられるため、長期間入院となり、独居生活は難しい、とのことで「レスパイト(ご家族の介護負担軽減のため、という意)入院」となられた方である。かかりつけ医からの紹介状を確認すると、「なんで?おかしいやん」と思うところが多々あった。


ご家族のお話を伺うと、この数年で数回、短時間の意識消失発作(一過性意識消失発作)を繰り返しているそうで、前日もかかりつけ医(ご自宅から歩いて1分ほどの距離)を受診するのに何度も休憩を繰り返し、帰宅後、どんどん顔色が青ざめて数分間の意識消失発作があったとのことだった。意識消失発作の度に近くの2次医療機関に救急搬送されており、前日も同院に搬送されていたそうだ。


事前情報として送られていたかかりつけ医及び、一過性意識消失発作との診断で2次医療機関救急外来からかかりつけ医に送付された診療情報提供書を事前に確認しており、前日のエピソードについて当院宛てに記載された診療情報提供書をご家族がお持ちくださったので、そちらも確認した。


かかりつけ医の記載では、一過性意識消失発作のエピソードをTIA(Transient Ischemic Attack:一過性脳虚血発作)と記載していた。クリニックからの紹介状を拝見したり、時には医師同士で転送などの時にお話ししていると、一過性意識消失発作とTIAを混同している人が結構多くて、がっくり来ることが多い。


TIAはいわば「プレ脳梗塞」である。一時的に脳の血管が閉塞し、血流の途絶した領域が担当している機能が障害を受ける。幸いなことに一時的に詰まったものが詰まりが取れ、再び血流が流れることで、障害されていた機能が回復する(疾患の基準としては24時間以内、とされているが、多くは15分程度で)病態をTIAと呼ぶ。脳はその領域によって担う仕事が異なるので、出た症状でダメージを受けた領域がおおよそ推測できる。このような症状を「巣症状(そうしょうじょう)」と呼ぶ。巣症状としては、例えば、片方の手足に力が入らなくなる、とか、片方の手足の感覚が鈍くなる、あるいは片方の顔と、それとは反対の手足の感覚がおかしい、とか、視野の1/4が見えなくなった、など色々であるが、TIAの場合は、多くの場合小さな血管が閉塞することが多いので、意識を失う事はない。実際に、脳梗塞や脳出血でも多くの場合、意識に変調をきたしていても、意識を失っている、という事は多くはない。


意識を失う状態は、1.大脳が広範囲にダメージを受けている、2.脳幹(脳の奥深くにある命をつかさどる中枢が集まっている部位)に存在する、「脳幹網様体賦活系」という意識をつかさどるシステムがダメージを受けている、のどちらかである。なので、仮に本当の意味でのTIAで意識を失うことがあれば、大騒ぎであるはずである(いずれも命にかかわる)。という事で、基本的に、一過性意識消失発作でその原因を「TIA」と書くようであれば、その医師は「TIA」という疾患概念を理解していない、ということがわかる。


医学、ないしは医療を「科学的に」議論するためには用語の認識を明確にする必要があり、そういう点で私たちは、既存の病態に新たな生理学的背景の発見が加わり、「病名」が変わった時にはその概念の理解と、「病名」を自分の頭の中でリニューアル(つまり勉強しなおす)する必要がある。この「一過性意識消失発作」と「TIA」の混同は結構多く、私としては「気持ちが悪い」。少なくとも私の研修医時代、指導していた後輩が「一過性意識消失発作」を「TIA」と呼んだり、「一過性意識消失発作」の原因として第一に「TIA」を挙げるようなら、お尻ペンペンである。


で、モヤモヤしながら、2次医療機関からかかりつけ医に送付した診療情報提供書も確認する。美しい3行診療情報であった。江戸時代に、離縁するときに男性から女性に「三くだり半」を渡していたが、それよりも短い。「一過性意識消失発作で搬送されました。到着時には意識は清明でした。心電図、血液検査、頭部CTいずれも異常ありませんでした。貴院でのフォローをお願いします」との文章だった。何だ、すぐに暗記できるほどの文章じゃないか?これが「初回」の意識消失発作後のものであればまだよい。かかりつけ医からの診療情報と照らし合わせると、3回目くらいの発作に対する返信である。「この救急の医者、何も考えてへんなぁ」と、頭が痛くなった。


一過性意識消失発作、あるいは”Syncope(失神発作)“といってもよいかもしれないが、原因としては、何らかのストレス(痛みや精神的ショック、起立性調節障害など)に起因する血管迷走神経反射、てんかん発作、(致死性)不整脈が鑑別すべき原因としてまず挙げられる。なので、目撃者がいれば、倒れる前からの出来事、本人の様子、本人が意識を失ったときの様子、意識を取り戻すまでの時間、意識が戻ってからの様子を可能であればしっかり聞かなければならない。血管迷走神経反射であれば、様子を見ても良いが、てんかん発作を疑うエピソード(急に一点を見つめて倒れた、とか手足をびくびくさせていた、とか、身体がこわばっていたとか)があったり、不整脈を疑うエピソード(血の気が引いて倒れた、とか、意識が戻った時にひどく冷や汗をかいていた、とか)があるかどうか、しっかり聞く必要がある。そのうえで、「初回」であれば、前述の評価のみでも許容されると思うが、繰り返しているなら、しっかりアタリをつけて、適切な診療科に紹介すべきである。少なくとも私はこれまで、そのような3行紹介状を書いたことはない。ERで仕事をしていると、一過性意識消失発作の患者さんはそれなりに搬送されてくるが、目撃者がいれば、可能な限り情報を得て、院内の適切な診療科での精密検査を行なうようにしていた。


前日の一過性意識消失発作についての診療情報提供書も、文面は、コピーしたのかと思うほど同じ文面だった(もちろん同じ医師だった)。ガックリした。


一緒に暮らしていた娘さんにお話を伺うと、クリニックから休み休み帰ってきて、自宅のソファにへたり込むと、みるみる顔色が悪くなって、意識を失った、ということだった。1分程度で意識は戻り、意識が戻ると受け答えは普段通りだったが、手足は氷のように冷たかった、とのことだった。それだけを聞いても、この「一過性意識消失発作」は「てんかん発作」ではなく心臓、循環器系のトラブルだと容易に推測できる。なかなか普通の人は、その時に「脈を触ろう」なんて思う余裕がないので、不整脈なのか、迷走神経反射なのかは分からないが、少なくとも年齢と意識消失までの短い時間の推移を見ると、「下手をすれば死んでしまう」ことが起きて、意識を失ったことが分かる。


この患者さんが病棟に上がってくる前に、入院時にルーティーンで撮影する胸部レントゲンを確認していたが、心胸郭比(胸部レントゲンで、胸郭の幅に対する、心臓の幅の比率。成人なら50%を超えると「心拡大」と判断する。状態の悪い心臓は大きくなるので、心胸郭比の大きな写真は、心臓の状態がよろしくないことを示唆する)が70%を超えており、心臓にきわめて大きな問題を抱えていることを私は把握していた。ただ、胸部聴診では心雑音はなく(かなり注意して聴診したが)、虚血性心筋症、あるいは拡張型心筋症なのかもしれないが、それは横において、この患者さん、この入院中に「突然死」する可能性はそれなりにありうる、と判断した。


ご本人が病室で病衣に着替えている間に、ご家族にこの「一過性意識消失発作」のこと、入院時のレントゲンで著明な心拡大のことを説明し、「今回の入院中に、突然に亡くなる可能性は少なくないとご理解ください」と説明した。ご家族は、「初めて聞いた」かのように驚いた表情を隠せないでいた(もちろん、ご家族への心のケアはその後しているつもりだが)。


でもこのようなこと、なんでお会いして15分ばかりの医者が話をしないといけないのだ(いや、話をするのはかまわないのだが)?かかりつけ医や救急医はこれまで何をしていた?少なくとも私が研修医の修業中、ERでこのような患者さんの診察、評価をしたら、そこまで話をして、話した内容も含めてかかりつけ医にお手紙を書いていたよ。


プロとしての矜持はないのか?とその救急医やかかりつけ医にモヤモヤした気持ちを抱えた次第である。

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