第321話 なぜ、勝手に決める?!
本日、岸田首相が卒業式でのマスク着用について、「国歌斉唱や合唱時を除き、マスクを着用しないことを基本としたい」と表明したそうである。
以前にも卒業式のマスクについては「着用を推奨しない」とも言っていたかと記憶している。
マスク装着のメリット、デメリットは別として、なぜ「着用しないことを基本」と表明するのか、非常に理解に苦しむ。「着用を推奨しない」という事についても同様である。
私のスタンスは、「マスクはした方がいいと思うけど、着けたくないんやったら着けなくても良かろう。リスクとベネフィットを考えたうえでの個人の決定である」というものである。
そう、マスクをつけるのも、マスクをつけないのも、特に中学生より上の学校であれば「本人の意志」に任せればよいではないか。なぜわざわざ「原則として着けない」と決定するのであろうか?
もともとのマスク着用についても法的拘束力はなく「お願い」であったはずである。それが無意識のうちに「強制力」を持ってしまったのではないか?
今回も「着用しないことを基本」とすれば、「着けないことが正しい」となってしまうではないか?
なぜ、「マスクの着用については個人とご家庭の判断に任せる」とか、「マスクの着用は任意である」と言わないのだろうか?
この時の会見で首相は「着脱については無理強いはしない」と応えているのだから、「公式見解」として、「マスクの着用については自由意志」と明確にすべきであっただろう。
本当に「マスクをつけてもつけなくてもどちらでもいい」と思っているのなら、首相やその側近、作文をする人の文才、言語能力に疑問を投げかけたいと思うし、内心「マスクつけるな」と思っているのであれば、医学的根拠をもってそういえばいいのである。
玉虫色にもなっていない、雑な意見表明である。
巷では5月の広島サミットで、マスク姿の日本人が多いことを見られたくない、と思っている、などと書かれているが、もともと日本人はマスク装着を嫌がる国民性ではなかったわけである。G7の他国から、マスク装着について何か言われたら「もともと日本人はマスクに対する違和感が低い国民であり、この時期は花粉によるアレルギー性鼻炎が増えるので、COVID-19流行前から、この時期はマスクを着けている国民は多かった」と言えばいいのである。
暗に強制力を持たそうとしているのか、言葉の選択がまずいだけなのか、よくわからない。
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