第318話 薬の「タネ」

医学の進歩はすさまじく早く、20年近く医者をしていると、医学生時代に教科書に記載されていたことと、現在とで全然アプローチや考え方が変わってしまった疾患があったり、分子生物学の進歩に伴って作られたモノクローナル抗体薬やチロシンキナーゼ阻害薬など、基本的な発想を一にしながら、様々な作用を持つ薬が派生して作られている分野もあれば、基本的な生理学的現象の発見は100年以上前のことで、そこから薬が生まれることもある。


また、新たに生まれた薬が、思いもつかなかったような効果を有することが明らかとなることもある。そういう点で「薬」と「作用機序」を見ていくと、面白いことが多い。


同じ量のブドウ糖を、点滴で投与した場合と、経口摂取で投与した場合で、血糖値の変化に違いがある(経口投与の方が血糖値の上昇が低い)、ということが分かったのは1900年代初頭のころであった。この時代の医学の特徴なのだろうか、よくわからないのだが、この現象を起こしている原因となる物質が「あるに違いない」と考えて、まだその物質が見つかっていないのに名前を付け、その後の研究の進歩でその物質が同定される、ということがこの時代の研究ではしばしば見受けられる。この現象では、ブドウ糖が到着した小腸から、「インクレチン」という物質が出て、これが膵臓に働いてインスリン分泌を促すのだろう、という仮説が立てられた。実際に「インクレチン」の働きをする物質が見つかったのは、それから数十年後のことであり、そこに作用する糖尿病薬が開発、市販されたのは2005~2010年ころである。


「インクレチン」の話は、生理学の授業でさらっと習った程度であった。というのも、そのころはこの生理的メカニズムに関連する薬がなかったからである。おそらく今の医学生なら、この辺りのこともしっかり勉強しているであろう。


正体が分からないものに先に名前を付けておく、という点では「コレシストキニン(CCK)」と「パンクレオザイミン(PZ)」も同様である。“Cholecystkinin(Cholecyst:胆嚢、kini:動かす)”という胆嚢を収縮させる物質と、“Pancreozymin(Pancreo→Pancreas:膵臓、zym→enzyme:酵素)”という膵臓から消化酵素を分泌させる物質が、胃に食物が入ってきたときに、胃から分泌される、ということ(この時点では仮説)が推測され、それぞれの物質を同定しようという研究が行われた。その結果、結局この「コレシストキニン」と「パンクレオザイミン」は同じ物質であることが明らかとなり、今では”CCK-PZ”とよばれている。


新しく開発された薬が「思わぬ効果」を持っていた、ということもしばしば起きる。日本で開発された「メバロチン」をはじめとするいわゆる「スタチン」と呼ばれるコレステロールを低下させる薬。この薬は肝臓でのコレステロール合成にかかわる経路の中でカギになる「HMG-CoA合成酵素」の働きを抑えることでコレステロールを下げる、ということが分かっていたのだが、実際に臨床で使われると、「動脈硬化で破裂しそうなプラーク(これが破裂するとその部分で「血栓」を作り、心筋梗塞や不安定狭心症を起こす)の破裂を抑える効果がある」などといろいろな効果が分かり、現在では、動脈硬化に付随する疾患、特に虚血性心疾患の患者さんでは欠かせない薬の一つとなっている。


腎臓で原尿から糖を再吸収するSGLT-2というチャネル(物質を選択的に通す穴)を抑え、尿に糖を排泄することで血糖値を下げるSGLT-2阻害薬が5年ほど前に開発されたが、それが、心臓を保護したり、腎臓を保護したりする作用があることが明らかになって来た。心臓の保護作用については、β-blocker、MRA(ミネラルコルチコイド受容体拮抗薬)、ARNIとSGLT-2阻害剤を合わせて“The Fantastic Four”と呼ばれるほど、重要な薬となっている。


そんなわけで、今日は医局会の前に、SGLT-2阻害薬が腎機能低下を抑制する効果についての、製薬会社さんからの説明会、勉強会が行われた。


このように、新薬開発当時には予想もしなかった効果が見つかる一方で、以前、降圧剤のディオバンで行われた実験結果の捏造(ディオバンにはしっかりした降圧効果はあるが、宣伝文句としていた「他の薬剤に比べて、心血管イベントの予防効果が高い」ということについてのデータが捏造されていた)のようなことが起こっているのではないか、とちょっと心配にもなってしまう。


そんなわけで、どうしても私自身はいわゆる「新薬」に飛びつくのは苦手である。ある程度の評価が定まってからの使用としているので、いわゆる「最先端」の内服治療ではないが、それなりに時代のトレンドに追いつくように勉強はしているつもりである。

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