第292話 誰だ?そんなことを言っているのは。

COVID-19を2類から5類に引き下げる議論が盛んである、というよりも既定路線となっている印象である。私個人的には、2類であろうが、5類にしようが、提供できる医療には大きな変化がないだろうと思っているのだが、この議論の中で非常によく耳にするのがCOVID-19は「季節性インフルエンザと同等の感染症」という言葉である。


確かに致死率の推移だけをみると現在では、ほぼ季節性インフルエンザと同程度となっているが、それだけを見て「インフルエンザと同等」なんて言っていいのかなぁ、と非常に疑問に思っている。


というのは、感染力がインフルエンザとCOVID-19では明らかに違うからだ。


免疫を持っていない集団の中に感染者を一人入れたとき、その人が何人の人に感染させるか、という指標が「基礎再生産数」と呼ばれるものである。オミクロン株の基礎再生産数を報告した論文が複数あり、5.9~21.4とばらつきがある。それらを複合して解析(メタ解析、という)を行なうと、おおよそ6~10程度、水痘と同様の値とのことだった。ちなみに麻疹(はしか)は非常に感染力が高いとされており、基礎再生産数は16程度とされている。これについては、ワクチンとの関係について、後で書きたいと思う。


因みに季節性インフルエンザも「基礎再生産数」は当然ながら算定されていて、1.6~1.9程度、という値である。


つまり、COVID-19は季節性インフルエンザより10倍感染しやすい、10倍の患者さんが発生する疾患である、という事である。現時点で、どちらも全年齢層合算の死亡率は0.06%程度なので、例えるなら、とある集団で、季節性インフルエンザが1万人の人に感染して6人が亡くなる、という状況なら、COVID-19は10万人に感染して60人が亡くなる、という事で、死亡者数は季節性インフルエンザの10倍の疾患である、という事である。


概念は複雑だが、計算は小学生の掛け算である。死亡率だけを見るから同じレベルの疾患に思えるだけで、感染力も含めて考えると、インフルエンザの10倍の死亡者数を生み出す疾患である。どこが「インフルエンザと同等」なのだと言いたい。


因みに、実社会では、ワクチンを打ったり、既感染で免疫を持っている人もいるので、現実社会では「実効再生産数」という数値を算出し、これは集団によって変化するものである。日本国内の細かなデータでは、日と地域によっては3程度のこともあれば10近い値を取っている場合もある(厚生労働省より試料が提示されている)。学術論文ではCOVID-19の実効再生産数は5程度(実効再生産数が1を下回れば、感染は収束するので、当然細かく調査をしていけば、日によっては1を下回る日もある)とされている。基礎再生産数と実効再生産数との差は、感染対策やワクチンの効果などが影響を与えるわけで、実効再生産数が基礎再生産数の半分程度、という事はやはりワクチンの効果はあるのではないか、と考えている。


いずれにせよ、死亡者数は感染者数(←感染力に依存)×死亡率なので、COVID-19はインフルエンザの10倍の死亡者を出す、という事については数学的な齟齬はない。


繰り返し書くが、「COVID-19は、季節性インフルエンザの10倍の死者を出す疾患である。感染者数が10倍になっているから見かけの死亡率が季節性インフルエンザと同じになるだけで、『決して季節性インフルエンザと同等』などという言葉に踊らされてはいけない!」


残念なことに、現場を見ていないコメンテーターの医師も「インフルエンザと同等」などと言っているのが悩ましい。


ここからは先ほどの麻疹の余談、集団免疫の話である。


体質や基礎疾患などでワクチンを接種できない人が一定数いるのはしょうがないことである。政府がワクチン接種を推奨する理由は、ワクチン接種した人が守られるだけでなく、ワクチン接種をしていない人も、多数のワクチン接種者のおかげでその疾患が流行しなければ、その疾患にかかるリスクは低くなる、という事である。


麻疹ワクチンは極めて優秀なワクチンで、適切な間隔で接種すれば、ワクチンの効果がある期間については、ほぼ完全に発症を食い止められるワクチンである。地域に常に小流行があれば、感染する機会が数年に一度はあるので、それで免疫が再活性化するため、ワクチンの追加接種を必要としない。昔は、水痘やおたふく、はしかや風疹は一度かかると終生免疫がつく、と言われていたが、永続的に免疫が持続するわけではなく、地域に流行があったので、頻繁に感染→免疫再活性、感染→免疫再活性が知らない間に行われており、常に免疫が活性化されていたため、一度かかると発症しないと考えられていたのである。現在は地域の小流行がないため、いずれワクチンの効果が切れてしまう。小児期のワクチン接種で20歳前後までは免疫が維持されると考えられており、可能であれば成人となった時点で自費で再度ワクチンを接種した方が良い。


閑話休題。さて、麻疹ワクチンはそういうわけで、非常に効果の高いワクチンである。先ほどの基礎再生産数は麻疹については16程度、と算定されており、一人の人から16人に病気を移す、という事である。再生産数が1を下回ると感染は収束するので、感染者の周りの16人のうち、15人以上(あくまで数学的モデルなので、15.1人と小数点が出るのはご容赦いただきたい)が麻疹に免疫を持っていれば感染の拡大はない、という事である。


という事で考えると、免疫を持っている人が15/16=0.9375、つまり、約94%の人が麻疹の免疫を持っていれば、残りの6%の人がワクチンを接種できなくても、麻疹の流行を抑えることができる、という事である。水痘であれば基礎再生産数を10とすると9/10=90%以上の人が免疫を持っていれば、その集団では流行しない、という事になる。


国がワクチン接種を積極的に進めるのは、こういった数学的背景に基づくものである。


ただし、すべてのワクチンが、麻疹ワクチンや水痘ワクチンのようにほぼ完全に効果のあるワクチンではないので、現実的には難しいところであるが、ワクチン行政の背景にある数学的背景はご理解いただければと思う。

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