第282話 臨床を知らずに、カネだけを見るとそう思うわな。

ネットから拾ってきた「週刊女性」の記事より。


表題は「医療費、保険料も値上げラッシュ!医療経済学者が指摘する、日本の「ムダ医療」のからくり」とのこと。中身を見てみる。


<引用>

「(前略)、でも、健康保険料に関していえば、医療のあり方を見直すことで医療費の上昇を抑え、患者にとってよりよい医療に変えられる可能性があるんです」


と語るのは一橋大学国際・公共政策大学院教授の井伊雅子氏。


氏は、国家予算の41%が医療費となっていることに対して、「治療のあり方を見直し、発生する無駄をなくすしかない」と語っている。


「例えば、国が最も多くお金を払っている疾患は何だと思いますか?高血圧や糖尿病といった生活習慣病なんです」

<引用ここまで>

とのこと、これに対して、記事の著者も


<以下引用>

「私たちの保険料と税金によって賄われる医療費の財源が、生命に直結する病気の治療に使われているならば、異議を唱える読者は少ないだろう。ところが実際には、予防こそ重要な生活習慣病の治療に最も多くの金額が費やされ、しかもそこには大きな「ムダ」が隠されているという。」とのことである。

<引用終わり>


こんなことを日本プライマリ・ケア連合学会で言えば、袋叩きである。


現在、日本の死因はがん、虚血性心疾患、老衰、脳血管障害、肺炎の順となっている。肺炎については、「高齢者の終末期としての肺炎」がほとんどであり、老衰も明らかな疾患とは言いづらく、今回は横に置く。虚血性心疾患、脳血管障害とも臓器は違えど、本質的には動脈硬化が主因となっており、結局は、がん、または動脈硬化に起因する疾患で亡くなることが多いわけである。


「がん」については、「喫煙習慣」であったり、「職業」として化学物質を扱うこともリスクであり、飲酒などの生活習慣が関与している部分も大きい。飲酒、喫煙などの生活習慣に問題のある方は、高血圧や糖尿病なども併存していることが多く、地域の一次医療機関(クリニック)で、高血圧、糖尿病の治療を行ない、生活習慣に介入していくことは、がんの発生を抑制するのに重要である。


動脈硬化については、まさしく増悪因子が、糖尿病、高血圧、脂質異常症であり、積極的な治療介入は、各年齢層の脳血管障害の発症リスクを明らかに低減している。


ネット上には転がっていなかったが、プライマリ・ケア医の本の中で、日本人の本当の死因は、1位 喫煙、2位 糖尿病、3位 高血圧、・・・との表があったことを記憶している。つまり、がん、虚血性心疾患、脳血管障害から身を守るためには、「高血圧」、「糖尿病」に積極的に介入する必要があり、長期間のかかりつけ医の仕事は、これらを適切に管理、指導を行ない、がんや虚血性心疾患、脳血管障害の発症リスクを減らすことが重要な仕事の一つである。高血圧は現在では透析導入の原因疾患として急速に増加している「腎硬化症」の原因であり、糖尿病は、透析導入の原因疾患1位である糖尿病性腎症、後天性失明の原因第二位である糖尿病性網膜症の原因であるだけでなく、認知症の発症、増悪とも密接に関連しているといわれており、そういう点でも、高血圧、糖尿病の治療介入は必須の仕事であると考えている。


「高血圧」や「糖尿病」など、予防が重要な疾患に治療費が割かれている、と記載があるが、「塩分を控える」、「野菜中心の食事を行ない、間食や全体的なカロリーを控えめにする」、「適度に運動する」、「タバコは吸わない」、「深酒をしない」なんてことは、ほとんどの人が知っていることである。問題は「知っていても実践できない」こと、「どのように実践していいのか分からない」ということが問題なのである。「予防すべき疾患」であるが、「予防のための生活習慣を確立できない」ということが問題であり、患者数も増えてくるわけである。


実際に私の外来に新規に来られる方で、職場の健診で血圧異常や糖尿病の疑い、脂質異常症で来られる方は多い。生活習慣を伺うと、やはり仕事などで不規則な生活であったり、接待などで食習慣や飲酒の問題を有する人、喫煙の問題を抱えている人は多い。


また、ご自身で「生活には気を付けています」と言われる方でも、「では、具体的にどのようなことに注意されていますか?」と伺うと、「野菜を食べています」とか、「飲みすぎに気を付けています」とぼんやりした答えしか返ってこず、「では、あなたが一日に摂取すべきカロリーはどれくらいですか?」「一日の飲酒の適切な量はどのくらいですか?」と聞くと、答えられない方がほとんどである。


開業医にせよ、勤務医にせよ、適当に薬を処方しておしまい、なんていう仕事をしていると思われるのは極めて心外である。


高血圧の方であれば、年齢を見て必要ならば二次性高血圧の除外を行ない、自宅での血圧測定について細かく指導を行ない、現状の血圧ですぐに降圧が必要なら降圧剤を開始、待てるようなら、2週間の自宅血圧の結果を見て再診、投薬を開始している。


糖尿病についても、健診異常で受診された方については、糖尿病コントロールの指標であるHbA1cの値、併存する疾患などを考慮し、現時点では食事療法で経過観察できるのか、投薬を開始すべきなのかを判断すると同時に、身長とお仕事から適切な1日の摂取カロリーを概算し、どの程度のカロリーを摂取できるか、摂取カロリーの評価については、コンビニなどを利用される方については表示を見て計算すること、多くの方は成人の平均摂取カロリーの7~8割が必要カロリーとなるので、「細かいことが面倒だ、というのであれば、腹八分を徹底し、まだ物足りないなぁ、という時点で、名残惜しいけど食事を終えてください」と指導している。


また、本文では記者は


<以下引用>

「例えば頭痛で医者にかかったとしよう。日本の病院では大病が隠れていないか、CTやMRIで検査を行うこともしばしば。その結果、命に関わらない頭痛と診断されたり、場合によっては“ただの風邪”というケースも珍しくない」

<引用終わり>


とあるが、頭痛で受診する方のほとんどは「心配なので、CTを取ってほしい」という理由で受診される。CT前に病歴聴取や身体診察をして、多くの場合は「多分問題ないだろう」とアタリは付いている(時に、慌ててCTを撮らないといけないこともある)。しかし、身体所見では必要なさそうである、とCTを撮らないこととすると、「何かあったら、どうやって責任を取るんだ!」などと怒鳴られるわけである。ということで、やはりCTを撮るにはそれなりの理由があるわけである(CTを取ってすべてがわかる、なんてことを考えているなら大間違いである)。


記事には以下の記載もある。


<以下引用>

 また日本では、高血圧の治療に『アンジオテンシンII受容体拮抗薬』(ARB)という高価な薬が使われている。


「約8割の医療機関で処方されている薬ですが、海外での処方割合は2割程度。まずは安価で安全性も高い『カルシウム拮抗薬』や利尿剤を使い、次いで、血圧を下げて心臓を保護する薬の処方が一般的。ARBは、その先の治療ステップとされています」(井伊教授)

<引用ここまで>


この文章はものすごい「ごまかし」が入っている。ARBは重要な降圧剤なので、「8割の医療機関で処方されている」のは正しいと思うが、その医療機関の降圧剤の処方の8割がARB、と解釈するのは間違いである。実際に日本での処方割合については記載がない。ただ、次の文章で「海外での処方割合は2割程度」とある。続けて読むと「日本の医療機関の高血圧処方薬の8割がARBである」とミスリードしやすい文章である。騙されてはいけない。


また、薬の使い方についても間違いがある。井伊教授の発言では、第一選択薬として、「安価で安全性の高い」カルシウム拮抗薬や利尿剤を使い、次いで血圧を下げて心臓を保護する薬(何を指しているのだ?β-blockerのことか?ARBは心臓、腎臓を保護する効果が証明されているのだが?)を使うのが一般的。ARBはその先の治療のステップで使われます」と述べている。


日本の最新の高血圧治療ガイドライン(2019年)では、「降圧薬の第一選択は、制限がない場合にはCa拮抗薬、ACEI/ARB、利尿薬から選択すること」とされており、最初の選択薬としてARBを選択することはガイドライン上問題がないとされている。むしろβ-Blockerは、特別な場合を除いて第一選択薬とはならない、とされており、明らかにガイドラインに反した意見をまことしやかに述べている。


また、第一選択薬としてACEI/ARBを積極的に選択する場合は、心不全、心筋梗塞後など心臓が弱っている場合、糖尿病性腎症や腎硬化症などで、腎機能の低下がみられる場合とされており、ACEI/ARBを第一選択薬とすることは多いのである。ガイドラインから外れたことを、非医師がマスメディアで発言することは控えるべきであろう。


しかも、このような治療が、「医療機関の儲け」のために行われている、という論については、「ちょっと待ってほしい」と言いたくなる。患者さんを診察して、保険診療で給料をいただいている立場ではあるが、現在は院外薬局が主流であり、降圧剤の処方が安い利尿剤であろうと、高いARBであろうと、クリニックや病院には何の恩恵もないわけである(高い薬だろうが、安い薬だろうが、処方箋料は同じ)。守銭奴のように書かれるのは心外である。


検査についても、むしろ、医療訴訟になった場合を考えて行なっておく「防御医療」という意識が強く医療者側に働いていて、この「防御医療」が医療費の増大、過剰な検査の誘因となっていることを明確にすべきである。「医療」には不確実性がつきものであり、その不確実性を逆手にとって医療訴訟を起こされるのが、医療提供者、特に医師としてはつらいわけである。とすれば、可能性の低い疾患であっても、それが致死的なものであればそれを除外するために検査を追加するのは人の性であろう。実際に訴訟大国アメリカでは、この「防御医療」が「医療費増大」の大きな問題となっている。もちろん、日本も同様であろう。そこに触れないのは、医療提供側としては不愉快である。


この記事の後半部分、これまでのフリーアクセス制をやめ、それぞれ「かかりつけ医」を制度として決定し、担当した人数割りで医療費を払う、ということになれば、ある一定の医療費抑制効果はあるかもしれない。ただ、本文で突っ込んでおきたいのは「そのためには地域で『総合診療専門医』を見つけておくことです」と記載があるが、「総合診療専門医」が認定されるのはもう少し先の話である。現時点では、「家庭医療専門医」、あるいは「プライマリ・ケア認定医」、もしくは「総合内科専門医」が該当するであろうと思われる。制度ができてから、『総合診療専門医』の認定までにもう少し時間がかかるはずなので(研修期間の問題)、しばしお待ちいただければと思うところである。


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