第223話 古参の看護師さんの有難さ

現在の職場も、その前に勤務していた診療所も昭和30年代頃の創立で、長い歴史を持っている。そういったところに新参者が入ってきたとしても、医学的なことは何とか出来ても、その人の人生歴や人間関係、昔にあったエピソードなどを自分の力で拾い集めるのはとても難しい。時にはその人自身が語りたくないこともあるからである。


古くからのかかりつけ患者さんのことについては、古参の看護師さんにお話を聞くと本当にいろいろ、こまごまとしたところまで教えてくださり、大変助かることが多い。また、どちらの職場も、都会のベッドタウン、という側面と、今の勤務先は室町時代頃、以前の診療所もおそらくそれくらいからの集落であり、いわゆる地縁、血縁型のつながり、という2つの側面がある。都会型の医療と、田舎型の医療、両方を天秤にかけながら医療を進めていかないと、時々思ってもいない方向から厳しく指摘されることがある。


地縁、血縁の情報も古参の看護師さんや事務職員さんが詳しくて、大変に助かることが多い。


「先生、今診察したMさん、先生の往診しているOさんのいとこだよ」

「え~っ!」


とか、私の外来に通ってくれていたTさんとHさん、雰囲気がよく似ているなぁ、と思いながら診察していたら、

「先生知らなかったの?TさんとHさん、姉妹だよ」

「え~っ!そりゃ似ているわけですね」

となることがしばしばだった。


草創期からおられた職員の方は退職されたり、鬼籍に入られてしまったりするほど時間が経ってしまったが、医療機関に限らず、古参の職員が退職すると、純粋に「人」の欠員が出るだけでなく、そのような「小さな情報」を(ご本人は無意識だが)持ち続けて、組織に貢献する、という事も失う(場合によっては、これが結構大きく響く)のである。


リストラ、だとか、50代は役立たず、みたいな論調があるが、「経験知」や「人脈」バカにしてはならないと思っている。


話は少しずれるが、そういったこまごました話の中には、こんな話も多かったように覚えている。

「〇△さん、今はひどく心を病んでいるけど、昔はとってもいい人だったよ。○○教(統一教会でも創価学会でもない)に入れ込んでから、ずいぶん変わってしまったよ」と、ひそひそ話ながら聞くことがしばしばだった。その宗教の名前に統一教会や創価学会の名前が入ることは聞いたことがない。


統一教会は、大学当局から「原理研に注意」と新入生に喚起されるほど危険な集団であったが、週刊誌で名前に載らない宗教も、結構同じようなことをしているようである。


あくまで個人的な感想である。

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