第189話 仕事をする夢

最近は見ることが少なくなっていたが、以前はよく見ており、久々に今朝も「仕事をする夢」を見た。結構生々しく覚えていて、今日は休日だったからよかったものの、平日にその夢を見れば、「夢の中で仕事」を全力でこなし、ヘトヘトになった状態で目を覚ます。そして現実の世界で、またヘトヘトになるまで仕事をするので、「一粒で2度おいしい」ではなく、「一日で2度疲れる」という羽目になる。大体「仕事の夢」は「ハッピーな夢」ではない。


今日見た夢は、私の勤務する病院(もちろん実際に勤務している病院ではなく、現実には存在しないと思われる病院)に、胃がんでB-Ⅱ吻合術後、その他複数の併存症をもった寝たきりの90代女性が、総胆管結石、急性胆管炎による敗血症性ショックでERに搬送されている夢だった。私も含め、複数の医師が「抗生剤治療は行うが、自然にお看取りだな」という意見の中、若い医師(これも架空の医師)が「助けられる可能性があるのに、積極的に治療をしないなんておかしい。先生方の態度は殺人に等しい」といって大騒ぎする、というものだった。部長先生(これも架空の医師)が「先生、何を言ってるんだ!」と押しとどめても、その若い医師は「大体、こんな重症の人をこの病院で引き受けるのがおかしいんだ!」と論争が止まらない。「あぁ、もう。この人、うちで訪問診療を受けているんだから、うちで受けなきゃしょうがないだろう。体の状態を考えても、積極的治療の適応外だろう」とイライラしながら、それぞれの先生の間に入って、「まあまあ」とお互いの妥協点を探すのに私が苦労する、という夢だった。


目が覚めて、「ふぅっ」とまず大きな溜息。このような夢は妙に生々しく覚えていてつらいのだが、多分、若い医者も、部長先生も私の分身なのだろう。研修医時代は、設備の整った急性期病院にいたので、内科救急は重症症例も基本的には断らずに受けていた。外科救急は、多発外傷、高エネルギー外傷、重症熱傷は救命救急センターにお願いしていたが、その他のものは受けていた。以前にも書いていたように、ERはほとんどの時間、初期研修医と後期研修医で回していて、ある程度しっかりした初期評価と必要があれば初期治療を行なって各専門診療科にお願いしていた。これは私の傲慢なのかもしれないが、病院の設備とスタッフの能力で、どの程度までの患者さんを受け入れることができるか、多少の目利きは付いたように思っている。


その視点で見ると、前職の診療所も、現在お世話になっている病院も、救急車を「積極的に断らず」受け入れるには到底能力が不足している。ただ、どちらも、その地域に医療機関がほとんどなかった時代に立ち上がった医療機関なので、設立当初から、ある程度の時間は、どんな患者さんでも受け入れざるを得なかったのだろう、ということは分かっているのだが、その時の感覚を持ち続けている上層部が、救急要請を「うちでは無理」と断る私に対して、苦言を呈することがしばしば(特に前の職場では)である。「うちのかかりつけの患者さんだから受け入れないと」という気持ちと「救急隊からの情報では、MRIなどの評価も必要だと推測されるから、急性期病院にそのまま搬送した方が良い」という気持ちで板挟みになることはしばしばである。そんな無意識のプレッシャーが夢になったのかなぁ、と思ったりする。なんにせよ、寝ているときに「仕事の夢」を見るのは精神力が削られて、あまり目覚めがよろしくないのは確かである。

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