第148話 あら、珍しい

去る10/22、待っていた「19番目のカルテ」第6巻が発売された。「何でも内科」(上品に言えば総合内科医、あるいは内科的指向性のある総合診療医か?)である私にとって、自分の仕事に誇りを持たせてくれるマンガである。第6巻は訪問診療、自宅での看取り、喘息に対する環境的介入についての話が載っていたが、話の筋とは異なるところで、「おや?」と思ってしまったことがいくつかあった。


訪問診療については、定期訪問診療を医師一人で自動車で行くことはない。基本的には患者さんのお宅には看護師さんとペアで、そして私が訪問診療を行なってきた施設では、いずれも車の運転手さんをつけて、3人セットで訪問診療を行なっていた。これはいくつかの理由がある。


一つは、患者さん宅に一人で訪問すると、時に患者さん宅での「窃盗」の疑いがかけられることがある。窃盗だけではなく、様々な犯罪の疑いをかけられる可能性がある。仮に、ご家族が同席されていたとしても、ご家族に悪意があれば、こちらが一人では勝ち目がない。特に女性の患者さんのお宅にはよほどの緊急性がなければ、必ず女性の看護師さんについてきてもらっていた。


二つ目に、医師側が命の危険にさらされることがある。ありがたいことに私は経験がないが、精神科的疾患を併存している方の訪問診療で、刃物で襲われたりすることもないわけではない。私が男性であり、看護師さんはほとんどが女性なので、私が患者さんと対峙することになるわけであるが、その間に看護師さんに安全なところまで逃げてもらい、警察を呼んだり、他の人を呼んだりすることができるのは大きな安心である。


3つ目に、「急変時対応」である。患者さん宅についたとき、予想もしていなかった重篤な状態に患者さんが陥っていた時、一人は心臓マッサージに、一人は救急車を呼ぶことができる。救急車を呼べば、二人で蘇生術をすればよい。一人だけだと、現実的には心臓マッサージしかできないが、二人いれば、一人は心臓マッサージを継続し続け、もう一人が薬剤を使うことができる(注射器で薬を吸って、注射ができる、という事)。


運転手さんがついてくださるのは、「駐車違反」の問題である。それなりに歴史ある地域で医療を行なっていると、古い集落ほど道が細くて入り組んでいる。私の勤務した地域は3か所とも、古くからの歴史を持つ地域をカバーしていたので、軽自動車1台が何とか入れる道の奥の方にお宅があることも少なくない。そんなところで車を止めて訪問診療を行うと、いつ別の車が道に侵入してきて、「通れないぞ!」とクラクションを鳴らされるか分かったものではない。となると、落ち着いて診察に注力できない。また往診車には大概、病院名が記載されているので、自院の評判も落ちてしまう。


そして、運悪く、交通事故にあってしまった場合である。医師、あるいは看護師が運転していれば、事故現場から離れられない。そうすると、残りの訪問診療を継続することができなくなってしまう。訪問診療を複数件回ると、少なくともその3人分の人件費は賄えるようになっているはずである。


という事で、医師一人が車を走らせて定期往診に行く、という事は考えにくい。もちろん、緊急の場合は別であるが。以前の職場にいたときは、緊急往診の場合は診療所からの距離と、車の止めやすさを考え、「自転車の方がいい」と思えば自転車を飛ばして往診に駆け付けたことが何度もある。


「在宅看取り」の話はいい話だった。「このタイミングで、会いたい人に会ってもらいましょう」という提案はなかなか難しい。本編のようにパーティーをするのは経験がないが、タイミングを見計らって、「会いたい人がいれば、今のうちに会ってもらいましょう」と提案することはしばしばある。あるいは会ってもらってから、訪問診療に入る方もおられる。


入院の方であれ、在宅の方であれ、病状的には「しょうがない」と思っていても、「あれをすればよかったのでは?こうすればよかったのでは?」と思い悩むことは決して少なくない。むしろほとんどの場合がそうである。なので、この話は改めて心にしみた話であった。


喘息の話は、医学的な茶々を入れたい。喘息患者さんで、気管支拡張剤(β刺激薬)の頻回使用でしのいでいる方を取り上げ、住環境の改善を提案する、という話だったが、住宅環境の問題以上に大きな問題は「喘息を気管支拡張剤『だけ』でコントロールしている」という事だと思う。現在、喘息治療の第一選択薬は吸入ステロイドである。気管支拡張剤のみで管理が可能なのは、年に1,2回、季節の変わり目にごく軽い発作が出る方のみであり、そのような方であっても、吸入ステロイド薬は推奨される。


私の師匠は呼吸器内科医で、吸入ステロイド薬の開発以前の事情をご存じで、時に状況を教えてくださったことを覚えている。「昔のER当直では、毎回必ず一人や二人、喘息重積発作の方が来られました。今では決して行いませんが、患者さんの希望でネオフィリンの静注を行ない、患者さんが『おぉ~っ、効いてきたわ。楽になってきた」と言って帰っていくことは普通でした。吸入ステロイドが開発されてから、ERに毎回喘息の人が来る、ということはなくなったでしょう。それだけ、吸入ステロイドが有効なのです」と。


私が医師になる前に、前職場である診療所の事務当直をしていたが、確かにそのころも、毎回のように喘息発作の方が来ていたが、医師となって当直を行なう頃には、喘息発作で来院される方はまれになっていた。


現実問題として、吸入ステロイド薬開発前は、年間に1万人近くが喘息で命を落としていたが、現在は年間に2000人程度に減少している。


そんなわけで、この患者さんには、環境改善のことだけでなく、喘息の治療を気管支拡張薬の吸入のみで済ませていることを問題視し、しっかり吸入ステロイド薬を導入することが重要であることを取り上げるべきでは、と思った次第である。


現在も、特に若い、アドヒアランスの悪い人は、気管支拡張剤の吸入のみを希望し、吸入ステロイド+長期作用型気管支拡張薬を嫌う傾向がある。外来で「喘息の薬が欲しい」と来られた方には、まず過去の処方歴を確認し、吸入ステロイドが全く処方されていなければ、吸入ステロイド/吸入ステロイド+長期作用型気管支拡張薬の吸入をきっちりすることを指導し、それと気管支拡張薬吸入剤の適切な使い方を指導している。気管支拡張剤の吸入薬は良く効き、すぐに楽になるので、そういう点で依存度が高い。吸入ステロイドは吸った途端に楽になる、というわけではないので、あまり人気がない。人気がないが、重要な薬なので、私の外来に来られるたびに、繰り返し同じ話を聞くことになるわけであるが、それはいかんともしがたいところである。これについては、折れることはできない、と思っている。


研修医時代も、診療所時代も何度か、「これ死んでしまうかも!」と思いながら大急ぎで喘息重積発作に対応したことがある。どうか喘息で命を落とす人が減りますように、と思っている。

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