第147話 「医療事故」と「医療過誤(医療ミス)」は違うもの

昨日、長崎大学病院で、ロボット手術で子宮全摘術を受け、退院された方が、退院3日後に腹部に大出血を起こし、死亡した、とのニュースがあった。他院で死亡が確認され、長崎大学病院で病理解剖を行い、外腸骨動脈(骨盤腔内を通り、下肢を栄養する大血管)に2mm台の損傷があったとのことだった。


術後30日以内に、手術と関連があると思われる死亡を手術関連死と扱い、医療法では、「医療にかかわる予測しなかった出来事」を「医療事故」として取り扱うので、このことは「医療事故」となる。長崎大学は(遺族に対して、このこと以外にも手続き上の無礼があったようだが)速やかに会見を行い、「医療事故」に対しての謝罪を行なっている。これは適切な対応だと思う。


新聞では、読者の反応を確認することは難しいが、ネットニュースだと読者の反応がコメントとして表示される。コメントを見ていると、結構「医療事故」と「医療過誤(医療ミス)」を混同している人が多い。なので、明確にしておきたい。「医療事故」と「医療ミス(医療過誤)」は全く別のことである。そして、明確な「医療ミス」が無くても、「医療事故」は起きるのである。


現在、カテーテル技術の急速な進歩で、以前は心臓を止めて手術をする必要があった心臓弁膜症の手術も、カテーテルを用いて心臓を止めずに行うことができるようになった。以前、高名な心臓血管外科医のエッセイだか、インタビュー記事だか忘れたが、その先生は「心臓を止めて行う手術は、いくら経験を積んでも怖い。手術がすべてうまくいったと思っても、術後の心臓が動き出さなければ患者さんは死んでしまうからだ」とおっしゃられていた。手術のために止めた心臓は、電気ショックで再度動かすのだが、先生自身の体験談として、手術中、すべてのことが問題なく進み、最後に電気ショックで心臓の拍動を戻して手術完了、というところで、いくら電気ショックをかけても心臓が動き出さず、結局患者さんが亡くなられた、という話が記載されていたことを覚えている。


私は外科医ではないので、とやかく言える筋合いではないのだが、消化器外科での「縫合不全」も術者の技量に影響は受けるものの、やはりある割合で起こる合併症である。今は機械で吻合することも多いようだが、だからと言って縫合不全が無くなるわけではない。それも当たり前の話で、いくら丁寧に縫合しようが、機械吻合しようが、ミクロのレベルで見れば隙間だらけである。そこに体内の凝固因子が集まってミクロの穴を埋めたり、細胞が増殖してミクロの穴を埋めて、縫い合わせたところが「本当の意味で」くっつくわけであり、人為的なものでは調整できない何かが作用して、ミクロのレベルが修復されなければ、そこから物が漏れるわけである。そこは人事を尽くした後の話であり、そういう点で、「医療ミス」が全くなくても、「医療事故」は起きるわけである。


外腸骨動脈の2mm台の損傷、についても不思議なことが多い。外腸骨動脈は腸骨に沿って走行し、鼠径部の鼠径靭帯を越えると「大腿動脈」と名前を変える。名前が変わるだけで、血管の性質や太さが変わるわけではないが、心臓のカテーテル操作を行う場合、ある程度の太さのシース(カテーテルを挿入するための入り口を作る器具)を使う場合には大腿動脈に穿刺している。2mm以上の直径を持つシースやデバイスは珍しいものではなく、いわゆるECMO/PCPSなどは直径1cm近いものを使っていたように記憶している。さすがにそれだけ太ければ、デバイスを外すときには心臓血管外科医の力を借りる必要があるが、直径2㎜程度のものであれば、時に止血用のデバイスを使うこともあるが、圧迫止血で何とかする(何とかなる)ことも多い。


つまり、外界から容易に触知、あるいは圧迫できる動脈であれば、2㎜程度の穿孔が、(1)命取りにはならないこと、(2)比較的容易に止血ができること、(3)いったん止血され、ある程度の安静を保てば、損傷部位は十分にふさがれることがわかる。


今回のことは手術から2週間ほど経ってからの大出血であった。しかし、血管も含め、人体には自己再生能力があり、多少の傷は自分で治してしまうはずである。上に述べたように、大腿動脈に2mm、あるいはそれ以上の損傷があったとしても、損傷を修復するのに数週間もかかるわけではない。仮に術中に外腸骨動脈を傷つけてしまえば、その時点で大出血をするか、動脈瘤を作る(外傷性の動脈瘤はあっという間(数秒程度)で大きくなる)ので、まず見逃すことはないと思われる。術後2週間たってから、2mm台の穿孔を起こすような術中損傷って何だろう?この辺りは内科医の範疇をはるかに超えるのでコメントは避けておく。


極めて残念な医療事故であり、事故の原因調査は必須である、と思われるが、十分な原因調査を行なっても、原因が「不明」というのは十分あり得ることである。しっかりと検証したうえで原因がわからないのであれば、それ以上術者を追求する必要はないと思っている。起こったことが奇々怪々なことである。ちっぽけな「人智」ですべてを理解できる、というのは傲慢であろう。十分な根拠もない時点で、「術者の責任だ」と騒ぎ立てるのもよろしくなかろう。ロボット手術なので、画像は録画されているであろうから、術者は懸命に画像を繰り返し確認しているはずである。


繰り返しになるが、「医療ミス」が全くなくても、「医療事故」は起きうるのである。

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