第83話 ちょっと不思議だなぁ、と思ったこと。

いわゆる、「政治と宗教」に絡む単純な疑問である。創価学会は、日蓮の仏法を正しく実践している、という宗教団体である。現在公明党は、政権与党という立場であり、ある程度の政治的妥協は必要ではあるものの、その根底には日蓮の「立正安国論」の精神、正しい法が広まることによって国は安定し、他国からの侵略も起きない、というところが出発点であったはずである。

政教分離の原則は「政治が特定の宗教に特権を与えてはいけない」ということであって、「宗教者を政治に関与させない」という意味ではない。より良い政治、という形で倫理観の高い政治理念を持とうとすれば、ある程度の宗教的倫理感が必要である。引退されたドイツのメルケル首相は「キリスト教民主同盟」の党首でもあり、もちろんその「キリスト教民主同盟」が政治与党でもあった。ただこれが「政教分離」の原則に反する、とは(少なくともドイツでは)なっていないわけである。ある種の宗教的倫理感を基に政治を行なうのは、「政教分離」に反している、というわけではない、という認識は必要である。


なので、犯罪性の高い宗教を制限する、あるいはその宗教と政治の関係を問う、ということは「政教分離」の問題とも「信教の自由」とも別で、その宗教自体が「刑法」で罰せられるものであり、規制の対象となるものであろう。


話がすこし脱線した。振り返って、自分たちの理念を政治に反映する、という点では、公党を結成し、選挙で民意を問う、というのが真っ当なやり方だと思うのだが、その点では、「公明党」は時に母体の創価学会の理念とは異なる政策に同意し、軋轢が出ることはあるが、方法論としては真っ当であろうと思う。私の記憶の限りにおいて、自分たちの理念を政治に反映する、として政党を結成、あるいは理念を表に出して選挙活動をしたのは、「公明党」と「幸福実現党」、そしてオウム真理教くらいであろうか? 


その他の宗教も決して政治活動をしていないわけではなく、それぞれ、特定の党、あるいは特定の候補者の後援者となり、党や候補者の応援をする、という、いわば目に見えない形で政治に関与してきた。今回の旧統一教会の問題はその事実を明らかにしている。つまり、旧統一教会だけではなく、多くの宗教団体が、その方法で政治とかかわってきた。

ただこの事実は、多くの人が知らなかっただけで、これまで連綿脈々と続いてきたわけである。


ただそれも、「違法」かと言えばそうではなく、信者がそれぞれ各「個人」として、支援する政治家に投票することは合法であり、また政策秘書など、政策策定にかかわる人物が何らかの信仰を持っていることも合法である。ただ、それが国民の目には見えない、国民の手の届かないところで行なわれていた、ということでは、「民主主義」の本来の在り方からは外れているだろうと思う。

特に宗教が、そのように「選挙」という手法を取らずに政党への支配力を強めていく、というところでは問題だろうと思う。


さて、ちょっと不思議なこと、と表題をつけたが、それはこの前の参議院選挙の結果である。「公明党」はやはりそれなりの票を得て、国会に議員を輩出している。それは「創価学会」「創価学会員」が実際に活動していることを反映した選挙結果となっているのだろう。

その一方で、「幸福実現党」は全国でも1万8千票程度の得票であった。「幸福の科学」の公称信者数は少なくともその10倍以上はいると思うのだが、「幸福実現党」の得票数はどうしてそんなに少ないのだろうか?信者もあまり投票に行かないのだろうか?と不思議に思った次第である。

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