第57話 広島の原爆投下、それからいろいろと想像を巡らせて

昨日は、広島に原子爆弾が落とされた日だった。それから80年近く経ち、広島の悲劇を経験した人たちも少なくなってきている。時の流れは残酷で、どんな悲惨な出来事も、時の流れとともに「体感、経験」→「歴史、知識」へと変わっていく。誤解のないように言っておきたいが、沖縄戦や広島、長崎の原爆などの悲劇を伝える「語り部」が、「悲劇の体験者、経験者」→「その人の言葉を聞き、生き様を見てきた人」に代わっていくことを否定しているわけではない。語り部が変わることで、語る内容が変わってくるのもしょうがないことである。形を変えながらでも、その根底にあるものは変わらず、無味乾燥となった「歴史」ではなく、語り部の人たちそれぞれが持っている「熱」を持ち続けた「物語」として、受け継がれていくのがあるべき姿だと思っている。


閑話休題。私の育った街では、「平和登校日」として、8/6~8/9の間の1日、夏休み期間ではあるが、学校に行くこととなっていた。その日は、第二次世界大戦を考え、「平和」というものを考える日だった。ただ、僕ら子供としては、「平和登校日」を設けているのが近隣では自分たちの街だけ、ということも知らず、ちょうど夏休みを前期と後期に分ける目安として、そして学校で話を聞いて「平和って大事やなぁ」と思う、そんな位置づけだった。


どうしても労働組合は左翼系の色彩を帯びてしまい、私たちの先生が所属していた「日教組」も、そのような形での教育となっていたように思う。それは保守系の陣営からは「自虐史観」と呼ばれることもあるが、今の年齢になってそれを振り返っても、あながち悪かったわけではないと思う。今になってよく分かることは、残虐なことをしていたのは「大日本帝国軍」だけではなく、どの国の軍隊も、結局のところ同じことをしていた、ということである。

南京大虐殺があった、なかったという議論があるが、あったにせよ、なかったにせよ、決して「大日本帝国軍」が中国の人たちに対して、平和的、友愛的に接していたわけではない、ということは明らかだろう。本質は「大日本帝国は中国に対して武力をもって接していた」ということで、数の問題が本質、ではないだろうというのが私の思うところである。

藤原 てい氏の「星は何でも知っている」という、旧満州国からの引き上げの体験談を課題図書として中学生の時に読んだが、その時のソビエト兵の振舞、ベトナム戦争での「ライダハン」の問題、今の「ウクライナ侵攻」でのロシア軍の振舞、結局何も変わっていない。たぶんそれが「人間」なのだろうと思う。


「核兵器の開発」というマンハッタン計画の契機は、ナチスドイツが原子爆弾の開発を進めている、という情報に危機感を持った、アメリカに亡命したユダヤ系の科学者が時の大統領に、原子爆弾開発の信書を送ったこと、とされている。つまりマンハッタン計画は、ナチスドイツへの脅威から出発している。


当初はナチスドイツの迫害から逃れ、アメリカに亡命した科学者の恐怖心から始まった計画だったが、残念なことに、国、国軍が関与しているので、ナチスドイツが崩壊した後も計画は進められ、現実での使用を望んでいなかった開発者の思いとは裏腹に、広島、長崎に原子爆弾が落とされた。核の魔力に魅入られたアメリカは、結果として実戦に核兵器を使ってしまうのであった。


ロシアのウクライナ侵攻も、ロシアは核の使用をちらつかせながら侵略を進めてきた。理不尽な暴力に対しては、やはり圧倒的な暴力で対抗せざるを得ないのだろう。残念ではあるが、改めて「核の抑止力」というものの有効性を感じる出来事であった。


過日、NPT加盟国の会議で岸田首相が、核保有の各国がすべて「先制不使用」を宣言すること、と提案していたが、現実的にはまずそこから始めるのがよいだろうと思う。きわめて現実的な提案だと私は思った。


小学生のころ、朝のホームルームで毎日クラスで合唱していた。曲は月替わりで、学年で同じ歌を歌っていたのだと思うが、「太陽がくれた季節」、「翼をください」などの曲もあれば、夏の時期には、原爆を歌った曲も合唱していた。題名は忘れたが、「青い空は 青いままで 子供らに伝えたい。燃える8月の朝 影まで燃え尽きた~」という歌詞を覚えている。


今年の夏は例年にも増して異常な気象で、全国いたるところで水害が発生しており、被害にあわれた方に心を痛めている。それはそれとして、昨日の大阪は青空だった。青空を見上げながら、子供の頃に歌ったこの歌を思い出していた。


近年の啓発本でよく「自分が変われば周りが変わる」と言われているが、仏教でもよく似た考えだと思うのだが、「依正不二」という思想がある。「依報」は周囲を取り巻く環境のこと、「正報」とは人間のこと。人間の在り方で周囲の在り方が変わる(人間関係だけではなく、自然環境なども含め)、という思想である。


気候変動はもちろん科学的には地球の温暖化などの影響が反映していると思うが、それと同時に、中国やロシアの領土的野心、一部のイスラム教信徒の「イスラム教原理主義」の暴走、資本主義国家での搾取など、人心の乱れは仏教の視点で見れば、異常気象につながっているのかもしれない。古代中国や日本でも、「天変地異は天子(時の為政者)の乱れ」とされていたが、案外そういうものもあるのかもしれない、と日曜の朝につらつらと考えている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る