第40話 予感?

和歌の世界で有名な西行法師は、自身の生涯の終わりについて「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」と詠み、その通りに自身の生涯を終えたことで知られる。彼以外にも、様々な人が自身の生涯の終わりの時期を口にし、その通りにこの世を去っている。何か予感があるのだろうか?


つい最近まで当院に入院された患者さん。当初は2週間のレスパイト入院(介護しているご家族を休ませるため、あるいはご家族の用事で患者さんの介護ができないときにご家族を助けるために受け入れる入院)、ということで受け入れたのだが、実際にご本人の診察をすると、到底2週間のレスパイト、なんて無理だとすぐに分かるほど患者さんの状態が悪く、結局長期に入院となった。

私は患者さんご本人から聞いたことはないのだが、看護師さんや、ソーシャルワーカーさん、ご家族やご親族には入院当初から「私、祇園祭に家に帰るから」と繰り返し仰っていたらしい。ご親族にはそのように電話をされていたらしい。

状態の悪い患者さんを何とか薬の微調整でしのぎ、それでも自宅に帰るには厳しい状態だったため、施設に入所、という手筈を取った。7/15、患者さんは笑顔で退院されたが、施設についてからはあまり食欲がなくなり、その日はほとんど食事をとれなかったそうだ。

そして7/16、患者さんの状態が急変し、原因不明のショック状態となった。入院中はご家族に「ご本人は元気そうに見えるが身体の状態は極めて厳しく、いつ命の炎が消えてもおかしくない」とお話しし、入院中は急変時は蘇生処置を行わずに自然』に看取る、ということで診療していたが、ご家族も急なことで動転し、「できる限りの延命治療を」と希望されたため、当院での対応は無理と判断。救急隊の判断で適切な病院に搬送を、という対応とした。


本日、この患者さんを担当されていたソーシャルワーカーさんからその後の話を聞いた。患者さんは救命救急センターを併設している大学病院に搬送され、人工呼吸器など精一杯の蘇生処置をされたそうだが、ご家族が集まったところで心臓が止まり、永眠されたとのこと。病院側の手続きの問題で自宅への帰宅が翌日となり、7/17に自宅に帰られたのだが、ご存知の通り、7/17は祇園祭の本祭である山鉾巡行の日。患者さんはご自身がおっしゃられたとおり、「祇園祭に自宅に帰る」ことになったのである。


科学的に説明のつかないことではあるが、こういうこともあるのだなぁ、としみじみ思った次第である。

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