第27話 運命のいたずら、あるいは必然か。

私の職場でのスケジュールで、一番自由度の高いのは金曜日だ。午前中に外来や訪問診療の予定がなく、新入院の患者さんなどがいなければ、比較的フリーである。書類を作成したり、医局でのカンファレンス用の症例をまとめたりなど、少し知的で時間のかかる仕事をそこに充てることができる(ただし、名目上は「病棟待機」という立場なので、病棟で起きたもろもろは主治医の前、あるいは主治医と同時に呼ばれることになっている)。


7/8は午前に私の訪問診療を受けている患者さんが、家族の事情で短期間入院となり、その方が入院で来院される以外は予定がなく、何度か病棟には呼ばれたがそれなりに落ち着いていた。文章を書いたり、少しネットを見ていたりしたが、ちょうど昼食を取ろうかと思い、Yahoo Japan(20年近く、私のブラウザのホームページにしている)を開いて言葉を失った。


「安部元首相 心肺停止状態」の見出しが目に入った。なんだ?訳が分からないと思いながら見出しをクリック。どうも、応援遊説先で銃撃されたようだ。しかも場所は奈良県の大和西大寺。結構なじみのある地名である。世の中便利になったもので、現場に居合わせた人のスマホでとった動画がすぐにアップされていた。1発目の銃声とかなりの煙、2発目の銃声の後は歩道しか映っていなかった。


その後、断続的に情報が入ってくる。犯人はすぐに確保されたこと、安部氏は現場で心肺停止状態(以下CPAと略す)となっていること。ドクターヘリで橿原市内の病院に搬送されたこと(多分奈良県立医科大学だろうと思った)、などなど。


昼食を食べ、午後の仕事を済ませ、空き時間にはネットで状況を確認していた。仕事を終えると、NHKのラジオを聞いて、状況を聞いていた。奥様が京都駅から近鉄大和八木駅に移動され、そこから車で病院に移動されたこと、犯人の犯行動機、安部氏が奈良に向かうことになったのは前日の夜だったことなどなど。


安部氏を殺そうと準備していた男が奈良市内にいて、そんなことは知る由もなく、急遽奈良市内に応援演説に入った安部氏。SPや警護の警察官たちもエアポケットに入ったように油断していたことで起きた悲劇。偶然と言えば、あまりにも偶然、でもまるで運命の糸がそのように結ばっていたように起きた出来事だと感じた。


つらいのは応援に来てもらった候補者である。「私のために先生が…」と現場で泣き叫んでいたとのこと。その思いは想像の域を超える。本当につらいことだろうが、選挙戦、何とか乗り切っていただきたいと思う。


夫人が到着してからしばらくして、「安部 晋三氏 死去」の速報。そのあとの大学病院での記者会見の模様もラジオで放送されていたが、記者のあまりの準備不足と知識のなさに正直「がっくり」した。とはいえ、さすがマスメディア(特にNHK)、あの取っ散らかった記者会見から、必要な情報を適切に整理して、ニュースでは正しく情報を伝えていた。


7/9も出勤して朝の回診後、PCを開ける。またも「見出し」にがっくりとする。「AED作動せず」と。某M新聞の記事のようだ。見出しも新聞のものを持ってきているのだろうか?だとしたら、本当にがっくりである。


うだうだ書いてしまったので、少し私の考えを述べさせてもらおうと思う。現実問題として、「外傷によって速やかに引き起こされたCPAはほとんど蘇生できない」という経験則がある。目撃者がいて、速やかに心肺蘇生術を施されながら搬送された内因性(病気)でのCPAは、(後遺症の有無は別として)心拍再開率はそれほど低くない。その一方で、外傷性のCPAは、複数の臓器、システム集合体としての人体がシステムとして機能しなくなるほど破壊されているので、ほぼ心拍再開は望めない、というのは救急専門医や救急医療にある程度かかわった経験のある医師の共通認識だと思う。


いつから「心肺停止状態」という言葉が報道で使われるようになったのだろうか?報道で「心肺停止状態」という言葉を聞いた私の最初の記憶は、御嶽山噴火の時だったように思う。「山頂付近には多くの登山者が残され、多くの方が心肺停止状態となっていると予想される」という報道の言葉に驚いたことを記憶している。それまでは例えば川で溺水し、2時間後に川底で発見、という場合は「川底で死亡しているのを発見」と報道されていたのが、最近では「川底で心肺停止状態で発見」と報道されるようになっている。何がきっかけで、どうしてそうなったのかは不明だが、そのころから「心肺停止状態」という言葉が報道で増えてきたように思う。


「死亡」と「心肺停止」、まるで言葉遊びのように聞こえるかもしれないが、実は大きな違いを持っている。「心肺停止」の方は「まだ死亡していない」ので、救命のために医療資源をフルに使える。例えば、救急車やドクターヘリ、救命のための緊急手術もそうである。奈良医大の会見では100単位(20L)以上の輸血を行ない、開胸して、心臓や大血管の修復術を行なった、とのことであったが、これは患者さんが「死亡していない」ので、「命を助けるために」医療行為が行えるのである(しかも、本当に「本気」で一切の手を抜くことなく救命行為を行なったことがわかる)。一方、これを「死亡」としてしまうと、患者さんは「亡くなっている」ために、救急車もドクターヘリも使えない。お身体に傷をつける行為は「死体損壊罪」という犯罪行為となる。胸骨をのこぎりで切って開胸、なんてとんでもない!という事になるわけである。

というわけで、お身体はその場から動かすことができず、警察がご遺体を引き取る、という事になるわけである。


奈良医大の会見で、どこかの記者が「『現場で即死』と考えてよろしいですか?」と聞いていたが、頭を抱えるほどの無知である。先ほどから医師が何度も「心肺停止状態で当院に到着した」と言っているのに、何を聞いているのだ、と腹立たしくなった。会見していた医師(救急部の教授)が「即死状態でした」と言ってしまったら、手術に立ち会った責任感ある20人近くの医師全員が、「死体損壊罪」に問われ、救急隊やドクターヘリを飛ばした人たちはみんな始末書を書く羽目になるのである。わざわざ「心肺停止状態で搬送された」と言っている意味を理解すべきである、というか、言葉にこだわるのが報道機関ではないのか??


各報道機関も、それぞれの部署で得意分野があるのだから、「医療、生命倫理」などに詳しい人材を取材に出す、あるいは、そういう人が「実際に取材に行く人」に「これは確認してほしい」という内容を調整すればよいのに、と思った。医療を専門にする人が行う取材ではないので、多少のピンボケ質問は許容の範囲だと思うが、思い付きや病院とは関係のない質問で、疲れてクタクタの医師を困らせないでほしいなぁ、と思った次第である。


今朝の見出しで「AED作動せず」と書いていた記事も、見出しや内容に大きな間違いのある記事であった。AEDの保管所から取り出し、ふたを開けて「パッドを所定の部位に貼ってください」とAEDのアナウンスが始まったら、その時点でAEDは「作動している」のである。「ふたを開けたけど、ウンともスンとも言わなかったよ」という状態が「AEDが正しく作動しなかった状態」である。大手新聞社にもかかわらず、いかがなものか、と思う。


医学的に「心停止」と呼ばれる状態は、心臓が電気活動も停止している「Asystole(心静止)」、電気的には動いているが、心臓の拍動のない「PEA(無脈性電気活動)」、そして、致死性不整脈のために心筋が規則正しい収縮ができず、心臓としての機能を失っている「Vf(心室細動)/pulseless VT(無脈性心室頻拍)」に分けられ、AEDは最後のVf/pulseless VTに対して、心臓に電気ショックを与え、一時的に心筋の電気活動を強制的に停止させ、その後、心臓の自動能(自分でリズムを作り出す能力)で正しい心拍に戻るのを期待する、という機械である。

おそらく安部氏は、心筋の損傷などを考えると、Asystole、またはPEAとなっており、Vf/pulseless VTではなかったと思うので、AEDをつけても除細動のための電気ショックは行わないと思われる。AEDの機械が「ショックは不要です。心臓マッサージを継続してください」と言ったのであれば、AEDは正常に動いていたのである。「正しく作動していた」のである。AEDが置かれている場所はずいぶん増えたと思うし、AEDを使う、という事も人々の中に浸透してきたと思う。だからこそ、このような間違いを大きな新聞社はしてほしくない。大新聞社の影響力を考えるなら、「もっと勉強しろ!」とあえて苦言を呈したい。


最後になるが、安部 晋三氏のご冥福を心よりお祈り申し上げる。また、選挙、遊説という民主主義の前提になる活動で、政治家が暴力で命を奪われることがないよう願っている。

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