第28話 おバカちゃん!

多くの人が休日となっている土曜日だが、私の土曜日は「勤務日」である。1週間のスケジュールの中で、1,2を競うほどハードなのが土曜日である。当然、他の先生は「土曜日」を休みにしていることが多く、「土曜日の欠員補充」の意味も含めて現職場に雇ってもらったので、土曜日に働くことは仕方がなく、しかも、先生方もお休みを取られていることが多く、どうしても仕事は増えてしまう。しかも、仮に外来や病棟で患者さんが重症になった時、転院をお願いする高次の病院も休日体制なので、転院の依頼も大変なのである。そんなわけで、土曜日は朝からドキドキしている。


土曜日の外来は、偶数週は私が一人で午前の外来を担当している。困ったとき、ほかの先生の手を借りたいときに自分一人しかいない、というのは結構ストレスである。


7/9もいつも通り、7時前に出勤し、病棟の回診、カルテ記載を終え、午前の診察に入った。以前は勤務歴の長い先生が、土曜日の外来もしてくださっていたのだが、4月から土曜日は奇数週のみの診察となっている。もうずいぶんこの体制になって時間がたったように思うのだが、今でも結構な数の患者さんが、偶数週にやってきて、「えぇっ?!◇◇先生、今日居りはらへんの!しゃ~ないな~。薬もないし、今日の先生に診てもらうわ」と言って診察室にやってこられる。◇◇先生のカルテを見ても、一言二言書いているだけなので、普段どのような状態なのかよくわからない。定期処方されている薬を見て、おおよその病態を推測して、笑顔で診察する。「体調はどうですか?」といつものスタイルで診察を開始する。「調子は変われへんねんけどな、薬がのうなって(無くなって)もらいに来たんやけど、◇◇先生居らへんからなぁ」などと言われる。少しずつでも情報を聞こうといろいろお話を聞き、最終的には「調子はいつもと変わらない」と確認が取れることが多い。身体診察をすると、カルテには記載のない心雑音や肺の副雑音がバッチリ聞こえることもしばしばである。

「◇◇先生から、心臓の雑音は言われてないですか?」

「いや、そんなん言われたことないけど」

「そうですか。カルテには詳しく書いておくので、次に来た時に、◇◇先生と相談してくださいね」

とお話ししてカルテを書く。


もちろん、特に身体診察も問題ない方の方が多い。「そしたら、いつも通りお薬出しますね。暑くなっているので、熱中症に気を付けてください。お大事に」と言って、診察終了、となることが多い。診察を終えるとすぐにカルテを書く。POMR(Problem Oriented Medical Records)という考え方があり、カルテについても、患者さんの抱えている問題点を明確にして記録していく、という考え方で、記載の仕方はいわゆるSOAP形式(S:主観的内容、患者さんが訴えられた言葉などをそのまま書くことが多い、O:客観的内容、身体所見など、客観的な情報、A:評価、S+O、これまでの経過から患者さんのアセスメントを記載、P:計画、今後の計画)である。医学生のころから20年以上、この形でカルテを書いているので、このスタイルをなかなか変えられない。患者さんのお話、身体所見で特に問題がなければ、私の外来に定期的に通っている方であれば、A)のところには”no change”と書くことが多い。しかし、今回初めて診察した人のアセスメントで“no change”と書くのは、これまで一度も見たことがない人なのに、どうして「変化なし」と書けるのだろうか?ただ、外来が結構混みあっており、ついつい、「A: no change」といつもの癖で書いてしまう。思わず書いてしまった後で、「なんで初めて見た人やのに、「変化なし」やねん」と自分にツッコミを入れ、二本線で記載を消し、「特記すべき異常なし」と書き換える。同じことを何人も繰り返してしまっている。全くもって、私は「おバカちゃん」である。


1年ほど前から私の外来に通院されている方。主病名は脂質異常症で、スタチンを定期的に処方しているが、半年ほど前、定期の血液検査を行なったときに、Hb 18.7と多血症を疑う結果だった。タバコは10年前に禁煙し、特に積極的に高所に行くわけでもない。SpO2も97%で問題もなかった。「血液の中の赤血球、ヘモグロビンが基準よりも高くなっており、『多血症』という状態です。半年後の血液検査でも同じような状態であれば、血液を専門とする、血液内科の先生に診ていただくよう調整しますね」と説明し、前回、followの血液検査を行なっていた。赤血球を作るホルモンであるエリスロポエチンもオーダーし、他の病気で血液が濃くなる、「二次性多血症」の除外も行なった。


今回の外来に受診され、診察室に入る前に前回の採血結果を確認した。エリスロポエチンの値は基準値下限に近い数字であり、Hb 18.9と多血症は進んでいた。「真性多血症」という、骨髄の造血細胞の異常で多血症となる疾患があり、検査結果を見る限りではどうも真性多血症が疑われた。


いつものように診察し、身体所見は特に問題なし。血液検査の結果を説明し、「やはりずいぶん赤血球、ヘモグロビンの値が不自然に高く、『多血症』と言われる状態です。血液内科に紹介状を用意します」と言って、定期薬を処方。患者さんは大学病院での精密検査を希望され、外来診察終了後に紹介状を作成することとした。


あまり「しっちゃかめっちゃか」になることもなく、外来終了の時間を迎えた。ホッと一息つきながら、先ほどの患者さんの紹介状を作成。これまでの検査データを整理して紹介状に添付しようとしていて、一つしておくべき検査が抜けていることに気が付いた。「動脈血液ガス分析」と言って、動脈血のpH、酸素分圧、二酸化炭素分圧、重炭酸イオン濃度を評価する検査である。SpO2が悪い数字ではないので、「忘れてはいけない」というわけではないが、「まぁ、病院からの紹介なら確認すべきだよなぁ」というべき検査である。


前回受診された時から、「ちゃんとデータをそろえて紹介状を作成しないと」と思って準備していたのだが、やはり一つ忘れてしまっていた。まさしく私は「おバカちゃん」である。

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